こんにちは、五十嵐かおるです。
いつもお読みいただきありがとうございます。
こちらのコラムでいくつかご紹介させていただいた宮古島での生活。
早いもので東京に帰ってからちょうど1年が経ちました。
今回は島での生活を終えて、東京に帰る時の飛行機で出会った
印象的な女性についてご紹介させていただきます。
後半、マダムの言葉があなたにとって何かの気づきにつながれば幸いです。
よろしければおつきあいくださいね。
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2014年1月21日
2年半、大切なことをたくさん教えてもらった宮古島生活を終えて、
東京に帰る出発の日。
宮古空港。
本当に大切な友達が勢揃いしてくれた、見送りの時間。
ずっと一緒にいることが当たり前のように感じていた友達。
帰る寸前まで、他愛のない会話で盛り上がっていた。
あの小さなゲートの向こうに行ってしまったら、
しばらく会えなくなる。
今までそんなシーンをたくさん見送ってきたのに、
まさかこんなに早く、自分が見送られる側になるなんて。
いつもみたいに話しこみそうになった時
出発のアナウンスが流れて時間に気付く。
「またね、待ってるね!」
「うん、行ってきます!」
ハグのリレーで見送ってもらいながら、笑顔なのに涙という
ぐちゃぐちゃな顔になって手荷物検査場をくぐる。
周りの音が聞こえなくなっていたのか、
搭乗者の呼び出しまでされる始末。
この島からの出発は、他の空港とは少しだけ違う。
「離島」という性質上、帰ってくるのは容易なことではない。
みんなそれを言葉にはしないけれど、
どこか見送ると言うことに「諦め」が漂う。
その見えない感情をふりはらうように
お互いの感謝と今後の幸せを祈って、とびきりの笑顔になる。
今までとは違う時間のなかに行ってしまう仲間へ寂しさは、切ない涙になる。
どうして、こんなに大好きな人たちのいるところから
出て行ってしまうんだろう。
でも。
決めたのは、わたし。
やるせない虚しさ、今後の期待と不安を抱えて
島を、出る。
島を行き来する、小さな機内。
遅れてきてごめんなさい、まだ半泣きの顔で
先に座っていた老夫婦の間をぬって窓際に座る。
飛行機が動き始めると、止まらない現実と重なって
思い出まで遠くにいってしまうみたいに感じてしまう。
悲しくて悲しくて
ただただ、涙があふれてくる。
軽快に機体が飛び立つと、あっという間に島は一望できる大きさに変わる。
こんなに小さな島での毎日は、
私にとってあまりにも大きな出来事だったのに。
その儚さが余計悲しくて、
あふれてくる思い出のぶんだけ一緒に涙も一緒に出てくる。
静かにしなくては、と少しずつ泣いていくものだから、
いつまでたっても止まらない。
持っていたハンカチがびっしょりになって
親友が餞別にとくれた柔らかいハンカチまで取り出して
またボタボタと泣き続ける。
悲しいんだか寂しいんだか、そんなのどうでもいいくらい
吐き出すように感情がでてくる。
感情はその時に解放しなかったらあとでそのつけがやってくる。
それならもう、出しきってしまえ。
開き直って1人で泣き続けることを受け入れることにした。
「間もなく到着の体制に入ります・・・」
気付いたら、乗継ぎの那覇空港に到着するアナウンスで我に返る。
出発してから1時間。
よく泣いたもんだ。
すると、トントンと右の肩を優しく叩かれる感触に気づいて振り返った。
「何か、悲しいことでもあったの?」
品のある、小柄なマダムが心配そうに私を覗き込んで
静かに問いかけてきた。
フライト中、延々と窓にはり付いて泣き続けている私を
ずっと気にかけていてくれたんだ。
「違うんです、宮古島が大好きで、みんなが大切すぎて別れが悲しいんです。
・・・東京に、帰るんです。
」
マダムの深く澄んだ瞳が、ぐしゃぐしゃの顔で子供みたいに泣きじゃくって
ひくひくいう私を優しくなだめるように見つめてくる。
「そうなの、そうだったの。ずっと泣いていたから、
悲しいことでもあったのかと心配したわ。
宮古島でのことが幸せだったのね。それならよかったわ。
でも、そんなに悲しんじゃダメよ。
悲しい顔してたら悲しいことばかりやってきちゃうわよ。
悲しくても笑ってらっしゃい。
笑っていたら、楽しいことがやってくるわよ。
これからもっと、幸せになれるわよ。」
これから、もっと・・・
東京での私に比べたら、考えられないほど自由で楽しい日々。
これ以上の幸せなんて、私にやってくるのだろうか。
暗い現実に帰る気分だった私には、素直に受け止められない言葉だった。
でも、同時に「信じたい」言葉でもあった。
優しくなだめてもらったおかげで嗚咽が少し落ち着いた私に
彼女は続けて自分のことを話して聞かせてくれた。
自分はご主人と19年前に宮古島に移住してたこと。
これから成田に向かって、トルコまで旅行に行く途中ということ。
「初めは宮古島そのものがバカンスみたいだったけど、
さすがに飽きてしまうでしょう。
ここは生活にお金もかからないから、海外旅行にも行きやすいのよ。」
年を重ねた今も、充分に美しいその顔に、
何事も笑いに変えて来た証拠の笑いじわが美しく刻まれている。
いつの間にか戻ってきたらしく、
マダムの隣にはとても優しそうなご主人が静かに座っている。
「笑う門には福来るっていうでしょう。笑ってらっしゃい。
そうしたら、周りがみんなあなたの笑顔に集まってくるから。
男性もそうよ。いつも笑っていたら、
『この人と一緒にいればいつも笑っていられる』ってやってくるわよ。
素敵な男性とめぐり合いなさい。
そしてまた、宮古に戻ってらっしゃい。」
バカンスの初っ端から、大泣きする私が隣でごめんなさい。
その気持ちを伝えると。
「いいのよ、ぜんぜんそんなことないわよ。
宮古島はご縁の島でしょう。いつかまた、きっとお会いできるわ。
大丈夫、素敵な男性とめぐり合えるわよ。
例え、悲しいことがあっても、世の中に男性はたくさんいるの。
だから諦めないでね。幸せな相手が見つかるわよ。」
・・・まるで私の過去までわかって慰めてくれるようなその言葉に、
宮古島のご縁と人が余計愛おしくなってまた泣き出しそうになる。
そうだ、この島で私は「縁」というものを数えきれないほど教えてもらった。
「笑うのよ、楽しことを考えていれば楽しいことがやってくるの。
ほら、また宮古島に帰ってこられるかもしれないでしょう」
たしかに。
たしかに、いつもの私だったら何でも笑いに変えられる。
でもいまは、ただただ、染みいるように悲しい。
大切な人たち、みんなを悲しませたことも悲しい。
みんなが悲しんでくれて、それもありがたくて、また涙が出てくる。
「・・・お名前、教えてもらってもいいですか」
どうしても何か残して欲しくて、それが私のその時の精一杯だった。
「マサ子と言うの」
びっくりした。
7年前、私が初めて宮古島旅行に来た時。
一緒に来た母を置いてきぼりにして一人で参加した
伊良部島ツアーで知り合い、意気投合したマダムがいた。
あまりにも仲良くなって、東京に帰ってからも頻繁に連絡を取り合った女性の
名前もまた、マサ子さんと言う人だった。
最初も、最後も、私にとっての宮古島は
「マサ子」さんにお世話になっている。
そんな不思議なご縁に感動を覚えていたら
あっという間に那覇空港に到着した。
「・・・きっと、素敵な旅行になります。
祈ってます。
」
嗚咽が残ってヒクヒクした声で、
マダムへのお礼にそう言うのが精いっぱいだった。
「ありがとう。それじゃあ、またね。笑っているのよ。」
そう言って、マダムは優しく私の肩をなでてご主人と静かに席を立って行った。
私の悲しみをきれいに吸い取って。
悲しみも笑顔に変えてきたであろう優雅で凛とした後ろ姿に
ただただ、彼女の旅行が素晴らしいものになるよう願いました。
最後まで、宮古島は私に優しい。
「ここに来て、本当によかった。」
これで私の思い出話は終わりです。
この場を通して、お会いしたことのない方も読んでくださっていると思うと
ご縁というものが愛おしくて仕方ありません。
私が東京に帰ってこられたのも、
待っていてくれる人たちがいてくれたからこそです。
マダムが教えてくれた通り、東京に戻ってからの1年は
今まで以上に笑顔がいっぱいで幸せなものになりました。
人がいるから、誰かと関われるから、
その場所で楽しく生きていける事を知った宮古での生活。
心から楽しい!嬉しい!を感じる。こんなに感動って素晴らしいんだ。
わたしはそれを宮古島で知りました。
この気づきは自転車に乗れるようになるのと同じで、
一度できたらどこでも大丈夫になれること。
そして本当は、「誰もがどこでも」できるということ。
もちろん、あなたも。
あなたの人生が、
笑顔いっぱいで楽しくあることを
心から祈り、応援していきたいと思っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
感謝をこめて。
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