大学時代、今は亡くなられた男性の恩師は、いろんな本を紹介してくれたのですが、その中で印象的なものの中に「陽の末裔」(市川ジュン:著)という漫画がありました。
私は男性ですが、幼い頃から、自分が男性であることに悩んでいたという話を以前のコラムで紹介させていただきました(「桜の園」2012.4.10)。
今回のコラムは、それをもう少し深くご紹介していくお話になります。
こうした私の原点になっているのは、実家が料理屋で、女性の華やかさと辛さや悲しみという両極端の姿を見ていることにあるように思います。
私の幼い頃にはたくさんの芸者さん達が店にやってくる時代でした。
そんな私の家は、祖母が女手一つで築き上げたもので、母も若女将としてとても苦労していたし、女性が表に出て、父が板前として裏で支える、という女性が目立つ、女性で店が成り立つようなイメージを幼い頃から持っていました。
ですから、女性が強くて当たり前、という雰囲気を感じていたんですね。
華やかな舞台に立つのはいつも女性。けれど、その一面で、とても苦労や我慢をしたり、悲しみもたくさん背負っている様子を、何もわからないながらに、雰囲気で察していた幼少期だったように思います。
たくさんの女性の中で育った私は、自分の中でなじみがあるのは女性の感性でした。
ところが、男性であることは間違いない事実で、そのギャップに苦しんだ思春期だったと思います。
そんな私は、成長するにつれ、男女平等と学校で教えられたのに、女性が不利な場面が多いじゃないか、ととても憤慨することになっていきます。
ところが、結局、私は男である、ということ、そして、経営者の子ども、というところに、引っかかり続けることになります。
男性なのに、女性の本当の気持ちや苦しみがわかるのか、という自問自答が続くことになったのです。
こうした頃に、恩師が紹介してくれたのが「陽の末裔」でした。
このお話を、私の文章で説明するには、あまりにも説明不足になってしまうのですが、それを承知で書かせていただけたらと思います。
「陽の末裔」は、大正時代に田舎から紡績工場に働きに出た、二人の幼なじみの少女「咲久子」と「卯乃」の話です。
物語のスタートは「女工哀史」の世界で、労働条件が劣悪な紡績工場です。
しかし、すぐに話は、女性解放運動への道を歩き始める「卯乃」と、華族の養子になって社交界にデビューしていく「咲久子」という、全く違う女性の生き方をする二人の親友の話に発展していきます。
地道に女性解放運動を続けた「卯乃」
一方、美貌と知性という、女性の魅力を武器に、華族と財閥の長にまでのぼりつめた「咲久子」。
一見、相反するように見える、二人の生き方。
しかし、二人はお互いの女性としての生き方を理解しあい、唯一無二の親友として最後までお互いを応援しあって生きていきます。
女性解放運動という女性のための視点だけではなく、女性の魅力を全面に出した生き方という二つの女性の生き方を描いているところに、そして、どちらも女性らしさを貫く生き方であるとしたこの物語に、私は胸を打たれました。
この一連の体験は、私がカウンセラーとして今、活動させていただいていることに、とても大きな影響を与えていると思います。
かつての私の悩みについて、今は、こんな風に思います。
男性は女性でない以上、女性の気持ちを本当の意味で理解することはできない。できるとしたら、そこに思いを巡らせて、できるだけ知ろう、とすること。
そして、もう一つ。男性だからこそ、可能なフォロ―もあるはずだ、と思うこと。
私が男性であることを否定したり尊重できないとしたら、それは、男性として生まれた意味がなくなってしまいます。
それはひいては、女性を女性として尊重できないことにもつながると思うようになりました。
女性の、あるいは男性のためと思って、自分を否定してしまったら、それは犠牲でしかありません。
そして、相手のためにと思って犠牲したことは、相手を尊重することにはならないと思うようになったのです。
「元始、女性は実に太陽であった」というのは、女性解放運動の祖である「平塚らいてう」さんの有名な言葉です。
私は、中学校の図書館でこのタイトルの本を見つけて、それをわからないながらに、一生懸命読んだことを思い出しました。
男なのに、男である自分を受け入れられずに苦しんでいた思春期。
そんな私が、もしかしたら、同じように苦しんでいる男性や、女性であることに苦しんでいる女性に、何か少しでも、助けになるような事ができるかもしれない。
カウンセラーになった時、私は、そう心に決めました。
その思いを実現するために、どうしていけばいいのか、いまだに、模索しているように思います。
これからも迷うと思うし、間違うこともあるかもしれません。
けれど、あきらめないで、探し続けたいと思います。
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