あなたの周りにもこのような厳しいことを言う人はいませんか?
弱音を許してくれず、もっと○○しなくちゃいけない、もっと○○できるようにならねばならないと言うような人です。
そういう人がいるとつい弱音を言っていけないような気がしてしまい弱音をいいたくなる自分が未熟なような気分がしてしまったりします。しかし人間ですから弱音を言いたくなることがあってもいいんです!
弱音を言いたくなることがあってもいい
ある日のことです。
私は東京で19:00から21:00まで講座をした後ご飯を食べずにホテルの部屋で原稿を書いておりました。
原稿を書き終えると23:00近くになっていました。
それから夕食を食べようと街に出るのですが時間が時間だけに空いている店は少なく、居酒屋のような夜遅くやっている店がちらほらあるだけでした。
そんな訳でその日は居酒屋で夕食をとることになりました。
その居酒屋は狭く私が座ったカウンター席なんかは隣の人の肩と触れ合ってしまいそうなくらいの狭さでした。
そのため聞くまいと思っていてもその狭さから隣の人の話が良く聞こえます。
隣の方は2人組で、その一人が仕事のことを嘆いておりました。
「客に理不尽なことばかり言われてさぁ・・・もう俺怒られ疲れたよう」と嘆いている声が聞こえます。
耳に入ってくる声に『怒られ疲れたって言うくらい、怒られるって大変だなぁ』と思いました。
話しを聞いているおそらく同僚と思われるもう一方の人がねぎらい、励ますのかなと思っているとそうではありませんでした。
「そんなことで怒られ疲れたなんて甘ったれたこと言っているなよ!仕事に対する姿勢が甘いんじゃないか。ありがたいお客様の声と思えるくらいになれよ」と叱咤しているではありませんか!
ひょぇぇぇぇぇー厳しいと思ったのを覚えております。
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あなたの周りにもこのような厳しいことを言う人はいませんか?
弱音を許してくれず、もっと○○しなくちゃいけない、もっと○○できるようにならねばならないと言うような人です。
人間ですから弱音を言いたくなる時もあれば、前向きに考えられなくなることもあります。
人間ですからそういう時もあっていいはずです。
しかし厳しい人にそれを許してもらえず、まるでそれが弱いことのように、また甘い考えのように言われてしまい、そしてもっと○○しなくちゃいけない、もっと○○できるようにならねばならないと言われてしまうと、そう思う自分がまるで未熟だったように思えてしまうことがあります。(そうではないですよ)
『そう思自分が未熟なんだ』『そう思う自分が甘いんだ』『そう思う自分が弱いんだ』と自分が未熟だったよう思い込んでしまうんです。
そう思い込んでしまうと、その未熟さを正せねばともっと○○しなくちゃいけない、もっと○○できるようにならねばならないと強く思ってしまったりするのです。
例えば、先ほどの居酒屋さんの話で言うと、『弱音を言いたくなる自分の考えが甘かったんだ、もっとお客様の声とのありがたいと思えるくらいになられば』と思ってしまう感じです。
そんな経緯でもっと○○しなくちゃいけない、もっと○○できるようにならねばならないと思っていくと、弱音を言いたくなるような気持ちがその後生じても、その気持ちを封じ続けなければと思います。
そしてより強くもっと○○しなくちゃいけない、もっと○○できるようにならねばならないと思ってしまいます。
過度にもっと○○しなくちゃいけない、もっと○○できるようにならねばならないと思うようになっていくわけです。
弱音がでてきてしまう自分を嫌い、そして弱音をはけなくなり、もっと○○しなくちゃいけない、もっと○○できるようにならねばならないと過度に自分にプレッシャーをかけていると心が疲れてしまいます。
前回に過ぎたるは猶及ばざるが如し(すぎたるはなおおよばざるがごとし)という内容を書かせていただきましたが、過度な状態になってしまうと心が疲れやすくなってしまいます。
過度な状態になっている時は過度になっている部分を修正してあげることがいります。
弱音を言いたくなることがあってもいいし、前向きになれないことがあってもいいことを自分に許してあげようと思ってみてください。
もっと○○しなくちゃいけない、もっと○○できるようにならねばならないと思いすぎなくていいんだと思ってみてください。
そう思っていくことで過度に思い込みすぎている部分を修正してみましょう。
人間ですから弱音を言いたくなる時もあれば、前向きに考えられなくなることもあっていいんですよ。