信頼の心理学(4)~強さ、そして、プロセスへの信頼~

あなたが自分やほかの誰かに見る「弱さ」。

でも、それは常識や固定観念から生まれたものではないでしょうか。一見弱さに見えるものの中に真実の強さがあり、一見強く見えるものが実は強がりに過ぎないことはよくあります。
また、あなたの身に起こる問題の全ては解決可能なギフトばかりです。そのことを全面的に信頼することにより、あなたは人生を劇的に楽に、自然なものに変えて行くことができるのです。

○弱さの中の強さを信頼する。

例えば、あなたのパートナーがとても依存的な存在で「自分がいなければダメになってしまう」と感じられる人だとしましょう。

また、同様なケースですが、仕事の後輩で「自分がちゃんと見てあげなければ何もできない奴」がいたとしましょう。

あなたの中で“どれだけ客観的に見ても”精神的に弱い、能力が伴っていない、病気がちと見えてしまう存在であり、どう相手の価値を見ようにも、現実的に弱ってしまっているのだから仕方が無い、と諦めてしまう相手がいるとしてください。

しかし、そんな“弱さ”の中に“強さ”はちゃんとあります。
実は一般的に私達“強い”と思っているものは、そのほとんどが“強がり”であることが少なくありません。

「“強さ”とは“弱さの中に入っていけるくらいの強さ”」と比喩されます。

すなわち、弱くい続けられるということは、ものすごく強いことの裏返しと言えるのです。
・・・でも、それって全然現実的じゃないよね、、、と感じられるかもしれません。

でも、とても感受性の強い方はその分、人の影響を受けやすく、また繊細な分だけ考え込みやすい特徴を持ちます。
また、人より多く感じるので、反応も強く出て、周りの人が思う以上にダメージを受けやすいこともあるのです。

そうすると、中には普通の人と同じ生活を送ることが困難になってしまうこともあるんです。(時には病人扱いされてしまうことも!)

でも、それは「普通の人」という価値基準に照らし合わせてのことに過ぎないんですよね。
会社で働くこと、学校に行くこと、毎日同じペースで生活をすることなどを“普通”と定義してしまっているとしたら、それができない人を“異常”として捉えてしまうでしょう。

今回のテーマは「弱さの中に強さを見る」なのですが、実は、より深いレベルで言えば、私達が持っている固定観念や常識、普通さ、ルールなどを手放すことの大切さを伝えたいのです。

自分が正しいと思っている価値観によって、どれくらい人を否定してしまうのかを想像してみてください。
自分が常識だと思っていることができない人に対して、どれくらい蔑みの目を向け、否定してきたかと思い出してみてください。

もちろん、あなた自身も誰かに枠にはめられて窮屈な思いをしたかもしれません。

常識や固定観念は、その人自身を見るためには全く役に立ちません。

ですから、その価値基準を手放し、できるだけその人をありのままで見ることが求められているのです。

そうすると、きっと、相手の弱さの奥に、しなやかで、ピンと張った強さを見ることができるでしょう。

これはもちろん、自分自身にも応用ができます。

浮気をされ、弱い立場にあるあなたがいたとしましょう。苦しい中、何ヶ月も何とか頑張って関係を良くしようとやってきたとしたら、それは強さに他ならないと思うのです。
自分の価値を認められないのは弱さかもしれませんが、あなたがやってきたの多くは強さに基づいています。
だから、そんなに自分を責めなくても大丈夫なのです。
カウンセリングの中で、そんなお話をすると、意外な表情をされた後に、少し顔がほころびます。もっと自分を認めて大丈夫だといつも思っています。

そして、自分から弱さの中に強さを見ることができるとすれば、相手を堂々と信頼することができる環境が整います。

浮気を繰り返す弱いパートナーの中にも真実の強さを見て取ることも可能ですし、その強さをあなたが見ることができたとしたら、きっとそれだけで彼は安心して、浮気をやめてしまうこともあるのです。

あなたの近くの人の中にある強さに目を向けてみませんか?意識的に、この人の強さとは何だろう?と思ってみませんか?
そして、もちろん、自分自身の中にその強さを見てあげてくださいね。

○プロセスを信頼する。

私が信頼という言葉をイメージするとき、その最たるものが“プロセス”に対する信頼です。
プロセスというのは、物事が起こる流れと言いますか、全ての過程のことです。

例えば、“パートナーの浮気”というできごとも、突然降って湧いた問題のように見えて、実は、その何ヶ月、何年も前から前触れがあり、相手からのサインがあり、ケンカやすれ違いなどのきっかけがあり、そうしたできごとの流れがあって“失恋”に至りますよね。

その一連の流れのことをプロセスを呼びます。

いいことが起きたときはもちろんOKなんですが、ネガティブなできごとが起きたときに、とかく私達は被害者になって誰かのせいにしたり、運命を嘆いたり、神様仏様を恨んだり、とても否定的な見方に捉われがちです。

しかし、プロセスを信頼するということは、たとえそんなネガティブなできごとが起きたとしても、それは自分にとって学びのステージであり、意味があり、決して自分を傷つけたり、後退させるために起きたことではない、という意識を持つことなのです。

皆さんも過去に起きた辛い経験から、学び、成長した結果、その辛いできごとに感謝の思いを抱いたことはありませんか?

「夫が浮気して、初めて私は夫のことをこんなにも愛しているんだということに気付かされました。そして、いかに夫の愛情にあぐらをかき、受け取っていなかったかも分かったんです。だから、今、私は幸せです。愛の在り処を知り、ちゃんと愛されていることにも気付けたのですから」

「彼に降られるまで、私はほんとうに高飛車で、愛というものについて考えたことがなかった。彼のお陰で私は人の痛みを知り、自分本位ではない生き方を手に入れることができた。だから、彼にはむしろ、感謝している。」

「この病気になったのは、自分のことを本当に粗末に扱ってきたからだと思うんです。『あんた、もっと自分を大事にせい!』て神様が教えてくれたような。もちろん、そう思うまでには時間がかかりましたが、今となれば、むしろ尊い教えくらいに、この病気を捉えられるようになりました。」

プロセスを信頼するとは、自らの身に起こるあらゆることに対し意味を見て、その流れに身を委ねていくことを意味します。
この生き方を学ぶことができれば、本当に楽で、そして、自由に毎日を送れます。

起こることには意味があり、ネガティブな問題は自分を成長させてくれるギフトなわけですから。

川を流れる木の葉が、あらゆる障害物をひょいひょい潜り抜けて流れていくように、また、淀みにハマっても何ら動じることなくそのままでいられるように、私達もあらゆるプロセスを信頼し、そのプロセスに全面的に身を任せることができたとすれば、滝に出くわそうが、急流に押されようが、淀みに足を取られようが、何ら動じることはなくなり、その時々に意味を見出し、喜び、楽しむことができるでしょう。

こんな風に今起きているあらゆることに意味があり、それは学びである、というのは、私は一種の“悟り”だろうと思っているんです。

どんな問題が来ても乗り越えられないことはありません。

私達は自分のほんの一部しか知らないことを、ご存知でしょうか?
自分で「これが私だ」と思うのは、私全体から見て、ほんの数パーセントに過ぎないと言われます。

意識や潜在意識の上の方までは感じられても、潜在意識の深い部分、そして、無意識の領域については、自分でもまったく分からない“自分の世界”です。

自分なんだけど自分じゃない世界がそこには広がっているのです。

だから、あなたの手に負えないと思えた問題がやってきたとしても、それはあなたの無意識が選んだ“ちゃんと自分が手に負え、解決できる問題”であり、よって、何らネガティブに捉えることなく、前向きに解決していける、神様が出してくれた宿題のようなものなのです。

もちろん、その際は“今までのやり方”を手放し、“新しいやり方”を試行錯誤し、学び、発見していく必要があります。
でも、それこそが成長であり、学びであり、心の豊かさ、叡智に繋がるものだと思うのです。

「私は全て知っている」

問題がやってきたとき、そうはっきり声に出して宣言すると役立つことも多いです。
怖く感じるかもしれませんが、一度、やってみてください。
心の中からパワーやエネルギーを感じられる方もきっといらっしゃると思います。

私達の無意識は万能で、あらゆる問題を処理し、解決してくれる能力があります。
だから、自分を、自分のパワーをもっと信頼して大丈夫、と思うのです。
それこそがプロセスを信頼することなのです。

そして、自分を信頼することができた分だけ、あなたは心の中に深く落ち着き、また、しっかりと大地に根を張った“自信”を感じることができるでしょう。

信頼とは、自分自身を越えることによって、人生を楽にするもの、と私は思うのです。

あらゆる問題はギフトであり、あなたにはそれを超えるだけの力がすでに備わっています。
そのことをただ知ることも、また、自信(自己信頼)と言えるでしょう。

皆様の参考になりましたら幸いです。

(完)

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