親子関係で癒着がうまれるとどうなるのでしょう?
癒着がおこるとうまれる問題を、親側の視点から、子ども側の視点からとわけて紹介していきます。第2回は親側の視点からのご紹介です。癒着が起こす問題として過干渉という問題がおきることがあります。過干渉という問題が起きると子どもの気持ちが離れていってしまうことも・・・。
そして、その裏にはパートナーシップの問題が隠れていることもあるのです。
●親子関係の癒着が起こす問題~親側編~
今回は親子関係の癒着が起こす問題を親側の視点でとらえてみます。
心理的な癒着を起こすと自分と相手との境目がわからなりがちになります。
そのような癒着が親子間でおこると、親側の問題として親が子どもに干渉しすぎてしまうことがあります。
いわゆる過干渉という状態です。
癒着がおきると自分と子どもの境目がわからなくなってしまうい子どもに干渉しすぎてしまうわけです。それは生活レベルから人生レベルまで干渉しすぎてしまうことがあるようです。
「なにをするつもりなの?誰といっしょなの?」
「学校はここじゃなきゃダメよ」
「就職はそんなところにはいってはダメ、ここにしなさい」
「結婚するならそんな人じゃダメ」
このように感じで干渉をしすぎてしまうことがあるようです。
癒着があり干渉があると、子どもの心に常に親の心理がつきまとうことになりがちです。
「あれはしちゃいけないと言ってたな」「こうしなさいと言ってたな」という具合に。
どこにいくにも、何をするにしても、常につきまとういうのはどんな感じがするでしょう?
そう、うっとうしく感じてしまうんです。
「私のことはほっといて」「いちいち口をださないで」「いいからかまわないで」と思われてしまわれがちになっていきます。特に子どもに自立心が芽生えるとそう感じます。
うっとうしく感じられるのが続くと嫌いになられていきます。
癒着の問題点として自分が”癒着をしている”といことに気づきにくいという点があります。
ですので自分と子どもとの心理的距離が くっついてしまい、自分と相手との境目がわからなくなってしまっていることに当の本人が気づかずにしているということが問題点と言えるかと思います。
気づかずに過干渉を起こしているので、相手が干渉されすぎるとしんどく感じるということも気づかずにしてしまうんですね。またし続けてしまうんです。
なので「私のことはほっといて」「いちいち口をださないで」「いいからかまわないで」と思われると癒着を起こしている親は自分が問題だと気付いていないので「私はこんなにも心配しているのに、あの子は全然わかっていない」という気持ちにおちいり、子どもが”離れたと感じる度合いだけよりくっつこう”としまいます。
その結果、ますますうっとしく感じられてしまうのが悲しいのですが・・・。
(私も娘にうっとうしがられないようにしなければ・・・と汗がでてくる思いです(^_^;))
子どもの成長とともに自立心が成長し、ああしたい、こうしたいという自立心も成長してきます。
干渉をしすぎてしまうと、このような、ああしたい、こうしたいという思いを気付かない内に否定しまうことがあります。
子:「ここの学校にいきたい」
親:「進学のことを考えると、そこよりもあそこの学校がいいんじゃないの?」
子:「でも、したい部活があそこの学校にはないし、進学ならここでも頑張れるよ」
親:「そうは言っても進学ならあそこがいいわよ。ここはやめときなさい」
子:「でも・・・」
親:「やめときなさいって」
このような形で故意ではないのですが否定してしまうことがあるのです。
もちろんやってしまう根底の気持ちは子どもへの心配だったり、愛だったりするのですが・・・。
(時には自分の欲求を押しつけているケースもあるようです)
一事が万事このようなやりとりが繰り返されると子ども側としては否定された感が募ってしまいます。癒着の罠に陥ってしまい子どもの意思や意見、気持ちの尊重を見落としてしまっているのかもしれません。
するとこれも悲しいのですが、その結果、子どもの気持ちが離れていくことがあるようです。
このようになってしまうと悲しいですね。
「私のことはほっといて」「いちいち口をださないで」「いいからかまわないで」と子どもに思われた時は、癒着という問題が起こっていないか関係性を見直すいい機会かもしれません。
もちろんただの反抗期の場合もあるでしょう。
子どもが未成年の場合だったら、そう言われても干渉をしなければいけないこともあります。
ただ、そうであっても癒着が起こっているのか、いないかを見直すいいきっかけになると思うんですね。
例えば・・・
自分と人生と相手の人生と区別してとらえられているか?
自分と相手を別の一人の人間としてとらえられているか?
相手の意思や、気持ちを尊重できているか?
子どもの人生は子どものものとしてとらえられているか?
子どもと癒着する事によってパートナーとの関係をほったらかしにしていないか?
という具合にみていくと癒着していないかが見えてくると思うんです。
そうやって見直してみた結果、癒着が起きていなければ問題はありません。
しかし、もし癒着をしていると気づいた時は、子どもとの距離を見なおそうと選択もできますし、干渉しすぎに気をつけようとも思えますよね。
ですんで癒着していないか二人の距離を見直して気づきを得るきっかけを持つというのは大切なことのように思います。
もしかすると、「子どもと癒着をしてパートナーシップをほったらかしにしていたな」ということに気づくかもしれませんし、「子どもとの癒着を使ってパートナーシップを見ないようにしていたな」といことに気付くかもしれません。
気づいたらパートナーとの関係に向かい合うか、そうはしないのかの選択ができます。
ですんで、これも気付くというのは大切なんですね。気付くからこそ選択をしていけるわけですから。
気づいて取り組んで良かったという声は多々耳にします。
特に子どもがお家にいる場合は子どもがお家にいる間に、夫婦の溝を埋めることにチャレンジするのをおすすめしたいと思います。
子どもがいる間は、子どもが夫婦の間にあいたすき間を子どもが埋めてくれているんですが、子どもが家をでていくと、それまで埋めてくれていた溝を一気に感じてしまったりするんですね。
すると会話にこまったり、二人で過ごす時間の使い方にこまったりと埋めてくれていた溝を一気に感じてしまうようです。ですので、子どもが家にいる内に取り組んでおいた方が楽なんですね。
という訳から、癒着をしていて気付かなかった夫婦の溝に気づいた時は、その溝を埋めることに取り組んでみるのをお勧めしたいと思います。