私たちは頭でこうしたほうがよいとわかっていても、その通りうまくできないこともあります。
それは私たちに感情という力が働いているからです。
では、感情がなければ頭でこうしたほうがよいとわかっていることを上手くやっていくことができるのでしょうか?
しかし、それには疑問点が浮かびます。
●感情がなければ
私たちには感情というものがあります。
感情の力は大きく、その力は私たちにいろいろな影響を及ぼしています。
例えば、パートナーが約束を忘れてすっぽかしたのは仕事が超多忙でパートナーもいっぱいいっぱいだったんだとわかっていながらも腹がたつという感情的なものが勝ってパートナーをなじってしまったり、怒りをぶつけてしまうことがあります。
いっぱいいっぱいのパートナーにやさしくしなければと思っていたにもかかわらず、ケンカをしてしまうこともあります。
それは感情というものが私たちに大きな影響を及ぼしている例だと思います。
では、感情がなければ、正しいと思ったことをスムーズに行動でき、ケンカも起こらず上手くいくのでしょうか?
その疑問はこれからの記事のあとに説明したいと思います。
●感情に蓋をする
心はすごい機能があり感情を感じないようにすることもできます。
あんまりにつらかったり、何らかの感じたくない感情があったりして、その感情を感じないようにしていくことがあります。
例えば、職場でハードワークが続きつらいと感じる状況が続くような状況があるとします。「やってられか~」と言いたくなるような状況です。でも、そのハードワークという状況は続くんです。
すると、その状況に居続けなければいけないのに「やってられか~」と感じ続けるのはつらすぎますよね?
すると心を守る為に、その感情を見ないように心に蓋をして感情を閉じ込めていくんです。感じないようにしていくともいいます。
それを別の言い方で例えるなら家にある電気のブレーカーが電気の使い過ぎ(過負荷)や、ショートから家の電気の機能を守るように、心を守るために感情のブレーカー機能が働くようなものです。感情を感じる力に制限がかかってしまうわけですね。
感情を見ないように、感じないようにしていくのは、その状況を乗り切るための必要なことであるということが多いんです。
私たち大人には大なり小なり、このような感情に蓋をして頑張ったり、耐えたりするシーンがあるように思います。
しかし、感情を感じる力に制限をかけていくと、つらいという感情は感じなくてもいいかもしれませんが、同じ感情である感動や、幸せ、嬉しい、楽しいも感じなくなってしまいます。
感情がなければ正しいと思ったことをスムーズに行動し、ケンカもせず、上手くいくのかもしれません。ただ感情がなければ上手くいったとしても幸せではないのかもしれません。なぜならば幸せも感じるものだからです。
この続きは次回をお楽しみに。
>>>『感情とつきあう(3)~感情を感じる力~』につづく