人や自分のとった言動が、あとから気になってしまうことってありますよね。
「○○さん、なんだか態度がよそよそしいな…。」
「私、何か失礼なことしなかったかな?」
「もしかすると、アレがまずかったかもしれない…。」
「私、嫌われちゃったのかな!?」
「でも、たまたま忙しくて気づかなかったのかもしれないし…」
「考えすぎかな…?」
など、些細なことが気になって頭から離れないときの私たちって、頭の中でこんなやりとりを繰り広げているのかもしれません。
このようなときの私たちの心は不安でいっぱいの状態です。
そして、気になるからこそ、あれこれ想像してしまうんですよね。
誰かに相談して「気にすることないよ」と言ってもらったとしても、気になってしまうときというのは、心の世界では、どのようなことを必要としているのでしょうか?今回は、自分の想いや意識がどこにあるのを追求しながら、ぐるぐる思考を解消するヒントについてお届けします。
◎リクエストを頂きました◎
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他人から「小さなことで気にしすぎ」と言われることが多いです。
考え出すと考えを止めることが出来ず、被害妄想になることがよくあります。
気にしないようにするにはどうすれば良いか、知りたいです。
よろしくお願いいたします。
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リクエストをありがとうございます。
■“気になること”は次に行く時のシグナル
些細なことが気になって頭から離れない時、私たちの心は不安でいっぱいの状態です。そして、気になるからこそ、あれこれ想像してしまうんですよね。
気にしないようにするのが難しいくらい、気になってしまっているわけなんです。
実はこの気になることにこそ、癒しのヒントが隠れているのです。
人に相談して「気にすることないよ」といわれても気になってしまうのは、実のところ、人に認めてもらいたいとか受け入れられたいということよりも、自分自身に対して認めていなかったり許可できていない何かが、心の世界に隠れているから。
このような状態から解消されるには、私たちはもっと自分自身を正しく知って自己肯定的な態度を身につけることで、自身を解放してあげるといいのです。
自分に対する根本的な姿勢を変えない限り、私たちの悩みや問題は影のようにつきまといます。
結局、自分が主体的に生きるということを根本から徹底的に生き方の姿勢として身につけることがとっても大切なんですね。
■些細なことが気になるのはなぜ?
私たちの体験している現実というのは、私たち自身の経験から生み出された観念に基づいているものです。
ですから、ネガティブな観念が多ければネガティブな感情を味わう体験が多くなりますし、ポジティブな観念が多ければポジティブな感情を味わう体験が多くなります。
これは、ポジティブとネガティブのどちらが良い悪いということではなく、私たちは心の成熟度に合わせてポジティブとネガティブという感情のバロメーターでバランスをとりながら成長していくようなところがあるのです。
それは、感情に限らず思考の分野でも同じように行われています。
感情の解釈もまた、どのような視点で行われているかで変わるように、私たちの想いというものが、この両方の領域にまたがって存在するからです。
私のカウンセリング経験では、心の成長プロセスの依存から自立の最初の段階で、最も多く経験する感覚ではないかと思います。
また、気にしすぎや考えすぎに気づいている、自覚している段階というのは、心理学用語では、無意識の意識化、つまり、無意識や潜在意識にあったものが意識に上ってきた段階です。
被害妄想を妄想だと認識しつつ体験している時の私たちは、どちらかというと被害者意識や依存(子供)時代のネガティブな観念を癒したり手放したりできる段階にきているともいえるのです。
なぜならば、妄想していることと事実が異なっているからこそ、ネガティブなイメージの延長で答えを導いてみても正解(真実の答え)にたどりつかないのです。
それゆえに思考が真実の答えを探してぐるぐると彷徨っている状態ともいえるんですね。
ですから、自分自身の答えとして、新しく今の自分にピッタリくる意見が見つかるまで、そこが“気になる”のです。
“私は被害者”だと思って体験することは、現実的であれ妄想であれ、辛い体験に違いありません。
でも、どうやらそうじゃないらしい…、ということに気づきはじめたときに、その考えのギャップを埋めるための思考プロセスが始まるわけです。
これは、観念の書き換え段階ともいえます。
パソコンでいったら、ソフトをバージョンアップ(自動更新)するようなもので、人の場合は、よりよく生きるための思考の最適化が自動的に起こり始めていると言ってもいいでしょう。
■被害妄想とは?
では、被害妄想とは、どのようなところから感じるものなのでしょうか?
私たちは誰でもが依存(子供)時代に、少なからず悲しみや怖れや不安という感情を体験します。
「助けてもらえなかった」
「受け入れてもらえなかった」
「認めてもらえなかった」
「嫌われた…(と思った)」
「見捨てられた…(感じがした)」
保護を必要とする子供時代の体験は、心理学では依存の段階といいますが、体験の解釈も子供の視点で行われています。
子供の解釈であるため、誤解や独りよがりなところも十分ありうるわけですが、私たちの初期の自己概念や自分自身に関する信念や観念を形成する時の材料になっていたりします。
そのため、未熟な状態の自分には価値がないからそれをしてもらえなかったのだと信じて(誤解して)しまうのです。
これらは無自覚ですが、自分への決めつけや選択のようなもの。
すぐに忘れてしまいますが、成熟さが伴った自立の段階で自分に対するセルフイメージや観念として癒されずに心の奥底に残っていたものが、自分の縛られている観念や感覚から解放されるチャンスとして現れてくるのです。
また、意識的な部分で自分に厳しくて否定的、攻撃的な想いがあることで、無意識的なところから助けを求めて被害妄想として現れてくる場合もあります。
それは心の中にいじめっ子といじめられっ子が同居しているような状態があるからなんです。
同じような例をあげるならば、実際は何でも自分でできているのに自信が持てないという悩みも、私たちが体験することの多い悩みの一つではないでしょうか。
自信がないという悩みもまた、「ダメな私、できない私」を自分自身で嫌ってしまうことから、心に同じような状態を作り出してしまうことがあります。
こちらもまた真実とのギャップや自分の中の矛盾が引き起こす妄想なのかもしれませんね(笑)
どんな思い込みがあったのか?そして、実際、今の自分はどうなのか?
自己愛(優しい気持ち)で事実を認め、成長した今の自分にあったセルフイメージ(自分に対する意見)を書き換えた上で肯定的に自分を受け入れることが、自分自身との関係を癒すということなのです。
■大切なのは、選択すること
人生でどんな感情を感じたいかは、実は選べるんです。
まるで、どんな映画を見たいですか?というのと一緒なんですよ!と言ったら、にわかに信じ難いかもしれませんが、何を考え、何を信じているか、という観念をも私たちの意識的な選択が可能なんです。
自分にかけた自己否定的な思いや、禁止やルール・制限を解除・許可するのも選択の一つです。
あなたが心配していたことに対して人が「そんなことはないよ」と優しく言ってくれたように、自分自身に「そんなことはないよ」「大丈夫!」と自分を励まし肯定することを選択してみてくださいね。
成長した新たな自分、新しい発見や概念の発見が起こるように意識のアンテナを積極的に立ててみましょう。
そのような理解と意識的な選択が、ぐるぐる思考の状態をブレイクスルーするきっかけになるはずです。