私達が何かに取り組んでいるとき、これ以上これを続けるべきか、諦めるべきか考えてしまうことがあります。
そして、「止めるのは逃げているのだろうか?それとも前向きな事なのだろうか?」とか「止めないのは執着しているのだろうか?それとも前向きな事なのだろうか?」と考えてしまうことがあります。
では、止めるか否かの選択が、どのような場合「諦め」や「執着」であり、どのような場合にそうではないのでしょうか?
自己否定の気持ちを動機として止めると止めるか否かの選択をした場合には、諦めや執着といったネガティブな選択になり、そうでない場合は、ネガティブな選択にはなりません。
同じ止める、止めないでも、その動機により自分自身がその後何を感じるかも異なり、また何となくその動機が周囲の人にも伝わってしまうのです。
◎リクエストを頂きました◎
===================================
はじめまして。いつも記事をよませていただき、大変参考にさえていただいております。ありがとうございます。私はどこか心の弱い部分(自信のなさ)があります。仕事で自分なりに頑張ってもうまくいかないとき、人に頼って仕事を手放してしまうことが多々あります。自分では、人のほうが上手にやれるんでは、これは自分には無理だろうと思い、手放すんですが。
人から逃げるなと言われます。自分なりに精一杯やった結果なんですが
見切り(言葉が正しいかわかりませんが)と逃げの違いについて教えていただければ幸いです。
===================================
私達が何かに取り組んでいるとき、これ以上それを続けるべきか、諦めるべきか迷うことがあります。
例えば、彼との関係を修復したいと頑張ったけれどもなかなか関係が修復できない場合や、
習い事を始めて3ヶ月経つけれどもどうも自分に合わないと思う場合などがありますね。
また、リクエストをいただいたように、任された仕事が上手く進まなくて、誰かに応援をお願いするかどうか迷う事もありますね。
何かを諦めるようとするときや、何かを止めようとするとき、私達はついついその事から逃げているのではないか、諦めが早いのではないか、我慢が足りないのではないかと思ってしまうことがあります。
しかし一方では、その辛さから解放されたいという思いや、その事に執着せずに手放して、新たな展開を切り開いた方が良いのではないかと思う事もあり、これら真反対の2つの方向がぶつかり合って、えいやっと見切ってしまうこともあれば、逡巡している間に時間だけが過ぎていく・・・つまりその状態に留まるという事になってしまい、辛い状態のままになってしまうという事があります。
このような場合、どのように結論を出せば適切なのか、よりよい選択をしたのかという事が問題ですが、私は大きくチェックするポイントは2つあると考えています。
先ず第1番目は、体に異常をきたしていないかどうかです。
私達には、頭で考えてわかる顕在意識と頭で考えてもわからない無意識があります。
無意識は、頭で考えても分からないのですが、その意志は体を使って表現します。
例えば、朝起きると頭では会社に行きたいけれどもお腹が痛くなって行けない、微熱が出て行けないというような場合があります。
このような場合は、明らかに無意識が拒否していますので、辛い状態を一刻も早く抜け出すことが必要です。色々なしがらみがあったり、思うようにならない事もあるかも知れませんが、そこは自分の健康を守るという考え方で対処した方がいいと思います。
第2番目のチェックポイントは、その事を止める理由が、あるいは続ける理由が、自分自身の見方をネガティブに扱っての考えかどうかです。
ネガティブに扱うとは、例えば「私には価値がない」「私は悪い」「私は迷惑を掛ける存在」など、自己を否定する考え方に基づいて自分を扱う事です。
この自己を否定する考え方で何かを継続する場合は、「執着」ですし、自己を否定する考え方で何かを止めることは「諦め」なのです。そして、その根底には必ず「怖れ」が隠されています。
例えば「彼を諦めたらこんな私には2度といい出会いはない」という自己否定で彼とお別れしないのは執着であり、「こんな私がこの仕事を続けていたらみんなに迷惑をかける」という自己否定で仕事を誰かに代わってもらうというのは諦めです。
前者は「彼を諦めてもこんな私には新しい彼ができる」と思って彼とお別れを決めるのであれば、そこに執着は生じていないこと、後者は「私にはもっと力を発揮できる仕事がある」と思って人に仕事を代わってもらう事は諦めていないことと言えば、分かり易いのではないかと思います。
止めるにしても、止めないにしても、その動機により自分自身がその後何を感じるかも異なり、また、何となくその動機が周囲の人に伝わってしまうというのは不思議なものですね。
また、執着と似て非なるものに「コミットメント」という言葉があります。
コミットメントとは、「決意する」という事です。
執着は、自己否定から生じるものですが、コミットメントは「できる自分を信じる」という自己肯定から生じるもので、対象を乗り越える力を更に強めます。
そして、コミットメントした選択には、「自分で確かに選んだ」という選択の力(この選択の力は、私達が自由を感じられるとともに、私達が持っているとても大きな力です)も強力な後押しの力として加わります。
だから、コミットメントした事柄については、成功の確率がアップするのです。
但し、私達の感情は日々動きます。それ故、気が変わることもあるのですね。その場合には、コミットメントした事柄を止めようかという気持ちになることもあります。
一方、私達は失敗をしたくない、認めたくないという気持ちも持っています。この失敗をしたくない、認めたくないという気持ちでコミットメントした事柄を続ける場合には、それは執着に変化します。
このような場合には、一度それを手放して、手放した事柄も選択肢に含めてもう一度新たな選択をすると良いと思います。
そうすると、執着になりにくく、またよりよい選択を再び行う事ができます。