心がショックから立ち直っていくプロセス(1) ~第一段階:心理的パニック状態~

災害や事故、病気や事件、仕事や人間関係のあらゆるトラブルまで、あなたの身に降りかかってきた辛いできごとは、どのようなプロセスを経て癒しへと向かうのでしょうか?

まず、ショックなできごとが起きたとき、人の心は一瞬麻痺し、そして、「そんなことはありえない」と否定しようとします。そして「どうしたらいいのか分からない」というパニック状態に陥るものです。そして、「なぜ、自分がこんな目に合わなければならないのか。自分の何が悪かったのか」という怒りや罪悪感のプロセスを経るのです。

その後、心は現実逃避に入ったり、絶望に打ちひしがれたり、あるいは抑うつ状態に陥ったりしながら少しずつ現実を受け入れ、そして、「ま、いつまでもくよくよしていても始まらないよな」と前向きな諦め状態に入ります。

そして奇跡とも言える再生のプロセスに入ります。それはまるで新しい自分に生まれ変わったような感覚をもたらし、以前とは別人のように成長した自分になっていきます。そして、そのできごとに感謝の念すら抱くことができるのです。

そのようなミラクルなプロセスを4回にわたってお届けしたいと思います。

ショックなできごとがあった直後、心は防衛本能が働きます。あまりに辛い現実を直視しなくても済むように、感覚を麻痺させるのです。しかし、現実はあまりに受け入れがたく、よって「そんなことがあるわけがない」と否定したくなるんですね。でも、現実は現実。

それが分かってくると今度はパニック状態に陥ります。そんな状況において、周りの人はただ傍にいて話を聴き、手を握り、抱きしめてあげることが一番のケアだと思うのです。

地震などの災害から、大切な人の死、事件、事故、病気、さらには、リストラや仕事上のトラブル、失恋や離婚話、浮気問題、友人とのトラブルのように心理的にショックを受けたあと、人の心はどのように移り変わっていくものでしょう?

そのショックの大きさによって、または、その種類によってそれぞれのプロセスの進み方はケースバイケースですが、心は強く、そして、人は時間や人の愛によって癒され、快復していきます。
そのプロセスを今回はテーマとして取り上げたいと思います。

なお、この執筆に当たりましては、アルフォンス・デーケン氏著「悲嘆のプロセス」(「死とどう向き合うか?」NHKライブラリー社発行)を一部参考にさせていただきました。

第一段階:心理的パニック状態

大切な人の死に直面したとき、大きな災害や事故に遭遇したとき、または、事件や病気などが降りかかって来た時、さらには大切な人に急に別れ話をされたり、仕事上、信じられないトラブルに巻き込まれた場合等、心理的に大きなショックを受けたとき、人はまず、どのような心理状態に陥るでしょうか?

○ブレーカが飛んで茫然自失に(麻痺状態)

その衝撃が大きければ大きいほど、最初は「無感覚」な状態から始まります。
あまりにショックが大きく、「これは本当に起きたことなのか?」と“夢見心地”になった経験がある方も少なくないのではないでしょうか。
実際に目の前に広がっている景色、突きつけられた現実が、とてもリアルなものとは思えず、他人事のように感じられたり、テレビや映画の世界のできごとのように感じられたりします。

実は、この感覚は心の防衛本能の一つで、大人になり、理性・知性が成長すればするほど、自分自身を守るために起こるものです。
つまり、感情として感じてしまうにはあまりに酷で、自分自身を見失い、危険な状態に陥ると心が判断してブレーカを飛ばすような感覚です。

心が麻痺して無感覚になるので「夢か現実か見分けがつかず、頬をつねりたくなる」わけです。

この段階では「感じていることが真実」です。だから、「いや、これが現実なんだ」と思い込ませたり、思い込もうとする必要はありません。
そのまま心に任せておくといいのです。
そして、周りの人は「ただ、傍にいてあげる」ということが一番のサポートではないかと考えています。
気を紛らわせたり、直面させたり、慰めたりする必要はまだありません。
むしろ、ますます心が硬直化してしまうことも考えられますので、ただ傍に居て、もし、話をしてくれるようだったらじっと聞いてあげる、ということが理想的かな、と思うのです。

○そんなことはあるはずがない。(否定)

そして、その夢うつつの状態から少し抜け出すと、今度は
「いやいや、これは夢であって本当に起きたことではない」
「きっと明日の朝には元通りになっている」
「自分がこんな目に合うはずがないじゃないか」
「きっと誰かが自分をドッキリにかけようとしてるだけ」
「あれは嘘だから、ちゃんと本当のことを言ってもらわなきゃいけない」等々、起きたことを“否定”する状態がやってきます。

心が現実を受け入れられない分だけ、目の前に起きたことを否定したくなるのです。

でも、無理もないですよね。
いきなり大災害に見舞われたり、病気や事故が降りかかってきたり、大切な人の死を宣告されたりしたら、それを「はい、そうですね」と受け入れることなんて到底できません。
「え?嘘?嘘やろ?そんなことあるわけないやん」と思う段階がここなんです。

その否定が強い分だけ、心は傷つき、痛んでいます。

だから、無理に現実を受け入れようとしない方がいい場合も多いんです。
特に周りの方は「そうだよな。夢みたいだと思うよな」とか「うんうん。お前がそう感じるのも無理ないと思う」とか、あるいは、ただ抱きしめてあげるとか、手を握ってあげるとか、“まずは周りの方が、その人を受け入れてあげる”ことが大切だと思うのです。

現実を直視することが心にはものすごく負担になるので“否定”が起きているとも言え、だから、この段階で「これが現実なんだ、よく見ろよ」などのように、押し付けたり、無理に現実感を持たせようとすることはとても危険です。

○パニック状態

そして、時間が少しずつ過ぎて行くと徐々に現実が見えてきます。

そのできごとが本当のことであると、心が受け入れ始めるわけです。
「ほんとうに家がなくなったんだ」
「ベッドに横たわっているのが自分の愛する人なんだ」
「この数値は確かに病気を表している」
「そっか、もう会社に自分の席はないんだ」
「彼は私と一緒にはもういられないんだ」

そうすると、現実の重みが一気に押しかかってきます。

「え?どうしよ・・・どうしたらいいの?これからどうなるの?」

そんな疑問が頭の中を駆け巡ります。
絶望や悲しみが襲い掛かってきて、自分を見失い、その状態を何とか脱出しようと慌てふためいてしまうかもしれません。

特にこの状態では「怖れ」「不安」がものすごく強くなります。
だから、その怖れや不安を解消するために、普段ならありえない行動に出てしまったりします。

「水がなくなるから、買い置きしておかないと」
「食料がないから、とにかく手当たり次第食べられるものを集めないと」
「早く良くなる方法を探さなければ」
「次の仕事を早く見つけなければ」
「早く手を打たないと彼の気持ちがますます離れてしまう」

しかし、ここは自分を見失っている状態。だから、不安から焦りが生じて動いてもほとんど空回りの状態になってしまいます。

後から考えれば「なんであんなことしたんだろう?」と思うことも沢山出てくるでしょう。

だから、この状態では、できるだけ“何もしない”ことが大切なんですね。とはいえ、1人でじっとしているのも不安や怖れが募るもの。
「ま、今は何をしても裏目に出る時期だから、どっしり構えておこう」と思えたらいいのですが、なかなか難しいですよね。
そういうときは、誰かと話をするのが一番薬になると思います。

この最初の段階では一番は1人でいるのではなく、誰かと一緒にいて、そして、話をすることが何よりも安心感を招きます。

ここは「つながり」が一番不安を解消する手段なのです。
もし、あなたの近くにそのような方がいらしたら、そっと側にいて、もし、許されるようであったら手を握ったり、肩を抱いてあげてください。
人の温かみが何よりも救いになる状態なのです。

この時期はケースバイケースで一概には言えませんが、そのショックなできごとが起きた直後から始まり、だいたい数日~数ヶ月の間に渡って起こります。

ただ、この段階であれこれと動き回ったり、何とかしようと働きかけをしたり、無理に現実に自分を迎合させようとしたり、心をコントロールしようとした分だけ、心に係る負担が大きくなり、プロセスの進行を極端に遅くします。
とはいえ、不安や怖れから何かしたくなるのが現実ですけどね。だからこそ、できるだけ人と一緒にいることが大切だと思うのです。

>>>『心がショックから立ち直っていくプロセス(2)~第二段階:怒りと罪悪感~』につづく

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