ふと思い出すこと

秋の味覚を楽しむ季節になりましたね。 美味しいものがたくさんあって、食べ過ぎて困っちゃう・・という方も
多いかもしれません。 秋は果物も豊富に出回ると思うのですが、最近、私の好きな果物を使った商品を目にすることが
多い気がしています。
コンビニやファミレスで、飲料やデザートに使われていて、見つけるたびに「あ、いちじく」ととても惹きつけられます。
果物としては、あまりポピュラーではないかもしれませんが、私はとっても好きなんです。
 夏から秋くらいに
スーパーなどで見かけますが、私にとっては意外と値が張る果物のひとつで、買うまでにすごく悩んだりもします。
だけど、よく熟れたものは本当に甘くて美味しいんです。
 美味しいいちじくを食べていると幸せな気分になります。
そして、いちじくをみると思い出すことがあります。
 
私は幼稚園の頃まで大阪に住んでいて、住まいは一軒家の社宅でした。
(かなり古い家だったイメージがあります。

そこに両親、妹、祖母(父方)、そしてクロという犬と暮らしていました。
 その家には縁側があり、家の前はけっこう広い庭
(というか地面という感じでした)があり、おなじ敷地に隣の家(社宅)がありました。
 
家の裏にいちじくの木が生えていて、いちじくの季節になると、祖母がその実を取ってくれて 「いちじくは血になるから
体にいいんだよ」と言いながら私に渡してくれました。
 
なぜその家にいちじくの木があったのか、誰が植えたのかなどはわかりませんが、それが私といちじくの出会いのようです。
「血をつくる。体にいいから。」という言葉(ほんとのことかどうかは知りません)が、小さな私にはそれがとても印象に
残っていて、そして、その果実はとても美味しかったと感じたようで、だから好きになったのかもしれないですね。
私はあまり小さい頃のことはよく覚えてないのですが、いちじくを見るたびに、断片的ではあるのですが、
その当時の暮らしを思い出します。
その社宅は坂を登ったところにあり、坂のふもとにはぶどうを栽培している農家があったようで、ぶどう棚がたくさんありました。
ぶどうがたくさん実った風景を見ながら坂を歩いたことをぼんやり覚えています。
 私はぶどうも好きなのですが、
それも小さな頃に身近にあったからかもしれません。
社宅のお風呂場に大きなクモが出て怖くて泣いていたこと、冬の日に雪の積もった中を幼稚園に母と歩いていったこと、
父の勤める工場近くの空き地で転んで大怪我をしたこと、近所の(たぶん)小学生のお兄ちゃんたちに遊んでほしくて、
後を半べそをかきながら追いかけたこと、電車の踏み切りで電車が通り過ぎるのを長い間待ったこと、
そして、社宅から団地に引っ越すときに、幼稚園のクラスメイトにハンカチをあげたなあとか、犬のクロも連れて行くと
泣きながら駄々をこねたことなど、こんなこと、あんなことがあったなあと思い出します。
若い頃は単にそんなことがあったと思い出しただけでしたが、今のこの年齢(50代)になり思い出すと、
なつかしさや切なさがいっぱいこみあげてきます。
 カウンセラーと仕事をしているせいなのか、あるいは、
年齢を重ねたからなのか、その当時の私がなんだかとても愛おしく感じたりもします。
その昔に引っ越して以降、そこへ行ったことはないけれど、このコラムを書いているとその当時のことをもっと
知りたくなってしまいました。
母もまだそれなりに元気ではいてくれるけど80代半ば、今度帰ったらそんな昔話を聞いてみようかな。
思い切ってその場所を訪ねてみようかなあ。 そんな気持ちが湧いてきました。
どんな自分に出会うのか、ちょっとドキドキだけど、小さい頃の自分を訪ねてみるのもいいかもしれませんね。
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この記事を書いたカウンセラー

About Author

自己否定、自己嫌悪、疎外感、自己肯定を得意とする。「その方の心に寄り添い、一番の味方でいること(安心感)」をモットーに、わかりやすい言葉で恋愛問題や対人・自己との関係を紐解き、改善・生き易さへと導いている。  東南アジア2カ国での生活経験もあり、国や文化の違いについても造詣が深い。