音楽が、人の心に与える影響は、かなり大きいものがありますね。
楽しい気分の時には楽しい曲を、悲しい時には悲しい曲を聞いて、その時の感情をしっかり感じた方がスッキリするといいます。
そしてまた、音楽は生活と密着しています。
どの曲が好きとか嫌い、というだけでなく、その頃の自分を思い出してしまうのです。
私は街角やお店のBGMとして、どこからともなく聞こえてくる”ある曲”に、たまらないほどの懐かしさを感じてしまいます。
その曲とは、スピッツの「ロビンソン」。
著作権の関係で、文中ではご紹介できないのが残念ですが、私にとっての名曲です。
この曲がリリースされたのは1995年。
1995年と言えば、今から22年も前のことです。
もう、そんなに時間が経ってしまったのかと思いますが、1月に”阪神・淡路大震災”が起きた年でもありました。
この震災で、私の生まれ育った神戸の我が家も、全壊してしまいました。
誰もが今日を生きることに精一杯。
震災当初は、気持が異常に高ぶっていましたから、命があっただけでありがたいと心底思っていました。
当時、父は脳こうそくの後遺症で右半身不随になり、車いす生活でした。
母と私で父を介護する日々でしたが、父が身体不自由では避難所に行くことも出来ません。
幸い、姉の住む地域は同じ神戸でも被害が少なかったので、両親を姉のところに預けて、私は職場に近いところで別に部屋を借りることにしました。
それまでにも家を出ていた時期はありましたが、一人暮らしは初めてのことです。
適当な物件を探し、引っ越しを済ませた頃には桜の舞い散る4月になっていました。
1月に震災が起きてから、約3ヶ月。
その間の、なんと慌ただしかったこと!
平日は仕事から帰ると、炊事や洗濯。
引っ越しの後片付けもありましたから、テレビはあっても見ている暇がありません。
そこで帰宅してから、まず一番にやったのはラジオのFM放送をつけることでした。
その頃、毎日のように流れていた曲が、スピッツの「ロビンソン」だったという訳です。
ちょうど、新生活を始めたばかりの私に相応しい曲のような気がして、いつも鼻歌交じりで聞いていました。
一人暮らしは気楽ですが、当然ながら何もかも一人でやらなくてはなりません。
風邪を引いた時など、冷蔵庫に買い置きの食材もなくて、這うようにしてコンビニに買いに行ったこともあります。
平日は家と職場の往復になりがちでしたが、少し落ち着いてくると、時には仕事仲間や友達を呼んでホームパーティーも開きました。
誰からも束縛されない生活を、楽しんでいた面もあったんですよね。
そして週末になれば、両親の待つ姉の家へ半日掛かりで帰ったものでした。
何しろ、まだまだ鉄道が復旧しておらず、大きく迂回して電車やバスを乗り継ぎ、がれきの中を通り抜けていくのです。
春の陽射しがいつの間にか、汗ばむ初夏の陽射しに変わっていきました。
その頃、自宅再建の話が持ち上がりました。
父はすでに80歳を過ぎており、身体不自由でもありましたから、仮住まいのまま終わらせるわけにもいきません。
残り少ない時間を、心穏やかに終の棲家(ついのすみか)で過ごさせてあげたい思いがあったのです。
どうせ建てるのなら、父が家の中でも車いすで移動できるように、そしてまた手すりなども不足のないように、お風呂やトイレなどは介護しやすいように、一所懸命考えました。
本当は一番相談したいのは父でしたが、脳こうそくの後遺症で言語も取られていましたから、それは出来ません。
母は「あんたが良いと思うようにやってくれたら、それでかまへん。」と言います。
一つ一つの決定を、私がする必要がありました。
良く言えば任せてもらっていたのですが、その責任の重圧感はかなりのものでした。
紆余曲折を経て、義兄や従兄など、建築のことに詳しい人たちの力を借りながら、年末には何とか自宅が完成したのでした。
新しい我が家に足を踏み入れた父は、車いすから降りて、私たちが支えながら手すりを使って部屋の中を見て歩きました。
元々好奇心の強い人でしたので、2階にも上がろうとします。
一瞬、大丈夫かな?と思いましたが、何と階段を一段一段上がりきって2階の部屋も見ることが出来たんです。
その時の父の、嬉しそうな顔!
゜゚*☆゜゚
スピッツの「ロビンソン」は、1995年のレコード大賞で優秀作品賞に選ばれました。
どうやら、「ロビンソン」に勇気づけられたのは、私だけではなかったようです。
先日、この曲のイントロを久しぶりに耳にした瞬間、一気によみがえった記憶を書かせてもらいました。
ああ、そうだった・・・
22年前の、あの頃の私を褒めてやりたいと思います。
「まゆみ、よくやったね!偉かったじゃん!」
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