私たちは、欲しいもの、大切なものが手に入らないときに怒りを使って我慢しようとします。それが「諦め」です。その心理的背景をご紹介。
“諦め”とは“怒り”の表現のひとつ
何かを諦めるようとするとき、僕達は怒りを使ってその欲求を押さえ込もうとします。
感情のパターンを知るには、子ども達の行動を見てみると分かりやすい(彼らは、感情の塊)ですから、ここでも例えてみましょう。
おもちゃ売り場にて「ママ~、このおもちゃ買ってよ。ねえ、買ってよ~」とねだってる男の子がいます。
ママは「ダメ!この前買ったでしょ?」って優しく諭すものの、男の子は「いやだ、いやだ、欲しいもん。買ってよ」とさらに激しく言い出します。
そこでママも堪忍袋の緒が切れて「ダメったらダメ。ほんとにわがままなんだから。我慢しなさい!」と押さえ込みますね。
そうするとその男の子は「じゃ、いらない!」ってプンと怒って、その場から駆け出します。
そうして僕達は「欲しいものを諦める」時、怒りを使って封じ込めようとするんです。
これは大人になっても同じです。
何度言っても洗濯物を脱ぎ散らかすご主人に対して「もう、あの人には何を言っても無駄なんだから・・・」と諦め顔の奥様。
そこに至るまでにはあの手この手を使って、何とかご主人を変えようとがんばってきたのかもしれません。
でも、もういいわ・・・と怒ることに疲れてしまったときに「諦め」が出てきます。
また、素敵な人と知り合い、恋愛をしても、いつもうまく行かなくなる女性。
「どうせ、私なんて結婚なんてできないわ・・・」と諦めてしまうかもしれません。
でも、そこまでには一生懸命頑張ってきたんじゃないでしょうか?
それでもうまく行かなくて、どうして?って自分や相手に怒りを感じ、やがて自分に愛想を尽かすように(自己嫌悪)、あるいは「男なんて・・・」と絶望し、諦めの境地に至ったのかもしれません。
怒りは「感情のフタ」と言われますが、そのフタが堅固なものになればなるほど“諦めてしまう”ことになるんです。
これは人の成長プロセスで言う「デッドゾーン」に当てはまるところです。
デッドゾーンとは「dead zone」、すなわち、感情が死んでしまったような状態を表すんです。
“諦め”の作るパターン
そんな風に僕達は何かを諦めようとするときに怒りを使います。
でも、誰も好んで「怒り」を感じたくはないですから、諦めてしまっていることに関しては、できるだけ無関心を装おうとするんです。
「結婚なんて無理」と諦めてしまったとしたら、「結婚」というジャンルからはできるだけ遠ざかろうとしますね。
興味のないふりをしてしまいます。
でも、怒りがなくなったわけではないので、友達から“結婚しました”葉書が届いた瞬間に、びりびりに破ってしまいたい衝動に駆られたりします。
そこで自立的な人の場合は強がって、その怒りを抑圧します。
「結婚することに意味なんてないわ。わざわざ苦しもうとするようなものよ」
依存的なタイプならば、きっと愚痴や恨み辛み、嫉妬が出てくるでしょう。
「きっとあの子は幸せになれないに決まってるわ」
そして、一生懸命、より強く感情を抑圧し、デッドゾーンを深めていくのです。
また、諦めていることが多くなると、無気力にもなっていきます。
感情を感じないようにすると、ネガティブなものだけでなく、嬉しい、楽しい、気持ちいいといったポジティブな感情も感じられなくなるからです。
もちろん、将来に対して希望も持てなくなることが多いです。
「諦める」くらいのものって、本当は「すごく欲しかったもの」に違いないと思いません?
どうでも良いものだったら、わざわざ諦めるんじゃなくて最初から「興味ない」ことですよね。
だから、何かを諦めてしまうということは、同時に自分にとっての希望の光を自分で消してしまうことになるんです。
「何も楽しいことなんてない・・・」
と感じるとき、あなたは何かを諦めてしまっているのかもしれませんね。
“諦め”と“手放し”
諦めてしまうと希望が見えず、いつもつまらなかったり、絶望を感じていたりします。
心がシーンとなってしまうような感じですね。
先ほど書きましたように、諦めてしまうためには、頑張って、頑張って、何とかしようとした時代があります。
だってすごく欲しかったものですから。
でも、それがうまく行かなかったときに「もう、諦めよう」とネガティブな選択をしてしまうんです。
似た言葉に「手放し」があります。
“手放し”と“諦め”は“卒業”と“中退”くらいの違いがあります。
学ぶべきことをきちんと学び、卒業することを“手放し”といい、
一方、学ぶべきことを(不可抗力があったとしても)投げ出してしまうことを“諦め”といいます。
だから、手放した時にはすっきりし、諦めた時にはあんまり気分が良くならないんです。
絶望に向き合う
諦めてしまっている領域と向き合おうとするのは、そこへ至る頑張ってきた経緯や今の無気力さが邪魔してなかなか勇気が要ることです。
諦めてしまった領域にもう一度光を差し込もうとするのは、まるで苦労して閉ざしてしまった扉をもう一度開け放とうとするに等しく感じます。
だから、何よりも絶望が出てきます。
めんどくさい・・・
そんなことしても意味がない・・・
無駄だよ・・・
そんな無気力な言葉が自然と口を付いてくるかもしれません。
要するにとても嫌なんです・・・。
でも、自分を変えていくとき、あるいは、今のパートナーとの関係性を変えていくには、この領域を付きぬけていく必要がある場合も多いのです。
「またうまく行かなかったら?」という恐れも出てきます。
「じゃあ、私が間違っていたというわけ?」と自分を否定されたように感じることもあるかもしれません。
そういう気持ちを否定する必要はありません。
今、それを感じるのならば、そこからがスタートになります。
でも、その時点で、すでに向き合い始めているんですよ。
今感じる一つ一つの気持ちを受け止めていくことが、感情と向き合うことです。
感情を感じていれば、そのうち違う感情に変わっていきます。
“諦め”の持つ可能性
諦めに至る、絶望を感じる仕組み(考え方、価値観など)が自分の中にあることを知り、それを理解し、変えていくことで、“気がつけば”絶望の中に一筋の光明を見出している自分に気付けます。
諦めてしまっている領域に光を当てるということは、未開の大地を切り開く様子に似ています。
あらゆる可能性がそこに眠っていることも少なくありません。
特に遠い昔に諦めてしまったものを取り戻していくプロセスでは、その人の持つ才能や魅力が次々と開花されていきます。
「もう恋なんてしない」と諦めてしまった方が、もう一度「素敵な恋をしたい」とチャレンジするのは勇気が要ることです。
その時、過去の失恋の痛みが出て来たり、その頃の自分を振り返ったりすることで、新しく学べることがたくさん出てきます。
誤解に気付けることも多いし、眠っていた魅力に気付き始めることもあります。
そんなときは、まるで自分が新しく生まれ変わったような実感を持つんですね。
それが希望になり、また、何とかなりそうな予感を抱かせてくれます。
物事がうまく行かないな・・・と感じたときは、あなたが諦めてしまっていることに目を向けると良いのかもしれません。