同じ物を見てその人がどう感じるかは人により様々で、その感じ方の違いはその人の心のフィルターを通して見ているからこそ生じるのです。
この心のフィルターを通して見ている事を投影と言います。
言い換えれば、私たちが感じる全ての事柄は、自分自身の心のフィルターを通して自分が創り出している世界なのですね。
人の優しさを感じるのは、自分の中に優しさがあるからです。自分が持っていない事は感じられないですからね。
でも、投影はそのような単純なパターンだけではありません。
誰かに攻撃されるのではないかと思っている人は、どこかで自分の事を駄目な人間と感じていて自己攻撃しています。この自己攻撃が外の世界に投影されて、誰かから攻撃されるのではないかと思ってしまうのです。
自分は「かっこいい」とか「美人」と感じていなくても誰かに対して「美人」とか「かっこいい」と感じるのも実は投影だったのです。
そんな投影の世界をひもときます。
◎リクエストを頂きました◎
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他人に魅力や嫌悪を感じるとき、自分の内面や自分が抱えている要素を相手に映しているとのことですが、どうしてもわからないことがあります。
相手に「美人だな」とか「かっこいいな」という風に物質的に【外面】に関して魅力を感じて相手に好感を抱く場合です。
そういうときも自分に相手にあるような外見的美しさの要素があるというのでしょうか?
相手に「理想の外見」を見いだしているというのはあると思いますが、そういう場合、自分にはそれがないと思っている場合の方が多いのではないでしょうか。
そうなると、「投影」はどうなるのでしょうか?
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1.投影とはどんなものか?
「投影の法則」というのは、「我々が見る物、聞く物などで感じる全ての事柄は、全部自分の心のフィルターを通して映し出している」という法則です。
例えば、道端に咲く一輪の野花。同じ花をAさんとBさんが見たとき、Aさんは
「あっ、凄く頑張ってる」
と感じたとしましょう。一方Bさんは
「こんなところで独りぼっちでかわいそうだなぁ」
と感じたとしましょう。
こんな感じ方の違いって日常生活の中でもたくさんある事ですね。
この感じ方の違い、AさんはAさんの心のフィルターを通して、BさんはBさんの心のフィルターを通してその花を見ているから生じるのですね。
そう感じたAさんは、ご自分がとても頑張っていると感じていたのかもしれません。そう感じたBさんは、ご自分が何か独りぼっちの寂しい感覚を持っていたのかもしれません。
このように、同じ物を見てその人がどう感じるかは人により様々で、その感じ方の違いはその人の心のフィルターを通して見ているからこそ生じるのです。
従って、私たちが感じる全ての事柄は、自分自身の心を映し出して自分が創り出している世界とも言えるのですね。
投影の法則は、逃げ道を我々に許さない恐ろしい法則ですね。
2.人の優しさを感じるのは自分の中に優しさがあるから?
「あの人、とっても優しい」なんて感じる事はありませんか?
そう感じるのも、実は投影のなせる技なのです。
例えば、電気もない文明から離れて生活しているような部族がいたとします。そこに蛍光灯を持って行ったとして、果たしてこれが何か尋ねたとします。さて、初めて見る蛍光灯にその部族の人々は何と答えるでしょうか?
「これは、狩りの時に使う道具で、これで獲物を叩くのだ」
と答えるかも知れませんね。正解する人は、まぁいないでしょう。
そう、人間は誰しも知らない事は分からないのです。
これと同じように「優しさ」を知らない人は「優しい人」なんて分からないのですね。
だから「優しい」と言う人は、「優しさ」というものがどんなものか分かっているのです。そして、「優しさ」というものがどんなものか分かっているということは、「優しさ」が自分の中にあるからなのです。
もちろん、人それぞれが感じる優しさには違いがあるかも知れません。
でも優しさを持っている人だからこそ、人の優しさが分かるのですね。
3.投影の様々な形
投影とは自分の心のフィルターを通して感じる事、そして自分の中にある気持ちしか周りに感じないというお話をしてきました。
しかし、投影にはもう少し複雑なケースも存在します。
例えば、いつも誰かから怒られるのではないか、攻撃されるのではないかと、人と接するのが怖い人がいたとします。この場合、駄目な自分を感じている事が世の中に投影されているケースがとても多いのです。
駄目な自分と感じているという事は、いつも自分自身を「これでは駄目だ」と自己攻撃していますね。この攻撃がきっと外からもやってくる、誰かから攻撃されてしまうと投影してしまうのですね。
さて、リクエストで頂いた「外面」に関して魅力を感じて相手に好感を抱く場合”について考えてみます。
当たり前ですが、人により好みのタイプは異なりますね。「美人」や「かっこいい」の基準は異なるわけです。
「私はサッカー部のA君がかっこいいと思うな」
「私はバレー部のB君」
なんて、よくある話です。また平安時代の美人の基準は今とは異なっているなどという話も聞きますね。時代により、あるいは地域により「美人」や「かっこいい」の基準は変わります。
人により様々な見方をする訳ですから、「美人」や「かっこいい」も何らかの心のフィルターを通した投影なのですね。
さて、皆さんは「美人」や「かっこいい」と感じる人にどんな事を感じていますか?その感じている事がその人に投影されている事になります。ただし、無意識的に投影している場合もありますので、頭では分からないかも知れませんが。
人により様々なケースがあると思います。昔優しくしてくれた誰かを投影して優しさを感じているかも知れません。理想の人格を投影しているかも知れません。完全さを投影しているかも知れません。
特に多感な思春期の場合、女性ではジャニーズ系の人達に夢中になる人達もいますね。この時代は自分の事を不完全と感じている場合が多いので、完全さを求めて整った容貌に魅力を感じ、ジャニーズ系の人達が「かっこいい」と思ったりします。
また、子孫を残すための生物学的にプログラムされた無意識的な部分の投影も影響しているかと思います。
とはいえ、とっても重大な事実があります。
実は、人間は好きになった人が一番良く見えるのですね。
「私の彼って、そうねぇ~、芸能人で言うとキムタクの感じかなぁ」と言っていた友達が彼氏を連れて来たとき、「どこがやねん」と思わずツッコミを入れたくなった事は無いですか?
昔から「アバタもえくぼ」「恋は盲目」とはよくいったものですね。