私たちが対人関係の中で持つ問題を、誤解を恐れずにひとまとめにしてしまう
のであれば、それは
「どうすれば相手に好かれるか?」
という事になるのではないかと思います。
問題があるときには、私たちは
「相手から嫌われるんではないか?」
「相手が自分から去っていくのではないか?」
「相手に受け入れてもらえないのではないか?」
という事に気を配り、
「このままの自分ではダメなのでは?」
「もっと頑張らなくてはいけないのでは?」
とプレッシャーを感じたり、ビクビクしたり、ぎこちなくなってしまったり、
時には自分とは別のキャラクターを演じて疲れて果ててしまいます。
この時私たちは自己評価のスタートラインを
「私は愛されない」「私は嫌われて当然」「私には価値が無い」
というような所に定めています。
これは自分に対してかなり厳しい評価です。
それはもしかしたら過去の辛い経験から生まれたものかもしれないし、身近な
誰かがそんな厳しい扱いをされていて「自分もそうなるのでは?」と恐れだけ
が先行してしまったのかもしれません。
その時から私たちは、事あるごとに「私が嫌われる理由」「愛されていない証
拠」を探して、そして見つけてしまいます。
決してその証拠が増えることを望んでいる訳ではないのに、そればかりが手に
入ってしまう・・・。この状況こそが1番苦しい事なのです。
そこで、今日のエクササイズは「自分が愛されていた証拠を探す!」です。
どんな裁判でも検察官と弁護士がいます。
(弁護士と弁護士の場合もありますね)
有罪の証拠を見つける役と、無罪の証拠を見つける役に役割分担されています。
でも私たちが「私は愛されない」という証拠を集め続けている時、それはまる
で弁護士なしで裁判を進めているようなものなのです。
検察官だけがひたすら有罪の証拠ばかりを論じる・・・。
そんな一方的な裁判では勝ち目はありませんよね?
「じゃあ実際、愛されていた証拠っ具体的にはどういうもの?」
と思いますよね?
それは何も特別な事でなくてOKなんです。
私の友達が以前、私の頭を触っていきなりこんなことを言いました。
「成井の頭は丸いなぁ〜。
それはきっと赤ちゃんの時に、誰かが頭の向きを変えてくれてたからやわ。」
その瞬間は一体何のことを言われているのかさっぱり意味が分かりませんでし
たが、その友達が言いたかったことはこうです。
今では赤ちゃん用の頭の枕がありますが、私が赤ちゃんの頃はまだそんな便利
なものは無くて、バスタオルを巻いたものが枕でした。
生まれたての赤ちゃんの頭蓋骨はまだ柔らかいそうなのですが、赤ちゃんは自
分では寝返りが出来ませんから、誰かが面倒を見てくれたはずなんです。
そこには「私が愛されていた」証拠があります。
私の父はあまり言葉やスキンシップで愛情を示す人ではありませんでした。
一緒にお出かけをしても、いつも自分1人だけスタスタと歩いていき、私は
「置いていかれないように・・・」と不安を感じ小走りになりながら追いかけ
た記憶があります。
しかし、父はスタスタと先を進んでいくのですが、ある程度距離が離れたら
「チラッ」と少しだけ後ろを振り返るのです。
そして見ただけでまたスタスタ行きます(笑)
「気になるんだったら子供の歩幅に合わせろよ〜!」って感じですよね?
でもあの「チラッ」こそが父の愛情表現だったんです。
分かり難いし、本当にささやかだし、そんなので伝わる訳ないだろ!(怒)と
も思いますが、その中にも「私が愛されていた」証拠を見つけることができま
す。
もしあなたが「すごい厳しいトレーニングを耐え抜いた!」という感覚なく、
気がついたら今のように当たり前に日本語を話せていたり、お箸を使えたり、
トイレに1人で行けたり、お風呂に1人で入れていたとしたら?
それは誰かが上手に、根気よくあなたに教えてくれた人がいるのです。
そこにも「私が愛されていた」証拠があります。
あなたの人生を「私は愛されていた」という視点から振り返ってみて下さい。
そして「私は愛されていた」という証拠をたくさん集めてみて下さい。
あの両親との関係の中にも、あのパートナーとの関係の中にも、あの過去の関
係の中にも、その証拠は埋もれています。
「愛されていた」という宝探しをしてみてください。
そして、宝が見つかれば見つかるほど、
「私は愛されて来たし、今の私も愛されているんだ!
私は愛されるにふさわしい存在なんだ!」
と今のあなた自身の自信に反映されてきますよ。
from 成井 裕美