『クレイジージャーニー』というテレビ番組が好きです。
毎週、独自の価値感やこだわりで日本や世界を飛び回るちょっと(だいぶ?)クレイジーな人たちがスタジオに現れて、MCたちに体験を語ってもらったり、スタッフが同行して撮った本人のビデオを視るというスタイルのバラエティ番組です。
(MCはダウンタウンの松本人志・小池栄子・バナナマンの設楽統)
今まで誰も入ったことのない洞窟に潜っていって地図を作っている人や、真冬のアラスカで5ヶ月間たった一人でキャンプをしている写真家など、ちょっと常人には理解しがたい人たちが出てきて、規格外の凄まじい体験を話してくれるのですが・・・
その価値感やこだわりは、かなり一般の感覚とはかけ離れていて、観るたびに私は「自分の知ってる世界ってホントにちっぽけだったんだなあ」と思い知らされています。
その衝撃は「驚き」というより、「驚愕」と言った方がピッタリきますね。
ただ、その一方でちょっとだけ(ホントにちょっとだけですが)憧れる部分や、共感できる部分もあるんですね。
それは、出演する人たちがみんな「自分の『好き』に本当に正直」なところです。
私にも、心のどこかに「こんな生き方がしてみたい」「自分の『好き』を徹底的に追及してみたい」。そんな想いがあって、無意識のうちに彼らに魅かれている気がします。
私たちが夢として、あるいは憧れとして抱えながら実現を諦めていることを、出演している狂気の旅人(クレイジージャーニー)たちは諦めることなど考えもせずに突き進んでいる姿のカッコイイこと。
とは言え、その突き詰めかたが半端なく徹底しているので、とてもマネのできるものではないなあとも思ってしまいますね。当たり前ですが。
ふつうの『好き』のレベルを遥かに超えた「自分だけの生き方」。だからこそ、引きつけられてしまうのかもしれません。
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私はこれまでほぼ全ての放送を見てきましたが、中でもダントツに魅了されてしまった旅人が一人います。
その人は永瀬忠志さんといって、通称「リヤカーマン」と呼ばれているかたです。
リヤカーに必要な荷物をすべて積んで、それを引きながら歩いて旅をしているのですが、やってきたことが常軌を逸していると言う他ないくらいの内容なのです。
砂漠やジャングルや高地を、200キロくらいの荷をつんだリヤカーを引いて旅すること40年以上。
世界で一番暑い場所と言われる、アメリカ・デスバレーを歩いたり、
アフリカからフランスのパリまで約1万4千キロを1年以上かけて歩いたり
とにかく歩きたおして、その総距離は40年で地球一周をとっくに超えているとのこと。
新婚旅行すら歩いて旅したそうです。
(奥様は普通にバスや電車で先に移動している)
放送を見たときのご本人の印象は、ちょっと日焼けしたごく普通のオジサンだと思ったのですが、じつは冒険家にとっての憧れであり、勲章でもある『植村直己冒険賞』を受賞しているのです。
ほかの旅人たちの放送を見ると、それぞれの活動を紹介する映像は楽しそうだったり、ハイテンションだったり、張り詰めるような集中力を見せていたりするのですが、永瀬さんはちょっと違っていて、毎朝「また朝が来ちゃったなあ。歩きたくないなあ」とか、歩きながら「ああ~、ヤダヤダ」とか愚痴が多いんですよね。
一度アフリカで旅の途中にリヤカーを盗まれた時には「やったあ~!これでもう歩かなくて済むぞ!!」と思ったそうです。
でも日本に変える日に盗まれた場所へ行ってみたところ「やっぱりもう一度ここへ来よう」という気持ちが湧いてきて、数年後にもう一度チャレンジして今度は歩ききっているのです。
なんだかちょっと不思議な雰囲気の人だなあ、でもなんだか妙に気になるなあ。そんな気持ちで画面を見ていたことを思い出します。
永瀬さん自身「なんでこんなことしているのかなあ?」と言ったり、「でも最初にリヤカーを引いて歩いちゃったから、しょうがないんですよねえ。」と笑いながら話す顔は、本当に好きでやっていることが滲み出ているのが分かってしまうんですよね。
「何にも変わったこと、特別なことはしていない」
「そのうち歩けなくなるのだから、歩けるうちに歩いておきたい」
「旅をする理由は・・・分からない」
飾り気のない語り口にのって出てくる、もはや哲学的とも言える言葉を聞いているうちに、いつの間にか地味に見える冒険がとてもカッコイイものに感じられてしまいました。
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永瀬さんのことを調べていて出てきたエピソードです。
「旅をしていて砂嵐で思い通りに進まないとき、
風に向かって『この野郎。もういい加減にしろ』と怒鳴る。
2分か3分、風に全身で怒って居ると、また自然に心が静まってくる。又それで作業を続ける。
旅の途上で振り返ったときに『俺はこんなときにこんなことを思うんだなと。あんな時のあんな行動をするんだなと。自分でも知らない自分に出会う楽しみを見つけた 』」
旅が自分の気づいていなかった自分に光を当ててくれる。
一歩踏み出してみると、新しい世界が見えてくる。
人生を旅に例えることはとっくに使い古された言い回しですが、永瀬さんの姿を見ているとそれが何の違和感もなく受け入れられてしまうのです。
理屈も理解も超えている旅のように見えてしまいますが、地道に文字通り一歩ずつ進めていく歩みは、私たちが人生という長旅で踏み出す一歩と何も変わらないようにも思えます。
その旅の辿りつく先に何があるのか?よりも、じつは
歩き続けるという行為と、そのプロセスで出会う体験が
生きるということそのものなのかもしれません。
私がこれまで心の世界を旅することを選んでこれたのも、たくさんの人との出会いがたくさんの「私の知らなかった私」を教えてくれたおかげだったことに気づきました。
いつの日か後を振り返って、それまでの道のりを眺めるときまで、私もこの旅を歩けるだけ歩いてみようと思うのでした。
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