こんにちは。
4月も半ばを過ぎましたね。
今月から入学や就職、また異動された方は、新しい環境に慣れてこられたでしょうか。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」ということわざがあります。
新しい環境では、知らないことがあって当たり前。
自分の中に溜め込まずに、勇気を出して周りの人に「教えて下さい!」とお願いしてみましょう。
周りの人たちは、きっと、ニューフェースのあなたの役に立ちたいと思っているはずです。
新しい人間関係を作るきっかけにもなれば一石二鳥ですね。
さて、話は変わって、先日私のブログでも少し触れたのですが、ヨーガを体験する機会がありました。
普通の屋内スタジオではなく、海岸が間近にある屋外の芝生の上で、しかも早朝(6:30から9:00)の時間帯にヨーガをしてきました。
3日間の体験だったのですが、心身ともにリフレッシュされ、気持ちよく一日をスタートできた貴重な体験でした。
ヨーガのポーズをとったり、呼吸法を試してみたり、アイソメトリック負荷と言って、息を吐きながら体の各部分に負荷を加えてみたりと、初めてのことをいろいろするうちにあっという間に時間が経ちました。
それだけヨーガの間は集中していたということなんだろうと思います。
自分の筋肉の動き、血流の感覚、呼吸の際の息の流れや速度などを感じることを通して、自分の体と心に意識を向けていました。
普段の生活、特に会社、学校、家事の際には、外部から入ってくる情報に意識を向けざるを得ませんね。
自分に意識を向けることが疎かになりがちです。
でも、一日、あるいは、一週間の内で少しの時間でもよいので、自分自身に意識を向けることで、自分が生きている感覚、自分が今ここに存在している感覚を取り戻せるのだそうです。
私がヨーガをしながら気がついたのは・・・・・、体がかたい。(笑)
「最初はみんなそんなもので、続けて行くうちに柔らかくなっていくものですよ」という先生の言葉に励まされながら、いろんなポーズを取っていました。
足をあぐらのように組んで、背筋をピンと伸ばすポーズを取っていたときのこと、体がかたいので、たったそれだけのことが結構大変だったのですが、背筋を伸ばしながらフッとある考えが浮かびました。
「なんで僕は猫背なんやろう??」
そうなんです。
私は、猫背なんです。
いつの頃からかは覚えていないのですが、気がついた時には私は猫背になっていました。
中学時代には、母親が「猫背矯正ベルト」(!!)を購入するくらい、姿勢が悪く背中が曲がっていました。
(結局、「猫背矯正ベルト」は窮屈だったので使いませんでしたが。)
母親からは、何かの度に、「背筋伸ばしなさーい!」と背中をよくたたかれたものです。
もう何十年も背中が曲がっていますから、「背骨にまっすぐなパイプが通っているような感じで背筋を伸ばしてー」と先生から言われても、ものすごくきつかったんです。
きつかったからこそ余計に意識できたんだと思いますが、「猫背が、自分ではあまり意識していない心の一部分を反映しているものだったとしたら、それは何なんだろう」と思いました。
猫背の姿を思い浮かべていただくとわかる通り、目線は下、手はだらりと垂れ下がり、とぼとぼと元気なさげに歩いている姿を想像されると思います。
そういうイメージから真っ先に連想されたのは、「私は悪い、罰せられなければならない」という罪悪感と、「私は生きている価値がない」という無価値感でした。
その時に思いついたのが、「自分って帝王切開(母親のお腹を切って子どもを取り出す出産)で生まれてきたんやった」ということでした。
臨月まで子宮の中で、正常に頭が下の姿勢で育っていたのに、どういうわけだか急に頭が上(いわゆる逆子)になってしまい、逆子を元に戻す体操(そんなものがあるんですね)をする間もないまま、帝王切開で生まれたと、幼い頃によく母親から聞かされていました。
私が幼い頃、母親はお風呂に入る時に度々、下腹部の帝王切開の傷跡を見せながら、「麻酔の注射が痛かった」、「切った傷口が痛かった」とよく話してくれました。
今にして思えば、「それくらい苦労してお前を生んでよかった」ということを言いたかったんだろうと思えるのですが、もしかしたら、幼かった私は、
「自分を産む時に、お母さんを傷つけてしまってごめんなさい。」(罪悪感)
「お母さんをひどい目に遭わせてまで自分は生まれてきてよかったのかな。」(無価値感)
と、自分でも知らず知らずのうちに、思い込んでしまったのかもしれません。
「なんで僕は猫背なんやろう??」と思ってから、ここまでの考えが浮かんでくるまで、おそらくほんの一瞬のことだったと思います。
天から降ってきたという表現がぴったりきます。
幼かった私が、そのように思い込んだかどうか、真偽の程は今となっては確かめようもないのですが、今の自分がそのように理解することで、自分が猫背の理由が妙に腑に落ちたんです。
(但し、帝王切開で生まれた方でも、背筋がピンと伸びている方は大勢いらっしゃるはずですので、あくまで私にとっての感覚です。
)
そう思えると、猫背でいることがなんだか馬鹿馬鹿しく思えてきたんです。
罪悪感とか、無価値感といったものを、猫背と言う形で表現していたのかもしれない訳ですから。
実は、前々から、このように思うようにはしていました。
「お母さんの体を傷つけてまで自分を産んでくれてありがとう。」
「お母さんがそこまで苦労してこの世に産んでくれた命なんだから、本当に有り難く、価値があるんだ。」
意識の表面ではそのように思うようにはしていたものの、潜在意識や無意識と言われる、心の大部分を占めている部分では、罪悪感や無価値感にはまり込んでいたのでしょう。
私がそのように思いながら生きて行っても、母親はちっともうれしくなんかないはずですよね。
ですので、この部分に関する罪悪感や無価値感は心の底から手放して、猫背も直そうと思いました。
それ以来、猫背になっているなと気がついたら、胸を開いて背筋を伸ばすようにしています。
何十年来の猫背が直るんでしょうか。
背筋を伸ばして、堂々と歩いている自分・・・、生まれ変わったような気分になるでしょうね。
さあ、もうすぐゴールデンウィークですね。
日本では、「仕事」の対極として「休み」を挙げる人がほとんどとのことですが、欧米では「仕事」の対極は「遊び」なんだそうです。
今年のゴールデンウィークは、体を動かしたり、行ったことのないところに行ってみたり、新しい経験をしてみたりして、「遊び心」を刺激してみてはどうでしょうか。
私はやっぱり、大好きなキャンプに行って、大いに遊んでこようと思っています。
中山けんたろうのプロフィールへ>>>