早いもので、二人の息子は年齢だけは成人に達し、私の目から見れば、芯は骨太な青年になっていると思います。
この、「芯は」と言うところが問題と言えば問題ですが、半世紀を生きてきたところで、始終惑っている訳ですから。
彼らを育てるにあたって、どんな学校に行ってほしいとか、どんなことをやってほしいとか、殆ど皆無に近かったと思います。
私自身が常勤だったために、時間を費やせなかったこともあり、経済的な面もあり、そして何をするにも新鮮な想いで向かっていくことの意義を大切にしたかった、ということもあります。
しかし。
親の事情、家庭環境で学歴に差が出る。ゆくゆくは収入や社会的な地位にも差が生じる。
こういった事実に、私自身も接してきましたが、後で聞くと彼らの想いは、その歳なりに壮絶なものがありました。
今、ここでは、敢えてふれない事にします(長くなるので)。
彼らは、端的に言うと「母親を少しでも楽にさせたい」と言う思いから、早々に大学進学を諦め、勉強しなかった、と言うんです。
あいたっ。
彼らの性格や、その後の生き方から、この言葉が勉強をしない言い訳ではないことは容易に解るんです。
なぜなら・・・30年も前に私がとった行動とそっくりだったので、これはもう疑う余地は皆無です。
私の行動と言うのは、「大学受験をしなかった」それだけです。
具体的に言うと・・・。
浪人して、あれこれ悩んだ上に地元を離れないで済むことをまず選択し、自分が一番したかったことからそう遠くない分野(教育)を受験する、と言うことを決めたのですが、内心どうもしっくり来ていなかったのだと思います。
それに、親には絶対言わなかったのですが、家業が思わしくないことも勘付いていましたから、自分が進学しないのは、妥当だと思いました。
でも、進路と言えば進学、とずっと考えてきた、自分も親も。それを受けない、とは言えなかったんですね。
そして、願書はとうとう出さずじまい。受験料を貰ったかどうかの記憶も無いのですが、たぶん、自分で出したとか言った様な気もする。要するに、まったく覚えてないんです。
親にしてみれば、進学を諦めさせることは辛すぎたと思います。
特に父は、子供たちがやりたいことをやるのが一番、と言う考えを持っていました。
ちょうどその頃、父は経営していた会社を倒産させるのですが、小さな会社でしたから、個人の財産も処分することに。
債権者会議の前夜、父は私に言いました。
「ピアノは、守ったる。誰かが持って行く言うたら、わしが目の前で壊す。解ったな。」
どう言っていいかわからず、ただ泣いていました。
債権者会議が終わり、負債の処理が決まった後、父は私に開口一番こう言いました。
「ピアノは守れたぞ。引っ越すときにも持っていくからな。」
受験はこれより前だったのですが、私は「受験しない」を実行したのでした。
もちろん、親に知られてはなりません。
受験の時間に合わせて家を出て、受けようと思っていた大学とは方向違いの京都に向かいました。
京都駅から適当なバスに乗り、気がつくと烏丸通に。どこをどう移動し、どこで過ごしたのか、まったく覚えていませんが、受験が終わる頃に家に戻りました。
私は、つい最近までこのことを誰にも話していなかったし、当然親にもばれていないとずっと思っていたんです。
「あんた、ほんまはあの時大学受けてなかったんやろ?」
昨年、何かのときに母が言い出したんです。
本当に驚きました。
「当たり前や。私らはこれでもあんたの親なんやからな。ずっと知ってたで。」
ちょうど今の私くらいの年齢だった両親の気持ちは・・・胸に迫りました。
ピアノは、未だ実家にあります。
姪たちが訪れるたびに弾いているようですが・・・。震災の時には梁の支えになり、倒壊した建物から母と妹を守ってくれました。
父はその少し前に亡くなっていたので、ピアノに想いを宿したのでしょうか。
ピアノはひとつの象徴ですが、私の気持ちを、本当に大切にしてくれた父から貰ったものは、大切にしなければいけません。息子たちには、この形の無い遺産を余すところ無く伝えたい、といつも思っています。
息子たちのこれまでは、決して順風満帆と言う生き方ではありません。紆余曲折、「わけあり」の道を、時には悔しい思いをし、時には怒り、時には涙を流し・・・、そして彼ら自身の生き方をまだ模索している。
親に出来ることなんて、本当にたくさんは無いのです。
私が辿ったように成長していく姿を、ただ信じて見守ること。それが精一杯です。
これが、私が両親から受け継いだ一番大きな財産かもしれません。
たとえば、何かの分野で親を超えることはあるでしょう。息子たちが私を易々と超えていくことも、たぶんあるでしょう。
でも、育てる側になり、カウンセリングをするようになった今も、親の言葉を超えることは難しいと感じてしまいます。
私には、父のひと言、母のひと言のような、言葉の本当の重み、凄みを伝えることが出来ているのか・・・。
両親のそれぞれの言葉は、心底私への愛情に溢れています。
言葉とは・・・その想いの真髄があってこそ重みが増し、真実味に溢れるもの。言外に、それこそ言外に教えてもらった大切なこと。
言葉で表しきれない、と言うのは確かにあるものですが、言葉そのものと言うより、そこにこめられた想いを伝える大切な、人間しか(今のところ)持ちえていない道具だと思うのです。
私の両親は、こんな風に私が考えていることは夢にも思っていないかもしれませんが・・・私のどこを切り取ってもやはり、私はあなた達の娘だ、ということ。そしてとりもなおさずそのまま、息子たちに引き継がれていると言うこと。
これを言葉で伝えていくことが、これからの私の仕事の一つになるのだと思っています。
1件のコメント
感動しました。
親としてやってあげられること…そう多くないんですよね。
しかし、やってやれない無念さから、背伸びしてもやってやることに執着してしまう。
それは、既に子供が望んでいる領域を大きく逸脱し、親の意地やエゴの世界のもの…
でも、その時に親って押し付けてることに気づかないんですよね。
子供の悲鳴も聞けなくなっている自分もいる。
以上の様な事に気づかされました。
いつも有難うございます。
何時か中村さんのピアノを聞かせてもらいたいものです。