多くの方はコンプレックスを克服しようと努力するか、周りの人にバレなように隠そうとするか、どちらかではないでしょうか。
しかし、それは自分自身を攻撃し続けること。
もし、あなたがそのコンプレックスを許し、愛することができれば、その瞬間にそれは個性となるのです。
コンプレックスは個性になる
多くの方はコンプレックスがあると何かしら努力したり、頑張ってそれを解消しようとします。
外見のコンプレックスはダイエットやメイク、髪型、服、さらには整形手術などで克服しようとします。
語学のコンプレックスは勉強やスクールに通うなどして何とか克服しようとします。
しかし、それが達成されたらいいのですが、解消しようとすればするほど、逆にコンプレックスを強める結果になってしまうこともあるのです。
Bさんはずっと顔にコンプレックスがありました。目、鼻、口元など。
ある時、勇気を出して美容整形をしたんです。手術は成功。それまでのコンプレックスは解消されたかのように見えました。
しかし、人から「きれいだよね」などと褒められるとドキッとするそうです。
それに昔の知り合いには会う勇気が無い、と。
見た目は変わったけれど、心の中はまだコンプレックスが残っていたようです。
整形手術が悪いわけではありません。でも、一緒に心の中からもコンプレックスを解消しないと、かえって後悔を招くことになるんですね。
ちなみにその後、Bさんは「美しさ」を受け取ること。外はもちろん、内面的な美しさを知ること、そして、もっともっと自分を愛してあげること、大切にすることを学んでいきました。
元々納得して受けた手術でしたから、気持ちが晴れれば新たな人生の門出と喜びをもっと感じられるようになったのです。
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また、ある女性Cさんは「方言」「訛り」がコンプレックスでした。
東京に出たら標準語を話さなければならない、と強く思っていたのですが、なかなか直らなかったんですね。
それで職場で発表するとその訛りを笑われることがあり、自分の意見を言えなくなってしまうこともよくありました。
しかし、彼女は企画力・構成力があるので、なんだかんだ人前で話をする機会を与えられることも多くて、それもすごく悩みだったんです。
一時期は毎回原稿をきちんと作成し、録音して、訛りが出ていないかどうかをチェックしていましたし、取引先でプレゼンをする前日など、プレッシャーから眠れない日もあったそうです。
「訛りは恥ずかしい」と彼女自身も多くの体験から学んでいたのです。
でも、ある時ふと彼女は気付きました。
関西出身の人の中には東京でも全然方言をしゃべってる人もいる、と。
なのに何で自分は方言を気にしてるんだろう?
堂々としていればいいんじゃないか?と。
でも、そうは思ってもなかなか勇気は出ません。
関西弁は笑われないけど、私の言葉は笑われるから。
ただ、ちょうどその頃、取引先の社長が「君って出身○○?実はうちの家内が同じとこの出身なんだよね。なんか親近感湧くよ」と言って下さったときに確信しました。
「訛りは個性になる」と。
むしろ、訛りのあるアイツ、として認識してもらえばいい、と。
コンプレックスは時に「個性」になるのです。
コンプレックスがあると「直す」「隠す」というのが私たちの一般的な態度です。
それゆえ、一人で抱え込むこととなり、その一人の世界でその自分を非常に嫌い、攻撃します。
それを社会に投影するので、きっと周りの人も自分が自分にしているように嫌い、攻撃し、あるいはバカにするだろう、と怖れるんですね。
しかし、現実はあなた以上にそのコンプレックスを嫌っている人、意識している人はいないのです。
他の人も気にならなくはないと思います。
けれど、あなたほどではない、のです。
だから、Cさんのように「オープンにすること」で、あなたのコンプレックスはすべて「個性」になります。
そのためにはコンプレックスを嫌うのではなく、許し、愛することが大事なんです。
Bさんは整形によって外見は変わりましたが、その自分を許し、愛することができていませんでした。
だから、自分を愛することにより、整形手術を受けた自分に誇りを持つことができました。
Cさんは取引先の社長が受け入れ、許してくれたお陰で、それを個性として受け入れ、許し、愛することができました。
あなたのコンプレックスを許し、愛せば、その瞬間からそれは個性になります。
「初めまして。Cと申します。○○地方の訛りがなかなか取れないCと覚えてください!」
名刺交換の際、彼女はそんな風に切り出すそうです。
「○○と言えば、△△が美味しいですよね」
「○○出身といえば、やっぱり呑めるクチなんですか?私の会社にも○○出身者がいて・・・」
などと会話がすーっと広がり、親近感が生まれます。