こんにちは、建部かずのぶです。
少し前に終了しましたが、今年は4年ごとに開催される、2014年FIFAワールドカップ・ブラジル大会がありましたね。
サッカーの大会では最高峰と言われるだけあって、どの試合も目が離せない熱戦が続き、そしてドイツが延長戦の末に優勝しました!
私も子供の頃は、国の威信を懸けた選手たちの熱いプレイに釘付けになっていたものでしたが、環境や生活リズムの変化により、あまり観なくなっていたのです。
が、前回のワールドカップ(W杯)ではそんなに興味を持っていなかった奥さまが、なぜか今回のW杯にはどっぷりとハマってしまい、
私もうっかり昔を思い出しつつ便乗したので、しばらくは遅寝早起きで寝不足の日々でした。
今回のW杯は日本から遠く離れた、地球の裏側のブラジルが会場です。
放映時間も、時差の関係で深夜か早朝。
ということで、2人で選択をしながら、観られそうな試合だけはしっかりと観戦したのでした~。
夫婦でサッカー熱に浮かれているそんな中、あるテレビ番組がふと目にとまりました。
それは、『民族共存へのキックオフ』。
今大会唯一の初出場国、ボスニア・ヘルツェゴビナについての特集番組でした。
私たちには少々馴染みの薄い国かもしれませんが、イタリアと海を挟んだバルカン半島にあった、旧ユーゴスラビアから分離独立した国で、
かつては日本代表チームの監督をされていた、イビチャ・オシムさんの出身地でもあります。
画面には、W杯出場に心躍らせる国民の姿が映し出されていましたが、何年か前までこの国は、長い長い暗黒時代が続いていました。
ボスニア・ヘルツェゴビナは、首都のサラエボでオーストリアの皇太子が暗殺されたことで第一次世界大戦が勃発したという、
ヨーロッパの火薬庫と言われる街でした。
【七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの連邦国家】
旧ユーゴスラビアは、そんなふうに表現されるような、ものすごく複雑な環境にある国だったのです。
第二次世界大戦後は、チトー大統領という強力なリーダーのもと、冬季オリンピックを開催できるまでに安定したとも言えたのですが、
大統領が亡くなると、このユーゴスラビアは複数の宗教や民族が入り交じるが故に、あちこちで内戦が繰り広げられていたのです。
番組はそんな混沌としていた中、1990年W杯・イタリア大会に、まだ連邦国家だったユーゴスラビアという国で参加したシーンに続きます。
私はこの大会もテレビで観ていましたので、少々懐かしい気持ちになりました。
実はその時の監督が、先ほど紹介したオシム氏です。
試合は準々決勝。エースのストイコビッチが率いるユーゴは、マラドーナのいた優勝候補アルゼンチンと大接戦し、PK戦での勝負に入りました。
その時オシム監督は選手に、「PKを蹴りたい人はいるか」と聞いたそうです。
ですが、手を挙げたのはたった2人。
なぜならもしもPKに失敗すれば、帰ったときに民族主義の国民に何をされるか分からないから。
多くの民族の選手が混在した代表チームは、他国とは違う緊張感や恐怖と戦っていたのです。
結果は、惜しくもPK戦で敗戦。そのうちに旧ユーゴスラビアも解体されました。
その頃から、民族紛争も激しくなっていったようです。
連邦周辺国が徐々に分離独立する中でも、一向に収束の道筋が見えなかったのが今回の、ボスニア・ヘルツェゴビナでした。
3つの宗教を信仰する、3民族が入り乱れての対立は、隣人同士が命を奪うような出来事もあったようです。
このボスニア内戦で一番ダメージを受けたサラエボも、戦場と化して、建物の至るところに弾痕が見受けられます。
やがて時代は流れ、内戦はようやく終結しましたが、各民族がなかなか譲り合う状況にはならなかったようで、
ボスニア・ヘルツェゴビナのサッカー協会は、他民族を受け入れられずに会長が3人もいる事態に。
そのせいでW杯を運営するFIFAに是正勧告をされ、そのままだと予選に出場さえできない状況になっていたのでした。
そこで、ボスニアサッカー協会の顧問を務めているオシム氏に、白羽の矢が立ちます。
実はオシム氏は、日本代表監督の時に脳梗塞で倒れられ、左半身に後遺症が残ってしまいました。
それでも強い信念のもと、限られた期限で各会長を説得していき、何とか協会を一本化します。
そして、建国後初めてのW杯予選出場を果たし、本大会への切符を得たのでした。
とは言え、ボスニア代表の中心選手も、それぞれ違う民族の人が集まっています。
ちょうど少年時代を、戦火のくぐり抜けながら生きていた世代ということもあり、
心の内に、民族対立と戦争の爪痕を残しつつも、3つの民族の合成チームとして結集したのです。
ある選手が言います。
「僕たちは、民族を超えて、サッカーで1つになれることを示したい。それが成功の証になるから」
またオシム氏も、こう言います。
「サッカーは人と人を結びつける。代表チームも協会も観客も多民族だが、本当はみんな共存を望んでいる」と。
W杯で勝ち進んでいく、という1つの目標に結集したボスニア・ヘルツェゴビナですが、
せっかくのゴールをオフサイドと判定されてノーゴールとなり、残念ながら決勝トーナメントに進出することはできませんでした。
オシム氏は、『サッカーの力で共存し、民族の対立を超えて、思いを1つにする』という成功例を作りました。
あまりに過酷な運命を背負いながらも、1つのチームとしてW杯に出場できたことは、この国にとって本当に偉大な一歩だと思います。
それぞれに様々な感情がある以上、何の摩擦もないままに、というのは難しいのかもしれません。
でも、まずは相手を理解して、お互いの価値観を受け入れていくことがスタートラインになっていきますね。
最近、特にビジネス系で、【志事】という言葉を見かけることがあります。
この言葉についてざっくり纏めると、「志をもってあたる事。心の底から突き上げる信念を、人生をかけて貫く事」でしょうか。
心理学では「コミットメント」が近いかもしれませんが、オシム氏が成し遂げた【志事】は、
厳しい時代を生き抜いた自分の使命として、W杯予選出場、そしてボスニアの民族共存を願う国民のために働くことでした。
気概を持って事に取り組むほど、多くの人がワクワクし、自分を応援してくれるほど、実現のスピードは速くなっていきます。
過去の記憶を超えるために、心の声を聴き、そして現在にただ集中することで、目の前に新たな未来が現れる。
奇跡が生まれるのは、実はこういうことからなのかも知れませんね。
建部かずのぶのプロフィールへ>>>