私たち家族がアメリカにやってきて、4か月半がたちました。
全く言語、習慣の違う世界にやってくると、自分が無力に思うことが
よくあります。
土地勘のない街。
日本とは異なる子供の教育機関、病院のシステム、ご近所付き合い。
ごみの捨て方も(それこそ何曜日に捨てられて、どのように仕訳するのかさえ)
訊かないとわからないありさま。
それだけに多くの人たちに支えられて、初めて私たち家族は生活が出来ているのだなぁ・・
と感じる毎日です。
「おかげさまで」
「皆さんのおかげで、今日も何とかやってこられました。
」
そんな気持ちをいつも感じています。
そんな「おかげさまで」を痛感した、忘れられない出来事があります。
長男が4歳の時、ある事件がおきました。
当時私たち家族はドイツに住んでいました。
長男はドイツ語が思うように話せず、現地の幼稚園では友達とうまく遊べない
状況にありました。
それでも頑張って毎日幼稚園に通ってくれた長男。
せめて頑張ったご褒美に当時大好きだったレゴブロックを買って帰ろう・・
そんな気持ちでショッピングモールの中のおもちゃ屋さんに幼稚園の帰りに
寄りました。
その時に、もうすぐ生まれてくる次男の赤ちゃん用品のある隣の棚の列を
見ようと思い立ち、
「ゆっくりブロック選んでいてね。ママ、隣の棚の列にいるから。
すぐ戻るからね。」
「うん、わかった。」
ほんの2分くらいだったと思います。
そのわずかな時間、私は長男から目を離して
しまいました。
「ブロック、決まったかな?」
長男がいるはずのブロックの棚に戻ると、長男はどこにもいません。
長男の名前を呼んでも、返事が返ってきません。
「まさか、お店から出ちゃった?」
お会計のカウンターで暇そうに座っている店員さんに
「アジア人の小さな男の子がここを通りませんでしたか?」
ときいても
「見ていない。知らないわ。」
という返事。
もう一度店内に戻り、くまなく探しても長男は見つかりませんでした。
「どうしよう?もしかして誘拐された!?」
顔面から血の気が引くのがわかりました。
どこをどう探したらいいのかわからず、涙がどんどんとあふれてきます。
「どうしよう、どうしよう、どうしよう?」
走って探し回りたいのに、妊娠で大きなお腹をしていた私は早歩きをするのが精いっぱいで、
ショッピングモールをうろうろと探し回りました。
どこを探したらいいのか、皆目わからない状態。
翌日の新聞に長男の最悪の結果を伝える記事が頭を駆け巡る。
涙を流しながらうろうろと歩き回るアジア人の妊婦のお母さん。
とても目立っていたと思います。
そんなとき、長男の幼稚園のお母さんスザンナがその息子とショッピングモールの広場に
いるのが目に留まりました。
「スザンナ、お願い。私を助けて!」
事の経緯を話すと、
「みえこ、落ち着いて。まずはショッピングモールのインフォメーションカウンターに行きましょう。」
そこで子供が保護されていないか確認をすると、そのような情報は今のところない、との返事。
次にモールのお店、一件一件訊いて回ることにしました。
「アジア人の4歳の男の子を知りませんか?」と。
ある一件のお店が、それならセキュリティガードの人に探してもらってはどうか?と連絡を取ってくれました。
ほどなく、大きながっしりとした背格好のセキュリティガードのドイツ人が2人やってきて、
2人がお店に手分けをして訊きまわってくれていました。
私とスザンナはもう一度モールのインフォメーションセンターに行き、長男の情報が何かないか、聞いてみると
「今、一人のアジア人の男の子が警察で保護されているらしい」
と伝えてくれました。
同時にセキュリティガードの方の無線にも同じ情報が入ったようで、わざわざ知らせに来てくれました。
すぐに警察に出向くと、長男は警察の帽子をかぶらせてもらい、背のとても高い警察官に抱っこされて
ご機嫌でいました。
私は泣きながらその場にへたり込んで、ただ長男を抱きしめて泣くことしかできません。
警察官の方が保護の経緯を話してくれました。
お母さんがいなくなったと思ってしまった長男は、ショッピングモールの駐車場を泣きながら
とぼとぼと歩いていたそう。
それを一人の親切なおばあちゃんが
「どうしたの?ママは?お家はどこ?」
と訊いてくれ、そのモールから15分ほど歩いたところにある、当時住んでいたマンションまで
一緒に来てくれたそうです。
家のブザーを鳴らしても誰もでません。それはそうです、当時私は血眼になってモールの中、長男を探し回って
いたのですから。
偶然我が家の2階下の住民の方が偶然マンションの玄関を通り、それなら警察に連絡しましょうということになり、
長男はパトカーで警察署に連れて行かれ、そこで保護されました。
スザンナ。セキュリティを呼んでくれたお店の人。セキュリティガードの方達。
親切な通りすがりのおばあちゃん。同じマンションの住民の方。
警察官の方。
多くの方たちのおかげで、私は無事長男と出会うことができました。
「おかげさまで」
あの時の皆の助けがなければ、今現在私や長男はこうして幸せにいたかどうか、
本当にわかりません。
そんな長男も、自分の行きたかった学校に入り、寮生活をしています。
その学校での友達のおかげで、先生のおかげで、寮のスタッフの方のおかげで、充実した日々を送れている
ようです。
私はご予約を入れてくださるクライアントの方がいらっしゃるので、おかげさまでお話を伺うことができています。
この新しい土地にやってきて、何とか4か月半生活が出来ているのは、ここアメリカで出会った人たちのおかげです。
「おかげさまで」
そんな気持ちで周りを見てみると、「色々な人の愛」を感じます。
「色々な人の優しさ」を感じます。
私は自分の無力さも感じてしまうことは多々あるのですが、その無力さの分周りの人たちへの感謝の気持ちで
いっぱいになり、暖かい気持ちを感じます。
おかげさまで2013年のクリスマスも無事に迎えられました。
本当に本当にありがとうございます。
沼田みえ子のプロフィールへ>>>
2件のコメント
『おかげさまで。』
本当にそうですね!普段余裕がないと感謝出来なかったり、当たり前に感じてしまったりしがちですけど、みえ子さんのコラムを読んで、再確認出来ました。
アメリカ生活いかがですか?どうしてるかな~とたびたび思い出したりしてますが、お元気そうでなにより(^^
また来年もよろしくお願いします。
よいお年を☆
Akemiさん、コメントありがとうございます。
人って本当に人の手を借りて「生かされているなぁ」と実感します。
アメリカ生活をしている私に想いを馳せて頂き、ありがとうございます。
私も日本でご縁あって出会えた皆さまのこと、良く思い出します。
私のプロフィールブログにコメントを残してくれる方もいて、アメリカにいながら日本の皆と常に繋がっている感じがします。
ですから、孤独感って異国にいても全く感じないで過ごせています。
ありがたいですよね。
ホント、「おかげさまで」です!
Akemiさんもどうぞお元気で。☆