この感情を感じているのは◯◯さんのせいだ!という視点で物事を受けとめている時は、自分の感情が変化さすためには◯◯さんがなんとかしないと自分の感情がどうにかなるように思えません。
自分の感情なのに、自分の感情がどうにかなるコントロール権が自分になくなってしまうんです。
私の感じ方としては◯◯と感じるという視点
例えば、Aさんが「こんな腹が立つ気持ちになっているのは、Bさんのせいだ!」と思っているとします。
こんな感情になっているのは、まるっきりBさんのせいだと思っている時は、腹が立つ気持ちがどうんにかなるのはBさんが態度を変えるとか、その場から立ち去るとか、Bさんが何らかの対応をしないと腹が立つ気持ちはどうにかならなくなってしまいますね。
つまり、その感情がどうにかなる権利はAさんにはなく、Bさんにあることになってしまいます。
Aさんは自分の感情なのに、自分の感情のコントロール権が自分にはなく、Bさんにあることになるのです。こうなってしまうのはもったいないと思いませんか?
被害者の感覚の時は、自分の感情のコントロール権が自分にはないような視点を持ってしまいがちなんですね。
自分が感じている感情の原因を外に起因させる視点である時に私たちは被害者感覚がしてしまいます。こういう時は原因を外ではなく内に起因させる視点を持つといいでしょう。
起こった物事の受け止め方として「こんな腹が立つ気持ちになっているのは、Bさんのせいだ!」と考えることもできるのですが違う考え方もできます。
「Bさんと話していると私は腹が立つ。だけど他の人は仲良くやっている。この違いはなんだろう?」と考えることもできます。
私の感じ方としては◯◯と感じるという視点を持ってみるんです。
そう考えると私としては腹が立つと感じる理由が見つかるかもしれません。
「昔私をいじめた◯◯さんと似ているところをBさんに感じているから腹がたつんだ」
「腹をたているお父さんを投影していたんだ!」
「昔、私をふった彼を感じさせてる人だから腹がたってたんだ!」
「店員だったら私をいい気分にさせるべき!と私が思いすぎてたんだ!」
「上司なら、もっとしかりするべきだ!と私が期待しすぎてたんだ!」
「私がコンプレックスを持ってたんで、それを刺激されてしまってたんだ!」
などなど、なぜ私はそう感じてしまったのかのという理由が見えてくるかもしれません。
こう考えると感情のコントロール権利はAさんにあることになります。
私の感じ方の問題、私の感じ方の傾向として起こっている現象を捉えるので、その感じ方を何とかできる権利を自分自身に取り戻すことができますね。
過去の誰かとの関係の傷を癒すことだったり、観念を手放すことだったり、コンプレックスをなくすことだったり、なんらかに取り組むことにより感じ方のパターンを変えることもできます。
全てこの考えをしましょうという訳ではありません。
嫌な気分になるのは全て自分の感じ方の問題ですと言っているわけでもありません。
物事の受け止めか方が被害者になる傾向が多い場合は、この考えを取り入れていくことで嫌な気持ちになることを軽減できたり、また嫌な気持から抜けだす糸口が見つかりやすくなるかと思うんですね。
●言葉使いを変えてみる
私たちの思考は言葉によって縛られているところがあります。
言葉を変えることによって、被害者の視点での物の受け止めかたを変えていけることもあります。
被害者感覚がある時は、「傷つけられた」「悲しい思いをさせられた」「疲れているのにつきあわさせられた」というような「~られた」「~させられた」と相手が自分の感情や、行動の決定権を持っているような言葉になってしまいがちです。
「~られた」「~させられた」という言葉使いを手放そうと思ってみるんです。
「私は傷ついた」「私は悲しく感じた」というように変えると、私の感じ方としてはそう感じたという視点で物事を受け止められる形になります。
「疲れているけど断りにくかったのでつきあった」というように変えれると、私が行動の最終決定をしたということになります。
相手が自分の感情や、行動の決定権を持っているわけではなく、自分自身が自分の感情や、行動の決定権を持っている形になりますね。
自分自身が感情や、行動の決定権を持っているという感覚を取り戻すんです!
『◯◯させられた』という被害者の立場から抜けだした視点で物事を受け止めれると、被害者感覚の時のしんどい感覚や感情から解放されてやすくなります。
被害者感覚の時のしんどい感覚や感情から抜け出すために、言葉使いを変えてみることに意欲を持ってみるのもいいかもしれませんね。
>>>『被害者感覚から脱出(3)~依存心が被害者感覚を生むとき』~につづく