幼い頃から誰かの面倒を見る癖がついていると、それが自分自身の価値だと誤認して、「面倒を見ることで愛される」ことを求めるようになっていきます。
また、小さいころから自信がなく、無力感が強くなっていると、「誰かの役に立つこと」が自分の存在意義のように感じてしまうものです。それが“だめんず”に惹かれる原因になっていることもあるのです。その詳しい心理と、どうしたらいいのか?について考えて行きたいと思います。
2)助けたい症候群、役に立ちたい心理、その裏側の無価値感、無力感
自立的な女性、例えば、子どもの頃からお母さんのお母さん役をやっていたような、妹や弟の面倒をよく見てきたような、学校では常に学級委員をやっている優等生やいい子ちゃんような、そんな方の中には、「誰かの面倒を見ること」が自分自身のアイデンティティになってしまってる場合が少なくありません。
彼女達はまさに“だめんず”にハマることがよくあるようです。
彼女達の場合は「誰かの役に立たなければいけない」という思い込みを幼少期から持っているので、愛される側よりも、面倒を見る側、与える側に意識が向かうんです。
(裏を返せば、受け取り下手、愛され下手な部分を持つということですね)
でも、こうした心理の裏側には「ありのままの自分では到底愛されない。何かしないと私は誰からも愛をもらえない存在なんだ」という無価値感が根強くあります。
この無価値感から、だめんずたちをまるでお母さんのようにかいがいしく面倒見てしまう女性達が生まれるようです。
また、逆に小さいころからあまり自分に自信が無く、無力感が強くて「あたし、何をやってもダメかもしれない」と不安を抱えている方も、同じく、“だめんず”に引かれやすい傾向にあります。
“自分よりもダメな彼ら”にちょっとした安堵を感じるせいか、自分がそんな彼に必要とされていることにとても喜びを感じるのです。
だから、どんなにひどい男性だったとしても「そんな彼は私じゃなきゃダメなの」と感じ、また、「彼以外の人だったら、私はダメになっていた」という思いを抱きます。
これは前回紹介しました“自己価値の低さ”と共通するところもありますね。
実は、私たちは幼少の頃から『誰かの役に立ちたい』という気持ち、すなわち、“与えたい”気持ちを強く持っています。
子どもの頃、お母さんやお父さんが喜んでくれるのが嬉しくて、何でも頑張ったんですね。
お母さんの愚痴を毎日聞き続けたり、夫婦喧嘩の仲裁に入ったり、何とか仲良くなって欲しくて布団の中で祈ったりして頑張ってたわけです。
でも、それが逆に板に付いたり(前者の例)、自分が全然役に立てないと感じたり(後者の例)すると、だめんずに与え続けることで、自分の心を満たそうとするのです。
彼らはそれを望んでますし、あなたは与えがいを感じることができるからです。
でも、これは真実ではありません。期待に応えるために頑張っていたり、無力感を隠すための補償行為だったりして、心はどんどん疲弊していきます。
だから、どんどん疲れていくんですが、もう、後には引けなくなるんですね。
というのも、こうした関係が長引くと“彼氏依存症”じゃないですけれど、ものすごく強い執着心が出てくるんです。
少なからず、だめんずにハマる方は依存症の傾向がありますが(自立的なマインドがそれを作り出すから当然なのですが)、特に今回のケースでは、その強さも大きいのです。
だから、「彼は私じゃなきゃダメ」と思ったり、ぼろぼろになりながらも「そうするしかないじゃないの」と諦めの境地に入ったりしながらも、一緒にいることを選び続けるんです。
前回のケースと同様、自己価値を高める、ということは、“だめんず”にハマる皆さんに共通のテーマです。
あなたの素晴らしさを知り、あなたの価値、魅力を十分に受け取り、そして、自分自身が幸せになることを許可する必要があるのです。
特にこの助けたい症候群に当てはまる方の場合は、あなた自身が与えているものの偉大さを認める必要があります。
あなたがどれくらい素晴らしいことをし、素晴らしい忍耐力で彼に与え続けていたのかということを知り、受け入れることなのです。
あなたはまるで、彼に与えているものの価値なんて100円もないと感じています。
でも、本当はそれが何万円、何十万円もの価値を持っていることを知るべきなのです。
(もちろん、そういうものはお金に換算できるものではありませんけどね!)
そのためには時に彼との関係だけでなく、癒しによって幼少の頃のお母さんを許したり、お父さんを受け入れたりするプロセスが必要になる場合もあります。
子ども時代、あれだけ頑張っていた自分を承認してあげることもとても大切なことです。
今、あの時代の自分に会えたとしたら、あなたはどんな言葉をかけてあげたいでしょうか?できるだけ優しい言葉を選んであげるとしたら、何て言いたいでしょう?
そうして自分自身のアイデンティティを変えて行くことができます。
それはまるで生まれ変わりのプロセスみたいなインパクトを持つので、世界ががらっと変わってしまったような感覚を持つでしょう。
とあるセミナーで、そんな体験をされた方がしみじみとおっしゃってました。
「私は今まで何をしてたんだろう?ってほんと思うんですよね」と。