「運動会」嫌い!!~できないボクを感じるとき~

先日、うちの子どもの運動会がありました。
うちの子は体は大きいのですが、走るのも、ダンスを踊るのも苦手です。
そのせいか、運動会前になると、イライラしたり、眠れなくなったり、わがままになったり・・・かなりストレスを感じている様子でした。
ある日の朝、学校に出かけようとした息子は、「気分が悪い。歩けない」と言って座り込んでしまいました。
その日はゆっくり休んで、次の日・・
またしても、前日のように動けなくなった息子。気分が落ち着いてから、「どうしたの?なにかあったの?」と尋ねてみました。
すると・・・
「運動会、嫌い!!」そういって、わたしに背を向けるのです。
「なんでイヤなん?」
「リレーがイヤやねん」
「なんで?」
「ボクは一生懸命走っているのに、みんなに本気で走れ~とか、もっと一生懸命に走れって言われるから」としょんぼり顔になりました。
「そうなんや。そらつらいなぁ・・。一生懸命走っているのになぁ。くやしいなぁ」と言ったとたん、息子はワンワン声をあげて泣き出しました。
 大声で泣き続ける息子。
友達に「もっと頑張れ」「もっと本気で」という言葉をかけられるたび、悔しい気持ち・辛い気持ちを口に出すこともできず、ぎゅっと口を結んで、体に力を入れて、ずっと涙をこらえてきた、そんな息子が愛おしく、思わず抱きしめてしましました。
自分は頑張っているのに・・
精一杯頑張っているのに・・
その頑張りに気づいてもらえないときって、ほんとに辛いですよね。
「頑張っているんです!!」と反論したいと思っても、「えーーー、頑張ってこの程度?」とか、「どこが、頑張っているっていうんだ!」と、否定されるかもしれないと思うと「わたしは頑張っているんです」とも言えなくなってしまうかもしれません。
 自分の気持ちや思いを口にすることができず心に溜め込むことは、とても苦しいものなのです。
辛いよね、悔しいよね・・心に閉じ込めた思いをわかってもらえたとき、人は泣いてしまうものなのかもしれませんね。
 大人になると、子どもの時以上に「頑張っていても認めてもらえない」ことが増えていきます。
コレくらいできて当たり前。コレくらいやって当たり前。「当たり前」という言葉の前では、「頑張っている自分」は塵のように消えてしまうのです。
頑張ることは当たり前のことになりすぎてしまって、いちいち褒められることもなければ、認めてもらうこともないのが普通、そんなふうに感じるようになります。
だからこそ、時には頑張っている自分に目を向けて、「よくがんばってるね」と自分のことを褒めてあげることや、「頑張ってるのに,認めてもらえなくて悔しい!」という心の声に耳を傾けてあげることが大事になるんですよね。
大きな声で泣き続けた息子は、涙の分だけ気持ちが軽くなったようで、次の日から元気に登校するようになりました。
 
息子とのやりとりを、夫に話したときのことです。
夫がこんなことを言いました。
「あいつが運動会嫌い!!っていうのは、もうひとつ理由がある気がするなぁ。たぶんな、速く走れない自分やかっこ悪い自分を、お前にみられたくないんやで」
「そんなん、一生懸命やったら、それでええやん!!」というわたしに、夫は「お前は男心がわかってないなぁ。」というのです。
男心って、どういうこと??と不思議に思うわたしをみながら、
「男っていうのは、好きな人には、かっこいい自分を見せたいって思うもんなんや。あいつにとって、ママは、一番好きな女性やねんで。本当は、トップで駆け抜ける自分を見せたいのに、頑張ってもいつもビリだったら、やっぱり恥ずかしいし、悔しいと思うんちゃうか?そんな自分、見られたくないとも思うわ。そうは思っても、運動会には来て欲しいしなぁ。複雑な気持ちなんちゃうかな?たぶん、雨で中止になれ~!!って思ってると思うで」と熱く語る夫。
「それ、あんたの子どもの頃の気持ちやろ~?」というと、したり顔で「それもある」と澄まして答え、「たぶん、あいつも同じや」と優しい目をして言いました。
そして迎えた運動会の前日の夜。奇しくも台風がやってくるらしいという情報が・・・
それを聞いた息子が一言。
「やったー!明日、雨や!!」
・・・どうやら、夫の言ったことはビンゴ!!みたいです。
雨で延期になった運動会は、2日後無事に終わりました。
家に帰って来た息子に「やっぱり、まぁちゃんがいっちばんかっこよかったわ!!!」とハグすると、照れくさそうに笑っていました。
そんな息子をみながら、「いつまで、この子の『一番好きな女性』でいられるのかな~」そんなことをふと思う、わたしなのです。
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