大切な人に問題が起きた時、私たちは自分のことを責めてしまいます。
まるで自分のことのように感じてしまうからなのですが、罪悪感や無力感を持ち続けていると、問題を解決する力を損なうばかりか、私たち自身がダメージを負うことになってしまうのです。
その人と共感してあげること、つながってあげることは、とても大切な愛の行為です。
その一方で、自分に救えるかどうかは「判らない」ということも、謙虚に知っておきましょう。
人生で起きてくることは、究極的にはご本人の選択なのです。
例え家族であっても、恋人であっても、その人が手の届かない状況に入っていってしまうことは起こり得ることなのです。
今回は、パターンを繰り返す家族をどうサポートしてゆくのかについてのリクエストにお応えしています。手放しながら愛してゆくことを学んでいきませんか?
◎リクエストを頂きました◎
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私の母はいつもどこか体の具合の悪いところを見つけて、病院で検査を受けています。
たいていは非常に精密な検査を受けても「異常はありませんよ」と言われます。
例えば、胃カメラで異常が無いと分かりホッとしても、暫くすると頭が痛いと言い
MIRのような検査を受けて、それも特に異常が無いと言われ、というように、
いくつかの検査をある一定期間繰り返すような感じです。
私の想像ですが、母は自分の存在価値のようなものを表すために、
検査を受けているのではないかと。かまってもらいたい気持ちがどこかにあって、
そうしていないと居られない何かがあるのではないかと。
ここまではホントの心理が分かるような気がするのですが、
こんな母にどんな言葉をかけてあげたらいいのかが、良く分かりません。
「具合が悪くなくても、大切に思っているよ」というメッセージなのでしょうか。
(文字数の都合で編集させていただいております)
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リクエストをありがとうございます。
>母にどんな言葉をかけてあげたらいいのかが、良く分かりません。
>「具合が悪くなくても、大切に思っているよ」というメッセージなのでしょうか。
私は、その言葉だけでも十分だと感じました。
ご依頼者の方は、様々な想いを胸に抱えながらも、お母さんをずっと見てこられたのですね・・。
お母様への深い愛情と優しいお気持ちから、リクエストをくださったのだと感じました。
愛する人が何かの思い込みに囚われていて、そこから抜け出すことが出来ずに虚しいパターンを繰り返してゆく・・。
傍にいて、ただ見ていることしかできない家族にとっては、これはこの上なく辛いことですね。
「どうしてこんなことになったんだ!」って怒りもあるかもしれません。
まるで現実逃避をしているかのようなふるまいに、「もう何を言っても無駄なのではないか」という無力感もあるかもしれません。
「お母さんは、いったいどこにいってしまったの?」って、悲しみと喪失感に、打ちひしがれていらっしゃるかもしれません・・。
家族をどこまでも愛したいという想いがあるからこその、苦しみ、悩み。
こんなときの私たちは何をすればいいのでしょうか?
誰も責めないこと。そして決して自分を責めないこと。
一番大切なことは、責めないことです。
大切な人が何かに囚われていて、そこから抜け出すことが出来ずに、自ら虚しいパターンを繰り返してゆくケースの場合、
(病気、被害妄想、浮気や嘘を繰り返す、ワーカホリック、ギャンブルやアルコールなどの中毒も含みます)
私たちが一番引っかかりやすい罠は、家族の問題を背負い、自分を責め続けてしまうことなのです。
家族で起きたことは、全体責任ではあるのですが、誰も悪くはなかったのです。
「これからは間違いを訂正していこう」「新しいことを学んでみよう」と思うだけで、本当に十分なのです。
「痛み」とは自分で抱え込むものではなく、手放されるべきものです。
問題児のようになっている人物・・それが自分の母親だったり、パートナーだったり、子供だったりしたら、私たちはものすごく自分を責めてしまいます。
「自分がどこか至らないせいで、大切な家族がこんなことになってしまったのでは?」という不安感から、自己懐疑や自己嫌悪が始まってしまいます。
そうなると、そんな苦しい思いをさせる家族に憤りを感じてしまい、誰かを責めたい気持ちもいっぱいでてくるでしょう。これは自然なことです。
そして私たちは誰でも自分を責めているときには、一番身近な人も一緒に呪いにかけてしまっているのです。
罪悪感を持ち続けていると、問題に向き合う力がなくなってしまうのです。
状況を変えてゆくことが真実の望みなのに、これでは本末転倒です。
誰でも問題が起きれば自分を責めてしまいます。
それが家族関係であればなおさらの負担になります。
誰でも・・つまり、これは「特別なあなただけの問題」ではないのです。
あなたは間違っていないし、ベストを尽くしてきました。
完全な人間など、どこにもいません。
どんな問題も「責める」という誘惑に引っかかった分だけ慢性化し、解決不可能になってゆくのです。
“罪悪感は百害あって一利なし”ということを、よく覚えておきましょう。
無罪さや無垢さをもってこそ、状況に光をもたらすことができるのです。
『受容』~起きていることを、ただそのまんま、受け入れること~
まずは「ああ、こういうことが起きているのだな」と、ただ認識しましょう。
達観は、問題と癒着をしないための一つの手法です。
家族よりも専門家のほうが問題解決できる場合が多いのは、家族の方が専門家よりも愛が少ないのではなくて、家族は「癒着」をしてしまうから、的確な判断が下せないのです。
自分の失敗のように感じることを「癒着」といいますが、これがあると必要以上に甘やかしたり責めたりと、解決困難になってしまうことがほとんどなのです。
真剣になるのは素晴らしいのですが、「深刻」になってしまうと、問題が長引くのです。
『受容』とは、古くからの女性性の手法なのですが、善悪や優劣などの判断をせず、ただ受け入れることで、さまざまな囚われが消えてゆくのです。
受容がうまくいくと、起きていることをくすくすと笑えるくらいの心のゆとりが出てきます。
意識に変革が起きることで、私たちは緊張感から解放されます。
問題に囚われの身のお母さんまでも、解放感からホッとして、出口を見出すかもしれません。
たいした努力をしなくても、次の段階に進めるかもしれないのです。
罪悪感を手放すことと、『受容』を選ぶこと。
いずれもセラピーなどで練習し、熟練してゆくことができますから、よかったらお試しになってみてくださいね。
ご依頼者さまとご家族の皆さまが、誰も自分を責めませんように。
さらに深いレベルのつながりを思い出し、たっぷりの愛で十分に満たされますように。
ありがとうございました。
(完)