幸せになることはいいことのはずなのですが、そのことに私たちは罪悪感を抱いてしまうことがあります。
幸せだけじゃなく楽しむことへの罪悪感もあります。好きなことをする罪悪感や楽になることの罪悪感というのもあります。
なぜなのでしょう?今回は幸せになる罪悪感をご紹介いたします。そして幸せを受け取っていきましょう。
幸せになる罪悪感
人を傷つけてしまったとか、嘘をついちゃったと思うと悪いことをしちゃったと思うので罪悪感を感じるというのは、そうシチュエーションなら罪悪感を感じるというのは、あなたも想像できるかと思います。なんとなくわかりますよね。
これは何かしてしまった罪悪感です。
助けを求めていたのをしっていたのに見て見ぬ振りをしてしまったとか、電車の中でおじいさんに席を譲ってあげたほうがいいなぁと思っていたけどしらんぷりをしてしまった(やったほうがいいなぁと思うことをやらなかった)など罪悪感を感じるということも想像しやすいと思います。これもわかると思います。
これは何かをしなかった罪悪感です。
しかし、何かしてしまったわけでもなし、やったほうがいいなぁと思うことをやらなかったことでもないのに罪悪感を感じることがあるんですね。
それは幸せになる罪悪感なんです。
幸せになることに罪悪感を抱くことがあります。
幸せだけじゃなく楽しむことへの罪悪感もあります。好きなことをする罪悪感や楽になることの罪悪感というのもあります。
幸せになることや、楽しむことや、好きなことをすることや、楽になることは悪いことをしているわけじゃないのになぜ?
全部良いことであるはずなのになぜ罪悪感なの?と思われたかもしれませんね。
不思議なことですよね?
では、どんな時に幸せになる罪悪感を感じてしまうのでしょう?
それは自分のまわりの人が幸せでない時なんです。
周りの人と言っても周りの人全員という意味ではないです。
自分に関わりにいる誰かという意味になります。
両親だったり、おじいちゃん、おばあちゃんだったり、親戚だったり、仲の良い人だったり、パートナーだったり。
自分の周りの人が幸せで無いときに自分だけが幸せになるということに罪悪感を抱いてしまうことがあるようです。
例えば、お母さんと一緒にお父さんの看病・介護をしているご家庭の方がいらっしゃったとします。
二人でお父さんの看病・介護をしている生活をしているんです。
お父さんは大切だとしても看病・介護という作業はたいへん労力がいります。
看病疲れ、介護疲れという言葉があるくらいですから。
しかし、年頃になった子どもは結婚することになり実家をでることになりました。
大好きな人と結婚をする。二人だけの愛の巣をつくり夢の新婚生活。新婚生活がはじまったら休みの日は二人でカフェにでかけのんびりコーヒーを飲んだり、時々旅行にいったりしようねと約束しているんです。想像しただけで幸せです。
そんな時に思うんです『お母さんが苦労して大変な思いをしているのに私だけ幸せになって申し訳ないと。私がいなくなる分お父さんの看病・介護をお母さんに全部まかすことになるのに私だけで休みの日にのんきにカフェでコーヒーを飲んでいるって申し訳ない』と。
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・幸せになる罪悪感
お母さんは大変な思いをしている→なのに私は幸せでごめんなさい。
・楽しむことの罪悪感
お母さんは楽しいことがない→なのに私だけ楽しんでごめんなさい。
・好きなことをする罪悪感
お母さんは好きなことをする時間がない→なのに私は好きなことをしてごめんなさい。(好きな人と旅行など)
・楽になることへの罪悪感
お母さん看病・介護で大変→なのに私だけ楽をしてごめんなさい。
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という具合に周りの誰かが幸せでないように見えるときに、幸せになる罪悪感を感じることがあるようです。
こういう罪悪感を感じるタイプの人はやさしい人、思いやりがある人、人を助けたい人、良い人が多いんです。
良い人だけに『私だけ幸せになって』とか『私だけ楽しんで』とか『私だけ・・・』と思っちゃうようです。
私だけ・・・と思っちゃうと、幸せを受け取ることとか、楽しむこととか、好きなことをするとか、楽になることを受け取ることにブレーキをかけてしまいます。
そう感じちゃう人は一度立ち止まって考えてみましょう。
前文の例を使うとこんな感じで。
私だけ幸せになっちゃうのは申し訳ないと思う、だけどそう思って幸せを感じちゃいけないと思うことで幸せを受け取らないようにしたら、果たしてお母さんは幸せになるのだろうか、楽になるのだろうか、喜ぶのだろうか?と。
『私だけ・・・』と罪悪感を感じるので自分が幸せになることを受け取らないようにしても、お母さんは幸せになれないし、楽にならないですし、喜ばないでしょう。
それどころか子どもが幸せでなさそう・・・と心配や気苦労が増えてしまうかもしれません。
あなたが幸せになるとしたら、あなたのことを大切に思っている周りの誰かにとって喜ばしいことのはず。
前文の例えを使うと、子どもが幸せになっていくはお母さんにとって喜ばしいことであり幸せな気持ちになることなのかもしれません。
そう考えると、あなたが幸せになることは、それを見るあなたのことを大切に思う誰かを幸せな気持ちに導いていくことであるのです。
だから、あなたは幸せになることに、楽しむことに、好きなことをすることに、楽になることに罪悪感を抱かないでくださいね。
あなたは幸せになっていいのです。
楽しいことをしていいのです。
好きなことをしていいのです。
楽になっていいのです。
そして、あなたが幸せになることで幸せにできる誰かとは誰なのでしょうね?
(完)