感情が麻痺するとロボットのような、機械のような人間になります。表情がなくなったり、バイタリティがなくなって淡々と物事をこなすようになったり、何を考えているのかが分からなくなったりもします。
そうして、理性的な生活を送るようになるのですが・・・、でも、その麻痺は喜びや楽しみも奪いますから、やがては何も感じられないデッドゾーンの領域へとたどり着き、死の誘惑に駆られるようになるのです。
感情が麻痺するとどうなるか?
では、感情が麻痺してしまうとどうなってしまうのでしょうか?
感情を感じられないわけですから、イキイキさやバイタリティは無くなっていきます。
いわば、ロボットのようなイメージでしょうか。
表情もありませんので、何を思っているのか、何を考えているのかが分からなくなります。
とはいえ、麻痺しているだけで感情がなくなったわけではありません。
特に、「もう辛い思いはしたくない」と感情を抑圧し、麻痺させるには“怒り”という感情が使われます。
そのため、怒りの感情だけは押さえきれずに出てきてしまうこともあります。
イライラしたり、急に切れたりし易いのはそのためなのです。
そして、感情が麻痺していく分だけ、代わりに理性が強まります。
頭で考えるようになり、どうしたいか?が分からないので、どうすべきか?どうしたらいいか?を優先します。
そして、その通りに動こうとします。
例えば、タスクリストをきちんと作成し、その通りに仕事を進めていきます。
淡々とこなしつつ、ちゃんと期限までに全てのタスクを終えるように自分をコントロールしていきます。
それはまるで、プログラム化されたコンピュータのようで、したがって、思ったとおりに行かないと酷く自分を責めるようにもなります。
例えば、彼女にケンカを吹っかけられても、全然乗りません。冷静に「どうすべきか?」とか「どう答えるか?」を考えているので、感情的になっている彼女は全然納得してくれません。むしろ、その怒りを煽ってしまいます。
そして、彼が感情を抑圧しているように、彼女のことも抑圧しようとします。
「それはお前が悪い」と論証しようとしたり、「感情的になるのはおかしい」と諌めたりします。
それでも彼女が納得しないときには、自分が感情を感じないようにしているのと同じように、彼女の存在を感じないように・・・すなわち、彼女のことを切ろうとするわけです。
とはいえ、先ほど書いたように感情は死んでいるわけではありません。
イライラは感じますし、実は、虚しさ、空虚感も強く感じています。
そして、強い諦念。
「もう、いまさら・・・」という想いが心を占めていくと、最後にデッドゾーンという領域に入ります。
そうして、やがては死の誘惑に駆られるようになるのです。
感情を麻痺させようとし続ける最後が、死の誘惑なのです。
それはすなわち、心を殺そうと麻痺させてきているわけですから、心と一体の私達が死の誘惑を感じるのは至極当然と言えるかもしれません。
でも、死の誘惑は、ほんとうの死が求められているわけではありません。
生まれ変わり、または、再生、すなわち、やり方を変えることが求められているのです。
そして、そんな彼を救うべく手立てはちゃんと講じられています。
それを次回ご紹介しましょう。
>>>『麻痺した感情が起こす問題~麻痺した感情は外からやってくる~』へ続く