心理学・精神世界系のセミナーやワークショップに真剣に通われたことのある方なら、一度はこんな疑問にぶつかるのではないでしょうか?
「いつまでこの学びを続けるのか?」「どこまで癒せばいいのか?」「悩みにキリはあるのか?」
「悟りを開くまで」という答えもありそうですが、悟った後でも、癒すべき材料はたくさんあります。
また、セミナーやワークショップとは無縁の方であっても、「なぜ“ここ”にやってきたのか?」「いつまで学びつづけねばならないのか?」「なんのために生きているのか?」・・というような、漠然とした疑問が浮かぶことが、あるのではないでしょうか?
これは私たちみんなの『問い』ですね。
リクエストにお答えして、哲学的でもあり、現実的でもある、この『問い』について考察してみました。
◎リクエストを頂きました◎
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心のことをテーマにした読み物やワークショップに参加すると、「心のことについてもっと知りたい!」という気持ちになり、その渇望感からいろいろなセミナーに参加したり、心理学の本をたくさん購入してしまいます。セミナーに参加したり講座に出たりすると、金銭的にもキリがないように感じたり、自分を探究する学びというのは結局自己満足なのかな。と思ってしまいます。「これでよし!」と思える時はくるのでしょうか?
(一部編集させていただいています)
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リクエストをありがとうございます。
「心理学・精神世界の探究をいつまで続けるのか?」「どこまで癒すのか?」という問いは、哲学的な問いでもあり、現実的な問いでもありますね。
「悟りを開くまで」という答えもありそうですが、悟った後でも、癒すべき材料はたくさんあります。
質問者がおっしゃるようにキリがありません。
● 私たちの問い ≪なぜ“ここ”にやってきているのか?≫ ≪何をするためにいるのか?≫
精神世界には「道には終わりがない」「波には終わりがない」という格言があります。
生きている限り「学び」「癒すこと」は一生続くということです。
死んだあとでも、魂が肉体を次々と乗り換えて、学び続けるのかもしれません。
この世という「教室」で、それぞれの人が、それぞれに何かを学ぶため・知るために生まれてきたのかもしれません。
心理学や精神世界系のワークショップやセミナーは、疑似体験を通して、私たちに新しい「気づき」を促してくれるものです。
本来は実生活のなかで、すぐ隣にいる人とのかかわりの中で、日々深く気づくことが出来たら一番いいのですが・・
そんなに賢く、愛にあふれた天国のような世界は、まだ先のようです。
わたしたちには無数のトラウマ・条件付けが刻み込まれており、なかなか物事をあるがままに見ることができません。
自分の周りのことや、世界を変えてゆくためには、私たちがまだ気づいていないことに気づいてゆく、覚醒してゆくことが近道になります。
● 学びを自分のものにするために
【与える】⇔【受け取る】
人間関係においてこの循環が滞っているとき、幸せな感じや、充実感はありません。
自分ひとりの頭の中だけで学ぶことに集中しているからです。
「知識は力なり」という言葉もありますが、
知識は2等賞なんです。
たとえば、「クロールで泳げるようになる本」なるものを100冊読んでも、
実際に水の中で挑戦しなければ、泳げませんね。
セミナーや心理学の本で学んだことは、「実践」しなければならないということです。
【与える】⇔【受け取る】
この相互作用が頻繁に働いているときにだけ、私たちの意識は成長し、本当に変わっていくのです。
実際に、「行為」や「態度」そのものを、変えなければなりません。
現実に、私たちが、行為や態度を変えて、創造的に自分自身を世界に与えてゆくこと。
そして、そこから返ってくる現実をあるがままに受容すること。
隣人に対して、何らかのチャレンジをし続けること。
そういった、「実践」のあとにやってくるリアルな感じや、瑞々しい感じを味わえるようになると、
過剰にセミナーに参加することや、過剰に本を買ってしまうというようなことは、自然になくなるでしょう。
その時その時で、「今、自分に必要な分がどれだけか?」ということも、ご自身で実感できるようになるでしょう。
● それでも探究する人は‥
それでも
「どこまでも学びが辞められない」という方。
「どんなに癒しても癒しても、悩みにキリがない」という方。
そのような方は、≪学びのエキスパート≫になるために、この地球にやってきたのでしょう。
精神世界や心理学のプロフェッショナルとして生きる道をお勧めします。
カウンセラー・セラピスト・ヒーラー・トレーナー・哲学者・芸術家・宗教家・神秘家・・
プロとして多くの人と接するようになると、ずっと学びが必要ですね。
「学び続けることに意味はあるのか?」というよりは、
「学ぶことそのものが道・生きがい」になりますね。
学ぶことは、食べることや寝ることと一緒。
止まらないし、止める必要もない。
「キリ」なんてものはそもそもないのだということを悟る一番早い近道なのです。