三島桃子です。
いつもコラムを読んでいただいてありがとうございます!
私には小学校4年の息子がいます。
赤ちゃんの頃はよく私の顔をじーっと見てくれていました。
でも、その頃の私は気持ちが不安定で、息子の気持ちを受け止め切れていませんでした。
今だったら、赤ちゃんと目が合ったら、「かわいいね~、いい子だね~」とべたべた可愛がると思うのですが、当時はお世話をするので精いっぱい。息子が見つめてくれても、何となく目をそらしてしまったりしていました。
すると息子は怒って泣いていました。
それはわかっていたのですが、どうすることもできない私がいました。
幼児に成長した頃には、息子は私と目を合わしてくれなくなってきました。
たまに視線が合っても、心がつながる感じがしないのです。
少し離れて遊ぶ息子に手を振っても、手を振り返してくることなんてまずありませんでした。
やがて、発達障がいの診断が出て、障がいのせいなのかな、でも、赤ちゃんんの頃はじーっと見つめてくれたけどなあ…と、どことなく疑問に思っていました。
障がいのため、体の動きがとても不器用なので、3歳からハンディがある子を中心としたプール教室に通っていました。
他のお母さんたちとガラス張りの見学室から見ていると、よそのお子さんはけっこうお母さんに対してアイコンタクトをしてきます。
重度障がいのお子さんも、お母さんの存在を時々確かめているのがわかりました。
でも我が子は…。全然なんです。
見学室の方をちらりとも見ない。たまにプールサイドで間近に見ていても、ほぼ反応なし。淡々と泳ぐだけ。私の存在を忘れているかのよう。そのことがずっと気にはなっていましたが、だんだん「きっと障がい特性なんだろう」と思うようになっていきました。
一方で私は、自分自身と向き合うことをコツコツ続けていたことが実ってきて、不安定だった気持ちが年を追うごとに落ち着いていきました。
同時に、息子に対する理解も進んでいきました。
障がい特性の細かな部分や、障がい云々ではなく、当たり前の一人の子ども、一人の人間としての息子のいろいろな気持ちがちゃんとわかるようになってきました。
すると不思議なことに、昨年あたりから、息子と目が合うことが多くなってきました。
テレビを見ていて面白い場面になると笑いながらこちらを見る、とか、食事中に話しかけてくる時など、ちょっとした場面で目を合わせてくるようになってきたのです。
そしてその目に、ちゃんと感情がこもっているし、表情があるんです。
「あれれ?」という感じでした。
楽しい時は楽しそうに輝く瞳、がっかりしたときはその気持ちがダイレクトに伝わってくるような顔つき。嬉しい時も悲しい時も、豊かな表情はとてもかわいくて、愛おしくて、こちらは思わず笑顔になってしまいます。
私が息子の感情をちゃんとキャッチできる状態になったから、息子も安心して感情を表現するようになったのかもしれません。
うちの子は顔の表情そのものが豊かになりましたが、障がいの具合によっては顔の表情はさほど「動かない」お子さんもいますが、それでもこの頃は以前よりずっと、「あ、今嬉しそう」とか、「これには興味ないんだな」とか、「私に親しみを感じてくれてるな」とか、わかるんですよね。自分の気持ちが落ち着いていなかった頃…私自身が自分の感情とつながっていなかった頃、とも言えますが…我が子に限らず、他の誰の感情ともつながりにくかったんだと思います。
感情がつながらないということは、相手のことが「見えない」ということでもあります。
相手の気持ちがわかりにくいですから。
そして、そのことに息子はごく小さいうちに気付き、あきらめたのだと思います。
「お母さんとは気持ちがつながらない…。お母さんはボクを見ていない、決して見ようとしない…、こりゃだめだ」と。
でも、私が変わり、息子もそれに反応してくれたんですね。子どもは素直に反応してくれます。
そして先日、プール教室の時に、またまた驚くことが…
プールサイドで見ていたら、息子がプールの向こう側から私の顔を見て嬉しそうに手を振ってきたのです!えっ!って感じでした。
こちらが手を振っても見てるんだか見てないんだか、という感じだったのに。そしてその後もプールの中から、ことあるごとに私の顔を見るんです。
そしてその目が生き生きとしている。光がある。その光の中に、「お母さんが僕を見ている!」という喜びが輝いているように感じました。
もちろん、私も嬉しいのです。
「ああ、我が子と気持ちがつながっている!」と。でも大人の私は子どもほど素直にはなれなくて、「ほんと?これは本当のこと?今日だけ、今だけの幻のようなものじゃないの?」と、心のどこかで心配になったりして…。
まあ私のそんな疑いの気持ちはともかく、私たちは、こんなシンプルなことこそを「幸せ」と感じるんですね。
私もまた、母に「本当の意味で」見てもらいたくて、でも、それをあきらめたことがありました。
その辺りのしこりを自分の中で消化したかな、と思えた時、我が子をちゃんと見ることができるようになったんだと思います。
一度失ってしまった(ように感じる…本当はちゃんと心の奥にいつでもあるんですけどね…)「つながり」を取り戻すということは、取り戻してみればごくシンプルなことなのに、取り戻すまでの過程では複雑に絡み合う感情の渦に飲み込まれそうになったりもします。
だけど、息子の嬉しそうな目を見た時、本当によかったな、とつくづく思いました。
何度もくじけそうになり、何度も泣いて、這うような気持ちで過ごした日々も、今は私の糧となっています。
3件のコメント
こんにちは。
今回の記事を読ませていただいて、とても胸が痛くなりました、と同時に心が温かくなりました。
私のところにも発達障害の息子と娘がいます。
幼少期は色々あって…大変でした。
私も障害のせい…と思うことがしょっちゅうありましたが、最近成長した子供達と接していて思うのは障害のせいというより、”おかげで”人生を深く、かげがえのないものとして見ることが出来るなと。
天からの恵みなんですね
Larissaさん、コメントありがとうございました!
天からの恵み、私も本当にそう思います。
息子のおかげで、どれだけ成長させてもらったことでしょうか!
障害のあるなしにかかわらず、どんな子どももそうなんでしょうけれど、我が子は私に幸せを運んできてくれたんだな、と思っています。
ありがとう。素敵なコラム・・・心が温まりました。
これからも、応援しています。