心には、心が壊れてしまいそうな辛い感情を無意識のうちにスル―したり、感じなくする仕組み(防衛機制)があります。
これは、心を守るための大事なシステムですが、このことで自分の本当の気持ちがわかりにくくなっていることもあります。私たちが、辛い出来事に遭遇すると、その悲しみや怒りばかりでなく、子供の頃、無意識のうちに心の押入れの奥にしまい込んだ未完了の無価値感や罪悪感までが刺激されてしまい、余計に苦しくなることがあります。
この無価値感や罪悪感まで「感じ尽くす」過程で、「愛されない」という否定的な自己イメージの誤解を解き、健康な自己愛を取り戻して、あるがままの感情を感じる自分を許せるようになることを、私たちは「癒し」だと考えます。「感情を感じ尽くす」ことは、どんな自分も受け容れられる、心の自由を取り戻すことでもあります。
◎リクエストを頂きました◎
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「感情を感じ尽くすとそれはなくなる」とよく書かれていますが、それは、「何度思い出しても腹が立つ(悔しい、悲しい)」というのとどう違うのでしょうか。なんとなく「感情を感じ尽くす」=「感情を感じることを許す」で、「何度思い出しても腹が立つ」=「忘れなければと思うのに思い出す」だと理解していますが、解説をお願いします。
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リクエストをありがとうございました。
私たちカウンセラーは、よく「感情を感じ尽くすとそれはなくなる」と言います。でも、実際に、私たちは、何度も何度も、思い出すたびに悔しいとか悲しいという体験をします。それは、「感情を感じ尽くす」こととどう違うのでしょうか?今日は、「感情を感じ尽くす」という言葉を軸に、心と感情の働き、そして「癒し」で私たちがめざすものについて、解説します。
●心には「心」を守る仕組みがある
身体には、「免疫機能」といって、自分の身体に害を及ぼすものを察知して、それから身を守るために必要な物質を作り出して分泌する、あるいはそれに負けない細胞を作る、などの機能があります。心にも、同じように「心」を守る仕組みがあります。
この場合の「心」とは、自分が「私」として認識できる、顕在意識のことですが、その「心」が負担だと感じるような出来事があると、その辛すぎる感情を見ないフリをしたり、押入れの中に押し込めたり、感情そのものをないことにしたり、とさまざまなやり方で、「心」が壊れないように守ろうとします。心理学では、これを「防衛機制」と言います。これは、「心」を守るために必要なシステムで、それ自体悪いことではありません。
●辛い感情は、過去の心の傷を癒してほしい、というサイン
大好きで、尽くしてきた彼に二股をかけられて捨てられた、とします。そんなとき、多くの場合、私たちが最初に感じるのは、「なぜ?」という混乱、「裏切られた!」という悲しみや怒り、そして「復讐したい」という恨みの感情も出てくるかもしれません。
こうしたドロドロとした悪感情は、感じるのがとても辛いので、「怒り」や「恨み」という攻撃的な感情があふれてくると、「そんな風に人を思ってはいけない」、と感じることそのものを否定してみたり、そんな自分が嫌いになり、自己攻撃を始めます。なかなか、「怒り」や「恨み」をそのまま感じ続けることができないものです。なぜなら、それを感じ続けるためには、怒ったり、恨んだりする「自分」という存在も受け容れなければならないのですが、これが、案外、難しいのです。
「どうせ私は悪い子だから」と悪びれるのではなく、ただ、「今、傷ついて、怒っている」と感じられるためには、本来、自分は「愛されるべき存在」なのだ、という健康な自己愛や自尊心がベースに必要です。しかし、多くの場合、私たちは、子供の頃に「私は不十分だから愛されなかった」という無価値感や「私は悪い子だから愛されてはいけない」という罪悪感を感じる体験をしながらも、まだ「心」が十分に成熟していないために、無意識のうちに、心の奥の押入れに放り込んでいるものです。
悪感情を感じると、昔、この押入れの中に隠したはずの否定的な自己イメージが「やっぱりそうだった」と言わんばかりに出てきて、自分は「いい人」だと思いたいのに思えないという、自分の存在そのものに関わる辛い葛藤を引き起こします。
私たちが、「感情を感じ尽くす」という時は、この葛藤を超えて、押入れの中に隠れている無価値感や罪悪感をも感じる、ことを言います。まだ幼い「心」が、先送りし、未完了なまま押入れの中に入れたため、その辛い出来事から本来受け取るべきメッセージを受け取れず、「愛されるはずはない」と思い込んでしまった、その誤解を解いて、どんな感情を感じる「自分」に対してもOKと言えること、つまり「癒し」を目指します。
こうしてみると、現在の問題がもたらす辛い感情は、幼い頃、「心」がまだ未成熟だったために、消化できなかった「過去の痛み」を癒して欲しい、と発している「サイン」のようでもあります。何度も同じ悲しみや怒りがあがってくるのは、何かがまだ「癒し」を待っている、とも言えそうです。
●「心」のキャパシティが大きくなればなるほど感情を感じることができる
もともと「防衛機制」というのは、自分の「心」が、壊れてしまわないように、辛すぎる感情を(感じない)無意識ゾーンのどこかにしまいこんでしまうようなもので、「心」がそれを感じても壊れないほどに成熟すれば、顕在意識に出てきやすくなります。
感情には、殺意を抱くほどの恨みから、自分が死にたくなるほどの悲しみや絶望、また逆に、全ての人を許せるほどの慈愛まで、最低の気分になるものから怖いほどに最高の気分になるものまで幅があります。それを受け容れるということは、最低の自分も最高の自分も「許す」ということにほかなりません。
どんな自分であれ、そのままの自分にOKと言えたなら、「防衛機制」で心をがんじがらめにならなくてもすみます。「感情を感じ尽くす」ことは、心の自由を取り戻すことだと言えそうです。