『何もしてあげれてないな』とか『助けれていないなぁ』という罪悪感を感じがちな方って優しい人が多いんですね。優しいからこそ何かしてあげたいし、助けてあげたいと思うんですね。
その何かしてあげたいとか、助けてあげたいと自分が思ってる気持ちをほど、現状が良くなっていないことに罪悪感を感じるんですね。何かしてあげたいと思えることが素晴らしいだけであって、何もしてあげれていないと自分を責め無くともいいのです。
何もしてあげれてないという罪悪感
『何もしてあげれてないな』とか『助けれていないなぁ』という罪悪感を感じがちな方とお話をさせてもらうことがあります。
例え話を使って説明をさせていただきますね。
実家のお父さんが頑固者で、その頑固ぶりにお母さんも実家に住む兄弟もうんざりしており家では浮いている存在になっているご家庭を持っているとします。
『お父さん浮いてるなぁ・・・孤独だな』と思うので実家に帰省する度にお父さんに関わり「お父さんのほうからお母さんに歩みよってみなよ」と進めたりするのですが、頑固なお父さんは全く態度を改めようとせず、実家で浮いてる存在であり孤独な状態は微動だに変わらないままだとします。
そして実家から自分の家に帰ってから思うんです『何もしてあげれてないな』とか『助けれていないなぁ』と。
そんな罪悪感が蓄積していくと、罪悪感を感じる対象に(この例え話でいうとお父さんに)関わるのがしんどくなってくるんです。
その理由は、関わると罪悪感を感じてしまうからなんです。
そして関わるのがしんどくなっていくと実家に足を運びづらくなってしまったりします。
何もしてあげれてないと思う人は何かしてあげたい人
『何もしてあげれてないな』とか『助けれていないなぁ』という罪悪感を感じがちな方って優しい人が多いんですね。
優しいからこそ何かしてあげたいし、助けてあげたいと思うんですね。
その何かしてあげたいとか、助けてあげたいと自分が思ってる気持ちをほど、現状が良くなっていないことに罪悪感を感じるんですね。
何かしてあげたいし、助けてあげたいという優しい気持ちがなければ、『何もしてあげれてないな』とか『助けれていないなぁ』とかも感じないんです。
相手のために、そんな気持ちを持てるということは美しいことと思うんです。
そんな優しい気持ちを持っていることだけでもすばらしいことだと思うんです。
罪悪感を感じることを無くしていく為に、まずは相手のことを思っている美しい気持ち、優しい気持ちを持っているすばらしさへの気づきを深めて自分を承認していくことをしてもらいたいなぁと思います。
それが罪悪感を無くしていく一歩になっていきますから。
例えば、お母さんも実家に住む兄弟もうんざりしており家では浮いている存在になって孤独になっている頑固なお父さんの話を例え話でいうと、お父さんの為に『何もしてあげれてないな』と思ってしまうほど何かしてあげたいと思ってくれる人がいるというのは、お父さんの人生は本当に孤独にはなっていないと言えます。
このようにお父さんのことを思ってくれる人がいる人生と、いない人生では孤独度は違ってくるでしょう。
『家では浮いている存在かもしれないけど自分が相手のことを思う気持ちを持っているだけでもお父さんの孤独度やは違うのかもしれないなぁ・・・』というふうに相手のことを思っていることを承認できるポイントを見つけてみるんです。
自分で見つけにくい時は人のサポートを借りるといいと思います。
そして、『自分がしてあげたいほど状況を変わってないかもしないけど、何かしてあげたいと思っただけでもすばらしいことだ。自分なりに関わったことは意味があるんだ』と自分を承認してあげるんですね。
そして、そんな愛なる気持ちをもったことが素晴らしいのであって、罪悪感は持たなくていいんだと自分に許しを与えてあげましょう。
しかし『何かしてあげたいと思っただけで、何も変わってないよな・・・・』とエゴはあらゆる角度から自分も責める理由を見つけ出してくるかもしれません。
何度も何かしてあげたいという愛なる気持ちをもった自分はすばらいんだ!とご自身を承認して、罪悪感は持たなくていいんだと自分に許しを与えてあげてください。
そう何度も思っていくと罪悪感が少なくなっていき心が軽くなっていきます。
罪悪感を無くしていくと相手に関わりやすくなっていきます。
すると実際に何かしてあげれれる可能性も高くなっていくことでしょう。
愛なる気持ちを持ったご自身を承認してあげ、そして罪悪感は持たなくていいんだと自分に許しを与えてあげくださいね。
(完)