シャドウは自分が持っているとは認めたくない要素なのですが、本当はそのシャドウとなる要素にあこがれていたり、自分も欲しかったりと思っていることもあるんですね!
そしてその思いを見ていくと、本当はその要素を持っていたかったにもかかわらず、持つことが出来ない環境や状況があったという痛みがくっついていることがあります。
その痛みを癒していくとシャドウが消え、魅力に変わっていきます。
欲しかったものを取り戻す
シャドウとは自分が持っていると認めたくない要素であり、認めなくないので心の中に抑圧しているというもので、いわば受け入れがたい自分の影の面、または認めたくない自分の暗黒面とも言えるものです。
この自分が持っているとは認めたくないとうのは、その要素が純粋に嫌いだからという訳ではないことがあります。
本当はそのシャドウとなる要素にあこがれていたり、自分も欲しかったりと思っていることもあるんですね!
例えば、甘え上手でかわいがられ上手な人と接していて「なんか嫌だなぁ」「自分で頑張ろうとせずに、すぐに人に甘えようとして腹が立つわー」と否定的な感情が過度に涌いてきたとします。
人に甘えるという要素や、頑張らなくても可愛がられるという要素や、依存的な要素がシャドウになっていたとします。
本人的には、こんな面が自分にもあると思っていませんし、持ちたいとも思っていません。(だからシャドウなんですね)それくらい本人的には嫌な要素になるわけです。
表面的には、人に甘えるという要素や、頑張らなくても可愛がられるという要素や、依存的な要素を嫌っている自分がいるのですが、深層心理を見ていくと本当は自分もあんな風に出来たらと憧れていたり、自分もああいう面を持ちたかったという思いが隠れていたことが見つかることがあるんですね。
そしてその思いを見ていくと、本当はその要素を持っていたかったにもかかわらず、持つことが出来ない環境や状況があったという痛みがくっついていることがあります。
例えば過去の体験で子供の頃の家庭環境で親が離婚し一緒にくらすことになったお母さんが家計を支える為に働きにでることになる環境になることで、自分も子供ながら弟妹の面倒をみなければいけなくなり早くから自立しなければならなかった環境があるとします。
すると『お友達みたいにお母さんに甘えたいのに』『私も面倒見てもらいたいのに』などの甘えたいという気持ちを持っていると、持っていても手に入らないのは苦しくなるので甘えたいという気持ちを持っているというのを否認し抑圧することで、その現状を乗り越えようとします。
そうすることで乗り越えなければいけなかったという心が痛む経験を通して甘えるという要素がシャドウになってしまっていたということがあります。
また、両親は頑張ったときしか褒めてくれなかった、ありのままの自分を受け入れてくれなかったという悲しい体験が頑張らなくても可愛がられるという要素をシャドウにしてしまっていたということもあるでしょう。
過去に付き合った彼氏との関係で「もっとしっかりした子が好きなんだ」と言われて降られたというとても傷ついた失恋が依存的な要素をシャドウにしてしまったこともあるでしょう。
このように本当は持っていたかったけど、悲しい体験、寂しい体験、傷つく体験で持っていられなくなりシャドウになってしまったということがあるんですね。
この持っていたかったけど持っていられなかった悲しみ、寂しさ、傷ついた痛みを感じて受け入れていってあげるとシャドウがシャドウで無くなっていくんです。
例えば上に書いた例えを使うなら「本当は甘えたかったんだなぁ」とか「頑張らなくても認めて欲しかったんだなぁ」とか「彼氏に受け入れもらえなくて悲しかったんだなぁ」というふうに感じていき悲しみ、寂しさ、傷ついた感情を感じきっていき、その思いを受け入れていくんですね。
そうすると、シャドウが無くなるだけでなく、そのあこがれていたり、自分も欲しかった要素を自分も持つこともできるんです。
シャドウを無くすだけでなく、あなたの魅力の幅も広がるんですね。
本当は持っていたかったのにも関わらず、持つことができなかった要素がシャドウになっていた時は、心の痛みを癒してあなたの持っていたかったものを取り戻せるといいですね。
(完)