「境界線」がなくなるとき ~癒着の作られ方とその対処~

「境界」とは自分が他のひととは別の独立した存在であることを保証するものですが、成長の過程で、境界の混乱やはっきりした境界が存在しなくなることがあります。

例えば、幼少期に「あなたの成績が悪いから、お母さん恥かいちゃったわ」といわれたりするとき、子供は「自分のせいで母親が嫌な思いをした」と思うのが一般的です。
でも、一番恥ずかしいのは本人のはずですよね。

しかしそれ以上に子供は、責任を負う必要のない親の気持ちまで責任を負うことになります。
それは、そもそも不可能なことや子供の力以上のことを求められているので、どんなに努力をしても、力不足に打ちのめされる体験へとつながることになります。

しかし、「悪い成績では恥ずかしい」という気持ちは、本当は、お母さんこそがもっていた気持ちなのです。
それをいつしか自分の気持ちであるかのように感じてしまうのが境界線がなくなっている状態、すなわち「癒着」です。

◎リクエストを頂きました◎
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以前、『人との繋がり方』について取り上げていらっしゃいましたが、私は他人と自分の境界線がうまく引けないような気がしています。
そこで「どうしたら人と過度につながらないようにできるか」ということについても取り上げて欲しいのです。

よく、相手と早急に仲良くなり、相手が喜んでくれるのが嬉しくて何でもしてあげたくなったり、もっと相互的に理解したいと思って何でも話したくなったりします。
ところが、相手の要求がエスカレートしたり、自分はもっと相手を理解したいと思っていたのに相手はそうでもないとわかったりすると、突然相手のことが嫌になってしまうのです。

嫌になるともうすべてが駄目になってしまい、友人関係自体を切り捨ててしまいます。
短期間に急激に親密になった相手によくあるパターンです。

よくよく考えると、近づきすぎて相手を自分の一部のように考えるようになってしまい、後に自分と違う部分を発見して幻滅してしまうということなのではないかなと自分では思っています。
自分と他人は違う人間だということはわかっているつもりなのですが…。

自分と他人を混同してしまう心理とその対処法について、教えていただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
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「境界」とは自分が他のひととは別の独立した存在であることを保証するものです。
ところが、この「境界」を確立すべきとき、つまり成長の過程で、境界のゆがみや混乱が起こったり、はっきりした境界が存在しなくなることがあります。

●境界線が侵害されるとき

基本的に、私たちは周囲に悪いことが起こるとき、自分のせいではないかと自分を責めてしまいますが、幼少期には特にそれが強くなります。
例えば、「あなたの成績が悪いから、お母さん、恥かいちゃったわ」といわれたりするとき、大人ならば「そうはいっても、成績の悪い本人が一番恥ずかしいんじゃないですか」と思うことができます。

ところが、子供のときはそのまま「自分のせいで母親が嫌な思いをした」と思います。
こうして、自分に責任のないことまで子供が責任を負うことになり、そもそも不可能なことや子供の力以上のことを求められるので、その力不足に打ちのめされる体験へとつながることになります。

●境界線を侵害されると

「自分の成績が悪いと母親が嫌な思いをする」と学習すると、一般的に今度は「いい成績をとろう」と思います。
いい成績をとり、母親はご機嫌になるとようやく落ち着き、これでいいんだと思えます。
ここで、「がんばって結果を出すこと」と「大好きなひとが喜ぶ」がくっついてしまいます。
いわゆる「癒着」というもので、誰かの感情と自分の感情が混同している状態です。

例えば、本人は成績に関心がなくても、「勉強する→成績が上がる→母が喜ぶ→私が嬉しい」という構図ができ、これが続くと、「→母が喜ぶ」が省略されて、「私、いい成績をとるのが大好き~」と感じますが、これは本当の自分の感情ではなく、二次感情といわれています。

「好きなひとを喜ばせたら嬉しい」のは本当かもしれませんが、「勉強して成績が上がることが嬉しい」というのは本当ではないので、年を重ねるごとに「好きなはずなのに」やっても楽しいどころかむなしくなってきたり、嫌な気分がしてきたり、どこかで支障がでてきてしまいます。

●誤解に気づく

この例では、「勉強していい成績を取ったら私は愛されるんだ」というようにある条件を満たしたら愛されると本人は思ってしまうのですが、もちろんそれは誤解です。
「いい成績をとったら私は愛される」という気持ちは、本当は、お母さんこそがもっていた気持ちなのです。
それをそっくり真似てしまって、自分の気持ちであるかのように感じてしまっているんですね。

そして、いい成績をとることが好きだと思わない(こだわらない)としたら、あなたは実際のところ、勉強しなくても愛される価値があるし、しあわせになることができる、と知っているのかもしれません。
私がお伝えしたいのは、お母さん(お父さん)が悪いとか、責めるのではなく、あなたとご両親(もしくは友人など境界線を越えてきたひとたち)は違う人間であり、違う価値観を持っている、ただそれだけのことだということなんです。
そのことを認めて相手に近づくことができたとき、お互いの間に親密感が生まれます。
そして、真実の親密感とは、相手を侵害しない適度な距離を持っているものなのです。

●自分を取り戻し、ありのままを認める

自分の境界線を取り戻すために必要なのは、何よりも「気づく」ことです。
それくらい、実際には分かりにくかったりするんですね。

そして、ありのままを認めましょう。
よく、ありのままの自分を認めましょう、といいますが、実際にはなかなか難しいようです。
そんなとき、同じように効果があるのが、相手をありのままに受け入れるということなんです。
あなたも、相手も同じように、ありのままを尊重してあげられていますか?

ちなみに、ありのままに相手を受け入れるのと、あなたが同意するのは別のことです。
もし、違う意見や考え方がでてきたら、「あなたはそう思うのね」「あなたはそう感じるのね」とだけ伝えて、認めてあげましょう。

自分の気持ちは混同する必要はなく、「脇に置く」だけでいいのです。
あなたは、あなた。
相手の気持も、あなたの気持ちも、そのどちらにも価値があるのです。
あなたも相手も、どちらも尊重し、大切にしてくださいね。

お互いが違うと認めた上で理解しあえたとき、私たちはつながりとともに、お互いがひとつであるかのような感動的な気持ちを味わうことができるでしょう。

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