生き詰まり

相談者名
Charis
こんにちは。
初めてこちらで相談させて頂きます。以前から私は自分の事がよく分からず、周りに流されて生きてきました。
昔から何をやっても上手くいかず、自分に対してずっと自信を持つ事が出来ませんでした。

人よりも上手く出来ない自分、
そのせいで周りの人に迷惑をかけてしまう事もあり、
私は長い間「自分なんていらない」「他の人と同じようになりたい」と考えていました。

傷つく事が極端に恐ろしく、何かを自分から行動するという事が出来ません。

現在、求職中なのですが、これまで自分が歩んできた時間を振り返り、
「このまま自分から目を背けて生きていくのはイヤだ」と強く感じるようになりました。

私には以前から漠然とした目標はあるのですが、(特定の職業につく、というものではありません。)その為にどうすればいいのかわかりません。

また時間的な焦りもあり、このままでは私はまた流されるままに生きてしまうのでは、と思うととても不安で悲しくなります。

自分がどうしたいのか、具体的な所が分からずとても苦しいです。

自分の事は自分にしか分からないと思いますが、私はどうやって自分と向き合えば良いでしょうか?

カウンセラー
三好成子
こんにちは、Charis様のご相談を担当させていただきます、
三好成子と申します。まず、最初に

時間がないと感じる

という感覚についてお話しをさせていただきますとね

時間が無い=頑固さの表れ

だと言われることがあって

それは「そう簡単には意識を変えられない私」
というものがあると言うのです。

そして、しんどさ(辛さ、息苦しさ)は、
心で感じることと、頭で考えることに
ギャップがある時に湧きあがってきたりもします。

今やりたいと思っておられる『漠然としたもの』の輪かくを
浮き彫りにしていく事、
夢を具体化していくことから始めていくというのが良いのかな?と思います。

Charis様の目指す方向と、現実のギャップはどれくらいあるのでしょうね。

ギリシャ神話での《Charis》は
優雅さや優美さの神とされているようですね。

Charis様の行きたい先、
なりたい自分のイメージを
ペンネームにされておられるのかな?
という想像をしています。

自分のなかに無い物には反応しないと言われているのです。

ギリシャ神話の中にもいろんな神様が書かれていて
その中で優雅さのシンボルである《Charis》を選ばれたということは

Charis様の中に間違いなくその要素があるからなのですね。

私たちは、
自分の中にあるもの、
自分の心が反応するものだけを選んで
見て、聞いていると言われているのです。

同じ映画を観たとしても
人それぞれに印象に残るものや
見ているポイントが違ったりしますよね?

ストーリーについて語る人がいれば
衣装や背景が気になる人
出演者の良し悪しだったりとか

このように、同じものを見ていても
そこから感じ取るものはそれぞれで良いのですよね。

だけど
なぜか

同じように見なければいけないと思ったり

違う意見があるのだけど

言うと笑われるとか、
または
怒られる、嫌われるのではないかという
感情が出てくると

自分の感想や、感覚、感情という
『感』を秘めてしまう様になってしまうのです。

こう思ってしまうには
今までの経験の中で、自分の『感』を表現したときに

ネガティブな対応をされたということがあったのかも知れません。

そして
自分が何も感じないように、人と同じように感じるように
練習をしていったのでしょうか?
そうしていくと

どんどん自分の感情を出さないようにしていくので
自分が何者なのかがわからなくなってしまうのです。

自分が何者かがわからないと
自分が何をしたいのかわからなくなってしまいますよね。

なので
まずは

自分が何をしたいのかを『感じる』ことを練習していきましょう。

何をしたいのかを感じるというのは
難しく聞こえますが

うれしい
たのしい

という感覚が起きるものを見つけていくのが良いのかな?と思います。

今までそういう感覚を持って生きてきていなければ
好きとか、楽しいとか、嬉しいとか

そういう感覚さえわからなくなっていることも考えられますね。

そういう時は
本屋さんに行くとか、いろんな情報が集まったようなところにふらっと
目的無く立ち寄って

その時目についた、気になった本を手に取ってみて
『ふぅ~ん』面白いかも?と思ったものが
今のあなたの心が求めているものだと思ってみてくださいね。

こういう興味はコロコロ変わっても良いんです。
どんなに小さくてもいいから
どんなにばかばかしいようなことでも良いので

ちょっとでも興味があるものを
自分に自覚させてあげましょう。

真面目な人は全うさせようとします。
やり始めたものはやりとおさねば!と思う様です。

でも、本当に好きなものが出来るまでは
ちょっと良いかも?
なんとなく好きかも?

を集めたり、飽きれば手放したり繰り返していくうちに
自分の好きなことの感覚が戻って来ると思いますよ。

すると
自分の個性が見えてきて
自分を必要としてくれる場所がどこなのかが
見えてくることもあります。

人と同じことが出来ない・・・と悩む人は
人と同じではないところに才能があるはずなんです。

才能とは
一番悩みの深いところに眠っているとも言われます。

Charis様の文章を拝読させていただいていますとね
人とのつながり、人の気持ちを
とても大切にされている方なのだという事が良く分かりますね。

目の前の人と真摯に向き合い
この人のために何が出来るだろうと
そう思ってここまで来られたのかな?と
想像しています。

Charis様の優雅、優美さと
人とのつながりを大切にしたいと思う気持ち

そして
周りに流されるという表現ですが
周りの気持ちを汲み取り合わせていけるという才能でもあるのでしょうね。

今まで抑えていた分
Charis様のなかの『感』が蓄積されて出番を待っているようですね。

何かの表現者としての才能があるのかも知れませんね。

物事は
すべて両面で見ることが出来ます。

短所として見ていた部分は
すべて長所として見られると言いますからね。

そして、
案外その部分が
才能であったりもするのです。

自分の中のあふれんばかりの 能力に気づけると良いですね。

ご相談ありがとうございました。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

「近ずぎてウザい・遠すぎてさみしい」 自身の経験から、人との心の距離感や対人関係の悩みには親子の距離感が大きく関係している事に着目。【母子癒着】といわれるくっつきすぎた心を見ていくことで、人との距離感を整えていくカウンセリングを得意とする。 誰にも言えない気持ちに寄り添ってくれると好評。