お父さんの話。

私の父は、一級建築士の免許を持っていて、公務員でした。
こんな風に書くと、「ふ~ん、それは随分立派なお父さんだね。」って思う人もいるかもしれません。
でも、息子である私は、全くそうは思っていませんでした。
なぜなら、一級建築士の免許を持っていて、公務員の父は、母に頭が上がらなかったからです。
子供ながらに、母に蹴飛ばされたり(物理的に。実際に。)、アゴで使われても文句も言えない父を見て、私は、「お父さん、弱いな。」って思っていました。
それに、隣に住んでいた、幼馴染のくみちゃんのお父さんはバスの運転手だったのですが 、私にとっは、一級建築士とか、公務員とかよりも、そっちの方が断然かっこよく思えたりしていました。
だから私は、父とは違う道に進もうと、公務員のような安定感のある職業よりは、一般企業への就職を選びました。
そんな父の認識が少しずつ変わってきたのは、私が社会人になってからでした。
既に建築士として建築事務所に勤めていた私の友人が、何年も勉強を頑張って一級建築士の免許を取得したり(合格の際はみんなでおいわいしました。
)、私ががシステムエンジニアとして、ハウスメーカーに出向した際には、一級建築士の人が、その会社で先生として扱われているのを目の当たりにしたりしました。
そんな経験をして、なんだか、世間一般の一級建築士は、自分が小さい頃から見てきた父のイメージとは随分違うなと思いました。
それに、公務員というのも、自分が35歳を過ぎて、婚活パーティーなんてものを見だした時、ちょっとランクの高そうなパーティーの条件などを見ていると、男性の参加資格が、「医者」「弁護士」「年収500万円以上」などの条件に混じって、「公務員」というのも、よく見かける条件の一つだったりしました。
そして、その時に目指していたのは、結婚の好条件には入っていない心理カウンセラーでした。
そんなこんなで、私は、父とは違う道を常に選びながら、いつの間にか父は凄いなということを認めざるを得ないと思うようになってきました。
もちろん、これは単なる私の主観的な考えですが、だんだんと、そう思えるようになってきたのです。
そして、同時にだんだんと考えるようになっていきました。
「じゃあ、なんでそんなに凄い人が、母の前で弱かったんだろう?」
考えられる理由は、ひとつしかありません。
きっと、母を愛していたからだと思います。
そして、幸せだったからだと思います。
私自身、幸せな時や、今に満足している時は、人から何を言われてもさほど気にならないし、弱くもなれる。
今まで、社会的に賞賛されていたり、見た感じが強そうな人にばかり憧れていた私にとって、今更ながら、強幸は何か?幸せとは何かを考えさせられるようになってきました。
そして、そんな私は、父を弱いと感じ、父と違う道を選んできたのですから、もちろん一級建築士でもなければ、公務員でもありません。
なのに、性格などは、どう考えても父とそっくりだなと感じてしまいます。
私は、父と違う道を選んだどころか、実は、追いかけていたんだということがよくわかりました。
本当に運命は皮肉なものだなと感じます。
そんな私は、今、観念して父の偉大さを認め、そんな父にそっくりな自分を受け入れていきたいなと考えています。
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この記事を書いたカウンセラー