ひょっとしてモラハラ?(2)~被害者の役割を手放したい~

「モラハラ(モラル・ハラスメント)」は身体的暴力を伴わない分、外からその暴力性が見えにくく、当の被害者ですら何故こんなに苦しいのかわからないという問題があります。

夫婦喧嘩の延長戦上のこととして片付けられることも多く、被害者が共感してもらいにくいという状況もありそうです。もし、関係性が窮屈で息苦しく、ストレスを感じるようであれば、「モラハラ」であるかどうかはともかく、相手と癒着している「共依存」状態になっているかもしれません。

こうなるとお互いをネガティブな感情で縛り合うので不愉快で苦しいにも関わらず、関係性をなかなか変えられません。「自分が悪いから罰を受けている」という罪悪感に囚われてしまうと自分一人で抜け出すのは大変なので、ぜひ勇気を出して、友人やカウンセラーといった第三者に相談してみてください。

◎リクエストを頂きました◎
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・モラハラというと加害者に焦点があてられることが多いようですが、被害者も自分自身を見つめ直すことで本当の意味で脱・被害者になれるのだと思います。私自身も結婚生活でモラハラ被害に遭いましたが、そう自分自身を励ましています。モラハラ被害者に焦点をあてて、「まだやり直せる」「自分に落ち度があった」と思ってしまう心理を解説してください。
・振られた彼との関係がモラハラだったのかもしれないと思っています。「自分が相手を傷つけて悪かった」とさんざん自分を責めていたところ、友人に「モラハラでは?」と言われました。「モラハラ」にはどう気づけばいいのでしょうか?
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リクエストをありがとうございます。

今回は「関係性」という視点から、モラハラの被害者の心理について解説してみたいと思います。

「依存」しているのはどちら?

モラハラは身体的暴力こそ伴いませんが、加害者と被害者が癒着しており、共依存関係になっている、という点で、DVや虐待と変わりません。モラハラの加害者は、対外的な面子(ペルソナ)が大事なので、外傷が残る身体的暴力に及ばないことが多いですが、乱暴な言葉であったり、性的ないやがらせや無視をすることで被害者を不安がらせて、コントロールしようとします。精神的に傷つけておきながら、それは被害者の方に問題があるからだという論法で被害者の罪悪感を刺激するため、被害者の自信が蝕まれ、従属性が強化されてしまいます。

表面上は、加害者はそれが暴力であれ言葉であれ、コントロールする側なので、「自立」しているように見えます。それに対して被害者の方は、誤解され、見捨てられる怖れにいつも委縮しており、自分の気持ちを投げ捨てているにもかかわらず、「私が悪いからこうなってしまうのかもしれない」という罪悪感に苛まれていて、相手に振り回されているという意味で「依存」の状態にある、と考えられます。

ところが、加害者が何故そうまで徹底的に被害者をコントロールしようとするのか、その深層心理を見ていくと、自我の脆さから、分離の悲しみや見捨てられ不安などのネガティブな感情を抱えきれないので、それを引き受けてくれる人を必要としている、という構図が浮き上がってきます。「自分はダメだ」「自分が悪い」と思うと崩れてしまいそうなので、そういう感情は「被害者」に押し付けているように見えます。だから、加害者にとっては、自分が安心して生きていくためには、被害者が必要なわけで、この心理レベルでは加害者は被害者に「依存」していることになります。

● 癒着と共依存の罠

では、被害者は何故、そんなイヤな感情を人の分まで引き受けてしまうのでしょうか。

モラハラに限らず、DVや虐待の被害者の中には、「私にしか彼(女)を助けられる人はいない」と言う方が少なからずいます。こういう人は、救済者のマインドが強く働いているようで、心の奥底で、人を助けるために他にできることはないという無力感から、自分を犠牲にするしか、自分の価値を見いだせなくなってしまったように見えます。自分にその意識はなくても、被害者であるところに自分の価値をかろうじて見ているような心理状態になると、加害者―被害者という関係性が硬直化しやすくなります。

特に、モラハラの場合は、その暴力性が外から見えにくいため、被害者も、自分が自分を差し出しているという意識を持ちにくいようです。むしろ、「あなたが悪い」と言われ続けると、「相手を傷つけた」「相手を助けられない」という罪悪感の方を強く感じて動けなくなってしまうようです。こうした罪悪感は、心の奥深いところに誰しも抱えているものですが、子供の頃に喪失体験がある場合や親を助けたかったのに助けられなかったと感じてしまうエピソードがあると罪悪感の罠にかかりやすいということもありそうです。

このように、一人一人が自分の感情に責任をもてず、自分の感情を相手のもの、あるいは、相手の感情を自分のものとして感じていて自分と相手の境界線が無い状態を「癒着」と言い、この「癒着」した状態が硬直化してしまった関係性を「共依存」と言います。共依存関係になるとお互いにネガティブな感情で縛り合うので、特に被害者の役割にはまると不快で苦しいにもかかわらず、関係性を解消するのに大変なエネルギーがいります。いったん離れた方が、冷静に二人の関係を見つめ直すことができることも多いです。

● 自分への許し

モラハラの被害者にとって、加害者―被害者関係を解消する上での最大の難関が「罪悪感」ではないでしょうか。「自分に何らかの落ち度があって、誰かを深く傷つけてしまったために、このような罰を受けているのではないか」という思い込み(加害者からのメッセージでもある)から自由になるためには、「自分は悪くない」と自分の罪悪感からの「許し」が必要です。でも、加害者から罪悪感を強化されていますので、ここを乗り越えるには、第三者の力を借りたいところです。友人でもカウンセラーでもいいので、是非、相談して、助けを求めてください。「自分は悪くない」「自分を大事にしてもいい」と思えるようになることが被害者の役割を手放すことにつながります。幸せになることを自分に許しましょう。

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