こんにちは、山田耕治です。
コラムは2回目の登場です。
前回に引き続き、私に影響を与えてくれた人シリーズ[名もなき編2]として、書かせていただきます。
みなさんにもそんな人がいらっしゃるかと思います。
名前とか覚えてないけど、なんだか印象に残るすごい発言をしてくれた人が・・・・。
今回のその人は私が高校の時に出会った方です。
ある病院の看護婦さんを束ねる総婦長さんでした。
病院の総婦長室。
彼女は机の上にあるメモ紙ケースから一枚、白い紙を取り出します。
そばにあった黒のボールペンを手に取ります。
静かな部屋にボールペンの筆圧の音が響きます。
まず「憂」と漢字を書いてくれました。
次に「憂」という字の左隣に「人」という漢字を書いてくれました。
そしてボールペンを静かに置いて、彼女がこう言うのです。
「憂いのある人のそばに立つ。わかるかしら?優しい人になってね。」
とんがった黒い縁取りの眼鏡、そのレンズの中の奥に強くて優しい女性の瞳があったのです。
優しさって何だろう?って考えたことないですか。
私がそんなことを初めて考えるようになったのは高校に入ったばかりの頃だったと思います。
当時、私は中学の時の失恋を引きずっていました。
通学のバスの中で、別の高校に行くその彼女のことを時々見かけることがありました。
その度に、情けない思いでいたことを思い出します。
中学生ですから、とても一生懸命でかわいい恋でもありました。
夕方はお互いにクラブ活動があるので、朝早く学校に行って話をしていました。
彼女はバス、自分は徒歩通学。できるだけ一緒にいる時間がとりたくて彼女が乗っているバスに遅れないように、がんばって走っていたことも思い出します。
交換日記もしていました。
夜な夜な布団の中で隠れて彼女に渡すための日記を書いたりしていました。
でも依存的なところが強い恋愛だったと思います。
もっと話をしたい。こっちを見てほしい。それから嫉妬も強かったと思います。
彼女の周りにいる同級生や先輩のことがすごく気になっていました。
すごく自信がなかったんだなあと思うのです。
私としてはその彼女にとても優しい対応をしていたつもりでした。
でも今思うとそれは、嫌われたくないための表面的な優しさであり、優しさの押し売りだったような気がします。
甘えたい気持ちを満たすため、自信を彼女からもらうため、そのために一生懸命、優しくしていた感じです。
それなのに何でくれないの?って感じで、どこか見返りを要求している、どこか傲慢な態度でもあったなと今は思います。
そんなわけですから、うまくいくわけもありません。うまくいかずに時々教室の自分の席でうずくまったりもしていました。
今思い出しても、穴を掘って消えてしまいたくなります。
その恋を失ってしまった自分は自分自身をどこか責めていたと思います。
「優しいとか言ったって、その人に好意を持ってもらいたかっただけじゃないのか」、
「嫌われたくないから、そんな態度をしていただけなんじゃないのか」、
「お前は優しくなんかないんだ」、
そんな声が耳元とで絶えず聞こえている感じです。
自分の優しさ、そして「優しさとは何なんだろう?」と言う疑問の形で、高校に入ってからも、ずっとそんな自分への責めが続いていたように思います。
「じゃあ、一体どうすれば良かったんだろう?」考えても答えはでませんでした。
朝、通学バスが彼女が乗ってくるバス停に止まるたびに、そんなどうにもならない思いが繰り返し出てきては、日常の生活の中に消えて行きました。
今でもとても不思議に思うのですが、その疑問への答えは突然にやってきていたのです。
それは高校の2年の終わりのある日のことです。
私はおなかが痛くなり、盲腸ということで、近くの病院に入院することになりました。
そこは看護士だった母が長年勤めていた病院でした。
母は私を産んだ後、家事・育児に専念するために退職していたのですが、同僚や後輩が残っており、その中の一人が総婦長さんでした。
私が無事退院する日にどういうわけか、総婦長さんの部屋に行くことになります。
総婦長さんが「優しさとは何だろう?」と自分の心の中のどこかにずっと抱えていた疑問への答えをそっと私に伝えてくれていたのです。
その時はぴんと来ませんでした。
でも、総婦長さんは優しさについて私に伝えてくれるために登場してくれたんだ。今はそう思うのです。
総婦長さんのことを今も時々考えます。
総婦長さんはきっとこれまで、来る日も来る日もたくさんの憂いのある人を目の前にして、その人のそばに立つことを選択し続けたのだと思います。
しんどい時もあったと思います。
でもそのしんどさや自分の憂いよりも、憂いのある人のそばに立つことを選択し続けたのだと思います。
目の前にある憂いのある人から目をそむけることなく、しっかりと見て、しっかりと向き合うことを決意して、
「おはようございます。
今日はいかがですか?」と明るい笑顔で病室の中に一歩、足を進めたんだと思うのです。
それは愛だと思うのです。
そして総婦長さんの姿は私の母の姿とも繋がっていきます。
「優しさは憂いのそばに立つこと。」
そこには強さや厳しさも感じます。
そこにはコミットメントがあったんだと思うのです。
それは「憂いのそばに立つ」という自らの愛を選択することでもあると思うのです。
優しさとは憂いのそばに立つ覚悟、コミットメント。
優しさとは自らの愛を選択するコミットメント。
そして私はもう一つ思うのです。
それは自分自身の憂いです。
自分には何の問題もないと思いながら、自分自身の憂いからずっと逃げていた自分がいたんだなということです。
逃げないで自分の憂いのそばに立つ。自分の憂いに気づいて、そんな自分を理解する、そんな自分を愛することから始めてみる。その優しさから始めてみる。
そこを乗り越えることで、今度は誰かのそばにしっかりと立つことができる強い優しさが持てるのじゃないかと思うのです。
中学の引きずった恋愛も、バスでの思いも、そして突然の総婦長さんの言葉も、すべては繋がっていて、今の私をつくってくれている感覚があります。
やっと最近になって、高校のころに思った「優しさとは何だろう?」という疑問に少しは答えることができた感じがします。
「優しい人になってね」と、総婦長さんの声が時々聞こえています。
「優しさ」は私にとってとても特別な大切な言葉です。
それは母の声でもあり、私への愛の言葉でもある。
あの時、伝えてくれて、ありがとう、総婦長さん。
「優しさとは憂いのそばに立つこと。」その言葉を胸に、今日も明るい笑顔で、私も一歩、足を進めたいと思います。
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