自分のために、ヒーロー・ヒロインになれますか?

もし、あなたが、映画のヒーローやヒロインのようになれるとしたら。
あなたは、誰のために、ヒーローやヒロインになりたいと思いますか?
先日、子どもがテレビのスーパー戦隊シリーズを観るというので、一緒に観ていました。
番組は、「獣電戦隊キョーリュージャー」[2013年8月4日放送]です。
私の記憶に基づいて、また、私の主観が入って観ているので、実際のストーリーとは少し違っているかもしれません。どうかご了承ください。
この回では、今まで6人だった仲間が、ひとり増えて、7人になる、というお話でした。
もともと7人目のキョーリュージャーは、主人公達の大先輩、すでに結構な年配の男性だったのですが、歳には勝てず、その後を孫娘の少女が継いでくれることになった、みたいなストーリーです。
最初は、仲間達が危機に陥った時に、無心で彼らを助けようとした思いから、キョーリュージャーに変身することができたようでした。
ところが、それ以来、変身しようとしても変身できません。
そのことで悩む、この少女は、変身できないまま敵の怪物に捕まってしまいます。
彼女を助けようとして、仲間達が怪物のところにやってきますが、戦いは苦戦を強いられ、その様子を少女は、ただ、見ているしかありません。
その時、仲間の一人である、紅一点のヒロインが少女にこう言います。
「あなたは、誰のために、キョーリュージャーになりたかったの?」
少女は思い出します。
幼い頃から、キョーリュージャーだった祖父に憧れ、自分がヒロインになることが夢だったこと。
私にとって、誰かを助けるヒロインになるのは、誰のためでもない、自分のためだったのだと。
自分のために変身したい!と決意した時、少女は、再びキョーリュージャーに変身することができたのでした。
私にとっては、仲間のためじゃなく、自分のために、という切り口がとても新鮮でした。
私たちは、自分にとても厳しい、と言われます。
この気持ちは、「自分はだめなんだ」「自分は愛される資格がない」という、心の奥底にある「無価値感」というものが、元になっている場合があります。
自覚している時も、無意識の時もありますが、自分は愛される資格がない、だから自分はだめなんだ、という思いは、それを補うために、努力しなければならない、とか、自分に甘くしていてはすぐ堕落する、という思いを生み、そのために、自分に厳しくなっていってしまうのですね。
この感覚が深層心理にあると、「犠牲」をしやすくなります。
そんな風に自分に厳しいと、自分を大切にできなくなります。
自分のことは後回しにして、誰かのためにがんばることは、やりやすい。
私には価値がないけれど、誰かのために何かをすることで、やっと価値がでる。
役に立たないというのは、自分の存在を、自ら認められなくなってしまうので、必死に、がんばるわけです。
でも、「犠牲」のやり方は、決してうまくいきません。
誰かのために何かをする、というのは、そのこと自体はとても素晴らしいことです。
ところが、「自分には価値がないから、それを補うために」という動機が間違っていると、自分を偽ってやっているようなものですから、苦しくなってきてしまいます。
こうした、自分のよくないところを補うために行動することを心理学で「補償行為」と言ったりしますが、ここには、楽しい、とか、うれしい、という気持ちがありません。
ところが、補償行為でやっていると、どんどん苦しくなってくるのですね。
また、自分が犠牲をして、誰かの役に立つことができたとしても、してもらった人たちは、うれしくありません。
今、自分が楽だったり、助けてもらったことが、誰かの犠牲の上で成り立っているとしたら、やってもらった人が、罪悪感を持ってしまいます。
苦しい顔をしながら、自分たちのために、何かをしてもらっても、ちっともいい気持ちになれませんよね。
逆に、私を助けるために、この人を苦しめてしまった、と自らを責めてしまうことになります。
これでは、せっかく、誰かのために、と思ってやったことが、逆に、その人を苦しめることになってしまうのです。
では、どうしたら、いいのでしょう。
それは、自分のためにやること、がカギなんですね。
自分がやりたい!と強く願う事を、ワクワクドキドキすることをやっている時、それは、そのままの自分でやっていることになります。
誰かのために、何かのために貢献する時、それをするのが、とても楽しい、やりがいがあり、活き活きと、ワクワクドキドキする、のであれば、努力や困難も、苦になりません。
そんな風に、自分の気持ちを感じて、大切にしながら、行動したときには、それをしてもらった人や何かは、してもらったり与えてもらうのが楽なはずです。
行動している人が、うれしそうだと、こちらもうれしいはずですよね。
そして、それを見ている人も、そんな様子をみて、うれしくなったり、応援したくなったり、中には、そんな風にやってみたい、と思う人も出てくるかもしれません。
人の心や行動には影響力があります。
うれしい楽しいを動機に動けば、周りには、うれしい楽しいが伝わっていくのです。
私たちは、誰かを助けたいと思うあまり、「犠牲」をして、苦しみ、そのことで、かえって助けたい誰かを助けられないことも多いように思います。
私たちの心というのは、どうやら、とても優しさや、愛情というものを、根本的に持っているようなんですね。
「犠牲」というのは、こうした優しさや愛情から生まれるものだと私は思います。
でも、その優しさや愛情を活かすためには、「犠牲」ではなく、まず自分が自分の気持ちを大切にして、自分のために、しかも、自分がうれしい、楽しい、やりたい、という気持ちに正直になり、その気持ちを元に、行動に移した時、初めて、誰かのことを救う事ができるのだと思います。
幸せな自分が、その心のゆとりから、行動にうつしたり。
活き活きと楽しそうな姿を見てもらって、あんな風になりたいとモデルになっていったり。
その方法を使えば、自分も、周りの人も、楽に幸せに進んでいくことができます。
ヒーロー物というのは、仲間や守りたい誰かのために、力を発揮する、というストーリーが多いと思います。
それは、もちろん、悪い事ではなくて、そのことが私たちの心を感動させるし、困難を乗り越えたり、幸せを手に入れる大きな原動力になります。
でも、自分のために、という視点も、とても大切なものなのですね。
自分のためにやる。結局は、そのことが誰かの幸せにつながる。
別の表現をすれば、誰かのために、自分を大切にしようと思えると言えるのかもしれません。
今回のキョーリュージャーは、友情や誰かを救う、ということではなく、まっすぐに「自分のために」という思いを大切にすることが、誰かを救えるヒロインに変身できるというストーリーでした。
この21世紀は、心の時代と言われます。
私は、このストーリーが、今の時代に必要な何かを象徴しているような気がしてなりません。
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この記事を書いたカウンセラー

About Author

名古屋を軸に東京・大阪・福岡でカウンセリング・講座講師を担当。男女関係の修復を中心に、仕事、自己価値UP等幅広いジャンルを扱う。 「親しみやすさ・安心感」と「心理分析の鋭さ・問題解決の提案力」を兼ね備えると評され、年間300件以上、10年以上で5千件超のカウンセリング実績持つ実践派。