では、実際にとても仲のいい老夫婦というのは一体どんな関係性なのでしょうか?
一方、あるいは二人が我慢や犠牲をずっと重ねてきた結果なのでしょうか?いいえ、そうではないと思うんですね。とことんケンカし、何度も別れそうになり、でも、そうした腹の中を全部見せ合った結果、一番信頼し、安心できる相手だと悟ったんだろうと思うのです。だから、自分を見せること、これが鍵ではないかと思うのです。
●仲のいい老夫婦の実態とは?
さて、真実に仲のいい老夫婦というのは、こうした不干渉主義、安全志向、平和主義の上に成り立つものなのでしょうか?
その答えは「No」だと思うのです。
何十年も寄り添いながらもお互い仲が良く、いい関係を築いているということは、お互いの関係にできるだけストレスがない状態と言えるはずですよね。
ストレスがない関係とは・・・どんな関係性なのでしょう?
それは、我慢や犠牲ではなく、言いたいことは言え、やりたいこともでき、そして、お互いを本当に信頼できる関係を築いていることだと思うんです。
そんな関係になるには・・・、私は思うんです。きっと若い頃は、毎日のように激しくケンカしたり、泣いたりしたんだろうな・・・、何度も離婚を考えただろうし、3回くらいは本当に離婚しかけたこともあったんだろうな、と。
どろどろになり、死ぬほど憎み、でも、それでも別れられないと悟ったとき、もう仲良くやるしかないんじゃないか・・・って思いなおしたのではないでしょうか。
すなわち、腹の中を、全部見せ合った結果、一番安心できるのが自分のパートナーであり、故に、もっとも愛せるのがそのパートナーであると気付いてしまったのではないかと思うのです。
そういう境地に達したときに、お互いにもう隠すところも無くなって、自然体になってしまったのではないでしょうか。
だから、そういうご夫婦は「元々仲良くしようと努力する」ことはあまりされてないのかもしれません。
結果的にそうなっただけで、危機は幾度と無くやってきたでしょう。
保障された未来があったのではなく、どうなるか分からない、もしかしたら、いや、たぶん、ダメなんじゃないか、という不安の中で数十年やってこられたんじゃないかと思うのです。
もちろん、みんながみんな、そうだとは思わないですけれど、でも、この「保障のない未来」が、逆に刺激を与え続けてくれたのではないでしょうか?
これならば、マンネリに陥ることもありませんし、感情を抑圧して我慢や犠牲することもありません。
そうしたドキドキした関係を築くためには、「隠す」のではなく「全部見せる」ことが大事だと思うんです。
それはどれくらい人間として、男として、女として、汚い部分を出せるか、でもあります。
そもそも感じていること、思っていることを言える関係。
そして、もちろん、相手のその部分も受け入れられる関係。
一方通行では意味はありません。
人間、ほんとうに自分のネガティブな要素を出そうと思えば、相手を信頼しなくちゃいけませんよね。
ケンカするほど仲がいいと言いますが、ケンカするくらいのエネルギーを注げる相手、と言い換えることができるんです。
ケンカする気力も湧かないということは、それくらい幻滅し、諦めてしまっているのかもしれないんです。それは怖いことですよね。
だから、真実の仲良しさんを目指すのであれば、むしろ、自分の全てをさらけ出し、同時に相手のすべてを受け入れる覚悟が必要なんじゃないかと思うんです。