人生で初めてバッグを買ってもらったのは、3歳の頃だったと思います。
キティ―ちゃんのトートバッグでした。
昔買ってもらったおもちゃを思い出すと、キティーちゃん関連がやたら多かったように思います。
私はチビの頃からキティーちゃんが大好きだったのです。
そう思い返すと、昔と変わってないなーと、我ながら幼稚だなーと、思うのです。
でも、ずっとキティーちゃんが好きだったわけではなく、思春期の初めころには、キティーちゃんはいったん卒業していました。
卒業した頃、時を同じくして、渋谷辺りを中心に、「キティラー」なる者が出現しだしました。
身の回りの所持品をキティーちゃんグッズで固めるキティーちゃん大好きな女の子。一時、ブームになりました。
そんな時代がありました。
私はもう、キティーちゃん離れしていたし、田舎にいたので、なかなか生のキティラーと触れ合う機会はなかったのですが、唯一私の周りに一人だけ、「キティラー」を名乗る女性がいました。
中学校の音楽の先生です。
中学時代、私は「20歳以上はオバサン」って、勝手に線引きしていました。
中学生から見たら20歳って、やたら大人に見えますからね。そしてキティーちゃんは子供が持つものだと思っていました。
TVで見るキティラーも、みんな女子高生。
でもキティーちゃんの文房具を持ち歩いていたその先生は、ナント今で言う「アラサー世代」。
「先生、キティーちゃんいっぱいでいつもかわいいね。」
って、内申点を上げてもらうために心にもないことを言ってヨイショしてたんですけど、私は内心、小馬鹿にしていました。
おいおい、その歳でキティーちゃんはないでしょう。先生、あなたぶっちゃけ、痛いオバサンだよ。
ってね。。。
そして時は過ぎ、いよいよ自分が20歳というオバサンへの扉を開く頃、巷ではプーさんが流行っていました。
流行に乗っかって、私もプーさんファンになっていました。
私は自分のことを、オバサンどころか、大人でもないと思っていました。
まだまだ私は子供。
何の根拠もありませんが、この頃私は、大人と子供の境目は27歳だと思っていました。
こんなかわいいキャラクターものを持つことが許されるのもあと数年。今しかできないんだから今を楽しもう。
プーさんグッズをいっぱい集めました。
そして今、27歳もとっくに超えました。
っていうか、いわゆる「アラサー」です。
そんな私は今、キティーちゃん大好き女です。
それってもしかして、、、、、
ある日気づきました。
なんと、私が昔、小馬鹿にしていたあの先生と同じ状態になっているではありませんか。
痛いオバサン、、、。
現役中学生の子から見ると、今の私はそう見えるのかもしれない。
でも自分のことを、オバサンどころか、大人だという自覚すらあるのかと自分に問うてみても、大きなクエスチョンマークがつく。
子供・・・ではないと思うけど。100%大人でもない。うん、確実にそう自覚する自分がいる。
じゃあ100%大人との境界線って、う~ん、40歳くらいかなぁ。でも50歳な気もするし、60歳な気もするし・・・。ぶっちゃけよく分からない。
子供から大人になる境目、モラトリアムな時期。大人でも子供でのない時期。
思春期でとっくに終わりそうな感じがするけど、時代が豊かになればなるほど、このモラトリアムな時期というのは長くなるのだそうです。
平和だから、豊かだから、無理やり大人にならなくても許されるんですね。
明治時代の人の写真なんかを見ると、大概めちゃくちゃ老けてる。20代の人でも、今の感覚だったら、50代くらいなんじゃないかっていうくらい、明治時代の方々は大人な顔をしていらっしゃる。
豊かじゃない、時代だったんですね。
逆に今の日本人って、幼稚だって言われます。
私は先日知り合ったインド人に何歳に見えるかと聞いてみたら、16歳だと言われました(苦笑)。
顔立ちの違いもあるけど、それだけじゃなくて、いい歳してキャラクター好きだったり、やっぱり中身も幼稚なのでしょう。
私だけかと思いきや、昨今は“くまもん”を筆頭にゆるキャラブームにもなるくらい国全体が幼稚化というか、ゆるくなっていて、この国これから大丈夫なの!?って、当事者でありながら思わず突っ込みたくなる今日この頃ですが、
でもこれって、「恩恵」なんじゃないかとも思います。
いつまでもモラトリアムでいることが許される国。
そんな日本始まって以来の豊かな時代に生きている私達って、その恩恵を受け取って、恵まれていることって、こんなに幸せなんだよっていう、幸せのお手本になる必要があるんじゃないかなと、思います。
だから幼稚であることを極端に否定する必要もない。
この先何があろうとも、何歳になろうとも、キティーちゃんを見ている時に感じるような平和な気持ち、愛で満たされて癒されていく感覚、持ち続けていたいものです。