完璧主義になってしまうのはなぜ?

物事を完璧にやりこうなそうとする完璧主義者。

私達みんなの中にあるこの心理の源と、影響、そして、どうすればいいのか?をレクチャーします。

私達は何かを完璧に成し遂げたいとどこかで感じています。
もし、そうでないとすれば、何かを諦めてしまっているのかもしれません。

完璧なパートナー、
完璧な仕事、
完璧な家事、
完璧な答案などなど。

私達はそんな完璧さを求めて止まないのはなぜでしょうか?

●完璧さを求めるのはなぜ?

それはあなたが両親を「お前ら、完璧に俺を愛してくれへんかった」と攻撃している分だけ強くなります。

私達は幼い頃、両親は神か仏のような存在でした。
その意志によって自分の運命そのものが左右されましたし、何一つ親にかなうものは無かったんです。

ところが、自我が芽生え、視野が広がってくると、あれこれと両親の粗が見えてくるようになります。

「ん?うちの父ちゃん、えらそうなこと言ってるけど、母ちゃんに頭上がらへんのやな。『脱いだものはちゃんと洗濯機に入れなさい!』って僕と同じことで母ちゃんに怒られてるやないの」

「同級生の○○くんのお母ちゃんは若くて美人なのに、うちの母ちゃんはなんでこんななんやろう?」

これは社会性が芽生えた証拠なのですが、子ども心には「親への幻滅」としか映りません。
それまで完璧な両親だと思っていた分だけ、このハートブレイクは大きく、それを機に反抗期に突入してしまう子どももいるくらいです。

完璧な人がいないように、完璧な親もいないんですけど、それが子ども心にすごくショックなんですよね。
特に、親が世間体を気にしたり(これは完璧な社会人、地域人になろうとすることと同じ意味です)、権威を持っていたり(医者や社長など社会的権威を持つと周りはその人に完璧さを求めます)すると、なおさらその傾向は大きくなります。

●完璧にやればやるほど首を絞めることになってしまう

そうして、完璧ではない両親を攻撃していた分だけ、大人になった私達は吐いた唾が返ってくるわけです。

それは大人になっていくにつれて、自分自身が完璧ではないことに気付くからです。
完璧な人なんて誰もいないんですけど、親にそれを期待し、求め、裏切られた(と感じている)以上、自分自身に完璧さを求めなくてはいられなくなるんですね。

ですから、完璧になんでもこなそうとしてしまいます。
でも、当然うまくはできないし、完璧にやろうとすればするほど失敗する確率が高くなるので、今度は私達は自分自身にも幻滅するようになるんですね。

そして、自信を失い、自己嫌悪が強くなります。
ここで失った自信は「自分は本当にここにいていいのだろうか?」などという居場所がない感覚を作り出しますし、「自分は何もできない」と無力感・無価値感を強く感じるようになります。

つまり、完璧じゃない両親や誰かを攻撃している分だけ、完璧じゃない自分は愛されるはずがない、と感じてしまうんです。
(これを“投影の法則”と言います)

そうして、自分の不完全さを許せない分だけ、ますます完璧主義な傾向が強まるのです。

●完璧にできないのならば何もしない

そうして完璧主義になればなるほど、
「完璧にできないのならば、何もしない方がマシ」
になってしまうんですね。

例えば、部屋が散らかっているのに気付いても、今自分が完璧に部屋をきれいにできないのならば、掃除なんかしないほうがマシ、と思ってしまうんですね。
そうするとますます部屋は汚れていきますし、やがて諦めの境地に達します。

だから、完璧主義者の部屋ってのは意外に汚いものなんです。

* 因みに *
完璧主義というのは女性よりも男性に多いんです。
それは男性は種を残す立場だから、より完璧な“男”になって女性に愛されようとするのかもしれませんし、旧来からある“男とはこうあるべき”という姿に縛られやすいからかもしれません。
だから、男性の部屋は目を覆うばかりに汚い部屋が少なくないのかもしれませんね。
* * * * *

そして、それは対人関係にも当然影響します。

完璧なパートナー、完璧な上司、完璧な部下を求めますが、そんな人はいないので、「なかなかいい人いないんだよね」って一人身を貫いたり、一人で何でも仕事を抱えて潰れてしまったりします。

つまり、内面的にも外向的にもどんどん自立度が高まり、「一人で何とかしよう」と考えるようになってしまうんです。

●相手にも完璧さを求めてしまうと・・・

そんな自分にパートナーができると、今度は完璧な彼氏・彼女になろうとして一生懸命考え、努力し、尽くします。
それ自体は素晴らしいことなのですが、問題はその努力や実績を相手にも求めることです。
「つまり、俺はこれだけ完璧にお前を愛しているんだから、お前もそのように俺を愛せ」とやってしまうんですね。

そうすると、彼女も彼女なりに一生懸命やってるし、彼女なりに愛情を注いでくれているのにそれに気付けなくなります。
そうして「自分は愛されてない」とか「俺だけがしんどい思いをしてる」と誤解し、彼女の愛を受け取れなくなってしまうのです。

そうすると二人の関係性はどうなるでしょうか?

うまく行かなくなって当然ですよね。
相手からすれば、嫌なところばかりを指摘されるわけですから。

また、仕事などでは相手の欠点を非難し「○○だから、君はダメなんだよ」なんて攻撃をしてしまいがちになります。
営業でも、開発でも、また、マネジメントでもあなたが完璧にやろうとすればするほど、あなたの周りにいる人たちは常に緊張しています。
あなた自身はそう表立って非難するタイプでなかったとしても、自分に厳しい目を向けていますから、周りの人たちにもその態度が伝わってしまうんですね。

それが「近寄り難い雰囲気」とか「怖い部長」のイメージを作り出すんです。

もし、自分がそういう雰囲気を作ってるな・・・と感じているときは、自分の中にそうした完璧さを求めてはいないかチェックしてみるといいでしょう。
その厳しさが原因なのかもしれません。

●ちょっと足りないくらいがちょうどいい

そうして、完璧な自分(=彼氏、彼女)を求めれば求めるほど、相手の不完全さばかりが目に付くようになり、全然完璧では無いパートナーが手に入るようになります。

つまり、自分のパートナーに不満を感じたり、不完全さ、足りないところを責めたくなったとき、それはあなたが自分にもそれを課し、パートナーのあら探しをしてしまっている状況を表します。

もちろん、理論的に見ればあなたが正しいことも多いでしょう。
でも、本当に必要なのはどちらが正しいか?ではなく、幸せか?楽しいか?ではないでしょうか。

ですから、関係性も自分自身に対しても、ちょっといい加減、足りないくらいがちょうどよいんですね。
自分の不完全さは相手に安心感を与えられる効果もあります。

※一般的にも、初めて出会う人に自分の弱点を見せると相手も安心しますので、良い関係を築きやすいんです。これを心理学では“接種理論”と言います。「予防接種」のように予め“病原菌(欠点)”を入れて“抗体(安心感)”を作るわけです。

完璧さを手放して、自分の不完璧さを許してあげましょう。

完璧ではない部分は今後の成長分にして、自分を責めないように心がけるだけでも、だいぶ違います。
あなたが何歳であったとしても、今の年齢で完成されてしまうことなんてもったいないですよね?
(それは今後の成長分が無いってことですから)

そうした心がけを続ける事で肩の荷がだいぶ下りますから楽に人や仕事に接することができるでしょう。

もちろん、自分の不完璧さ、不完全さを許せたとしたら、その分だけ、人に寛容に、温かく接することができます。
ミスや欠点を指摘して非難するのではなく、それらをカバーしてあげられる人になっていきます。
足りないところを攻撃するのではなく、今ある魅力を承認してあげられるでしょう。

もしあなたがますますそんな人になれたとしたら、どんな人間関係が築いていけるでしょうか?

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