誤解されると黙っていられない~素敵なコミュニケーションのための癒し術~

人に誤解されると黙っていられない。ついつい違いますと言ってしまう。そんな自分は頑固だと思うし、頑固だと言われていい気分がしない。そういったコミュニケーションのご相談。

こういった問題を紐解くには「コミュニケーションスキルを磨く」「何が間違っていて、何が正しいのか?」を考えていくだけでは、なかなかうまく変化が感じられないかもしれません。実はこういった問題に隠れた「あなたが感じたくない・避けたい」感情の影響で、コミュニケーションを固く、つらいものにしている可能性があるのです。

◎リクエストを頂きました◎
===================================
私は、誤解されると黙っていられません。
上司に注意される時も、最初のうちは我慢するのですが、誤解の部分に関しては、違いますと言ってしまい、 また、頑固で折れない上司(恐らく自分の意見を完全に受け入れてほしい人)ほど、私を頑固だと言いますし、具体的に直して欲しい部分の分かりにくい長い説明で、具体的なところを聞き返して探るうち、よけいな一言を多々言われたり、あなたはこういうつもりでこうしてるけど、等の誤解の決め付けを言われるなどで、長時間話してると限界が来るのです。

自分なりに、ですが、事実当たっていることに関しては、「確かにそうです」と言います。ショックでも。
何でもかんでも認めれない頑固のつもりはありません、自分の、多分間違ってない事や、誤解については、言われると、違うと言わざるを得なくなる感じです。
でないと、自分の中の何かが壊れる気がします。

自分の思考を持つべき、間違ってる、頑固。私は何を信じればいいかわかりません。いったいどうすればいいのか、どうか、ヒントを頂きたいのです。
(※一部編集させていただきました)
===================================

自分の意見や思いを誤解されると黙っていられない。確かにそうですよね。

いただいたリクエストにあるような気持ちになっても不思議ではないと思いますし、自分の意見や思いを誤解されたままでいることは、コミュニケーション上、本来は無用なトラブルが起きてしまったり、自分の真意が伝わらずに辛い思いをすることもあるかもしれません。

リクエスト内容を読ませていただくとそこにある感情・思いは、「自分の感覚、感情、思考を正しく受け止めて欲しい」という欲求かもしれませんね。

そして「自分を正しく受け止めてもらえないこと」「自分が間違っていると感じること」で「自分の何かが壊れてしまう」と感じるのかもしれません。だからあなたは自らの正当性を主張したくなる。

これを私達の学ぶ心理学では「正しさの証明・争い」といった言葉で表現することがあります。

これは、あなたの中に「自分のことを相手に正しく受け止めてもらえないと、何かしらの感情、感覚が沸き上がってきて、それが耐えられない」と言い換えることができるかもしれません。そこで「感じる何か」があなたにとってとても辛く、生きていく上で避けたいと感じている感覚なのかもしれませんね。

だからこそ、あなたは他人に自分と同じ思いをさせないために、相手の意見が正しいと思えば、たとえショックでも受け止めるのかもしれません。どこか相手に自分の意見を「違います」と伝えることに心苦しさを感じているのかも。

あなたにとって自分の意見を誤解された時、相手の思いに対抗しようとすることもまた、辛くストレスを感じることなのかなと僕は思います。自分がされて嫌なことを相手にする・・・それだけで私達は「間違っていることをしてる?という疑い」や「罪悪感」を感じますから。

あなたは本当はもっと円滑で優しさを持ったコミュニケーションを望んでいるのかもしれません。そう考えると、あなたは人思いの優しい人なのかもしれませんね。

さて、では「自分の事を正しく受け止めてもらえないこと」であなたが感じる「何かしらの感情、感覚」があるとしたら、それは何なのでしょうか?

正直、これは人によって違うと言えると思います。劣等感、無意味感、否定感、屈辱感・・・色々なものが考えられます。

ただ、一つ言えることは、コミュニケーションレベルで起こる正しさの争いがある場所には、「孤独、理解がない、孤立、愛されない」といった分離感が伴う感覚があなたの心の深いレベルに強く存在していることが少なくありません。

つまり、あなたの周りの人たちに、あなたの正当性を担保されないことで起こる分離感が怖ろしいのかもしれませんね。

それがいつからあなたの中で始まったことなのか?は詳しくお聞きしないと分析できないことですが、あなたはあなたの人生のプロセスの中で起きた何かのキッカケがあってこの感覚を持ち始めたのでしょうね。

そして分離感に付き者の感覚は、不安と寂寥感、つまり寂しさです。どこか、誰にも自分を見てもらえていないような切ない感覚です。そこには不安になっている弱々しい自分という感覚が隠れていることがあり、これが「あなたの存在理由に対する疑い」に繋がることがあります。

そう考えると、どこかあなたの成長プロセスで、自分を十分に理解されなかった、自分を受け止めてもらえなかったことで起こる、寂寥感の抑圧が、正しさの争いとなってコミュニケーションに登場しているのかもしれません。そしてそこには多く「怒り」が伴います。分かってもらえないことへの怒りです。

もし、あなたの心を癒やすという視点でこの問題を見つめていくならば。

「自分の正しさ」「相手の正しさ」といった、「コミュニケーションが上手くいかない問題」にだけ意識をフォーカスしても、結局あなたの問題意識や我慢は、一時的に払拭できても、あなたの生きずらさとしては大きく変わらないかもしれません。それを作る心理は何か?を見つめる必要があります。

つまり、あなたの心の中に分離感、孤独、寂しさ・・・そういった感覚があることをまず理解することかもしれません。

そして、あなたが日常的に扱えるぐらいに、あなたの心の中に隠れている「分離感」「寂寥感」を開放して小さくしていくことが、あなたがコミュニケーションで悩まなくなる一つの考え方だと思います。これが一つの心の癒しの目的になります。

例えば、あなたがいつからその感覚を抑圧し頑張って生きようとしてきたか?を思い返しながら、そんな自分を受容し「今までよく頑張ってきたね、あなたがいたから私は今まで頑張れたよ、ありがとう」と労って愛してあげることなどが、心を癒やすために有効かと僕は思います。

このようにあなたが自分を愛し、避けたいと感じてきた感情を上手に癒やすことで、こういった問題はゆっくりと解決の方向に向かうことがあると思います。

以上、皆様の参考になれば幸いです。最後までご覧頂きありがとうございました。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

年間400件以上の面談カウンセリングを行う実践派。「男女関係向上・男性心理分析」「自信・自己価値向上」に独特の強みをもち、ビジネス・ライフワーク発見なども対応。明快・明晰かつ、ユーモアと温かさを忘れない屈託のないカウンセリングは「一度利用するとクセになる」と評され、お客様の笑顔が絶えない。