皆さんは本気で“助けて”って言うこと出来ますか?
今回はそんなお話でございます。
私が高校生の頃、友人とよく釣りに行っていました。
その日もひとりの友人と釣りに行き、それぞれの釣果に一喜一憂しながら帰り支度をしていたのですが、何だかんだと色々ありまして、
ざっくり言うとわたくし、池に落ちました(笑)
いやその・・・、長くなりますので今回その経緯は省きますが、
そこに至るには何だか完璧な流れがあったのでございます・・・。
池といってもそこは、すり鉢状にコンクリートで護岸された遊水地でした。
(イメージが湧かない方は“コンクリート護岸”とかで画像検索してみると、まさにそれっぽいものが出てくるようです。
)
そういう護岸のほとんどは傾斜はきついのですが、
自然の土手なんかよりは安定しているんですよね。
ただし、それは水上部分だけの話。
私も落ちて初めて知ったのですが、水中のコンクリート部分はすべて「藻」が生えていてヌルヌルなのです。
おそらく皆さんの想像以上にヌルヌルで、まるでとろろ昆布の草原のようでありますからもの凄く滑りますし、浮力も影響してか踏ん張りも効きにくいので、自力で陸に上がるのは困難を極めるでしょう。
私も水中で「これはマズイんじゃないか・・・?」と悟ってしまったのです。
というのも、私は岸辺に届く指先の引っかかりだけで、辛うじて浮いていられるだけなのです。
波に揺らされたり泳ごうとして指が離れてしまえば、あのヌメりを越えて再び岸辺に指を掛けられる保証はありません。
ですから私は、この(色んな意味で)得体の知れない水の中で大人しくしていないと危険なのであります。
そして気付けば辺りは真っ暗闇。
目視で私を発見出来るかどうかは怪しいもの。
ならば私が助かる方法はひとつ、声で助けを呼ぶことだけでした。
しかし、私は「助けて」だなんて言いたくない。
私にとってその言葉は、『敗北宣言』に他ならなかったからです。
だから同等・・・いや、本音を言えばちょっと下に見ていた(←傲慢でした)その友人に助けを求めるなど、屈辱でしかなかったのです。
でも、そんなこと言ってられない状況なのです。
もう、言うしかない。
私 「おーーーい!」
いい歳こいて池に浮かぶ私のこの惨めな姿を見た友人は、これから私をどういう目で見ていくのだろう?実はこうなった発端には友人が深くかかわっているので、もし少しでも私をバカにした態度を取るようなら許せない、なんて思いが巡る・・・間もなく、
友 「どうしたっ!?」
どこからともなく駆けつけてくれた友人がいました。
私 (ああ、さぞ笑えるだろうよ。だけど今度ばかりは頼むから・・・)
私 「たすけて。」
友 「まかせろっ!!」
私の言葉に間髪を入れず答えると同時に、私の手を掴んで引き上げてくれました。
友人は私のびしょ濡れの姿を見ても、何も言いませんでした。
私の方こそ反射的に、まかせろっ!てお前・・・何とか戦隊のヒーローかよ(笑)と頭の中でツッコミもしましたが、
あれほどの屈辱と抵抗、惨めさを感じていたのに、
私の口をついて出た言葉はただの素直な思いでした。
私 「ありがとう、本気で助かったよ。」
思えば、私は誰からも救ってもらいたくなどなかったのでした。
そう思っていたのは、今までに私の助けを無視してきた(ように見えただけかもしれませんが)人達や社会的なものへの怒りでもあり、反抗であります。
ならば、私も無視してやる。今さら助けようとしてくれても私は許さない。もうあんた達の手なんて借りない。例えどんな手を差し出されたとしても!そんな感じで色んなものを拒絶していました。
そうやってすごく頑固で意地を張って強がって、損ばかりして生きることを選んできましたが、そんな意地も強がりも捨てなければならない状況が、敗北宣言を選択をさせたのです。
でも、実際は敗北なんてありませんでした。
それどころかあの時、私は“うっかり”心から救われてしまったのでした。
意地と共に戦っていた日々に、終戦を感じさせるきっかけになった出来事でした。
それからの私が、その意地や反抗心の全てを手放せたかといえば、さすがにそこまでの即効性はありませんでしたが、
冗談でも言えなかった「助けて」という言葉は、あれからすぐにずいぶん気楽に扱えるようになりました。
それは、強がり続ける人生を手放すことにも繋がっていったように思います。
こんな感じで、絶対にイヤだー!と思う中に飛び込んだ時、
私達は予想していたのとはぜんぜん違う自分に出会えたりするものなのかもしれませんね。
最後に、夏場は水辺に近寄ることもあるかと思います。
皆さまも護岸や水際には、くれぐれもご注意下さいませ。
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