シャドウとは、抑圧している自分の影の部分です。
その影の部分を自分以外の人に投影して映し出しているわけです。
ですから、誰かの事がものすごく嫌いだという場合、その人の嫌いな要素を探し出してみると、自分が抑圧している要素がわかるのです。
そして、自分が抑圧している要素を受け入れ、抑圧しなくなると、嫌いだった人が、そんなに気にならなくなるのです。
自分が嫌いだと感じる人の嫌いな要素が、自分にもあると受け入れることは、とても嫌な感じがすることです。ですが、抑圧している要素を受け入れることができると、自分の生き方が楽になり、嫌いな人も減ってくるので、やってみる価値はあります。
シャドウを理解し、受け入れていくことは、自分の成長に役立つのです。
◎リクエストを頂きました◎
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(一部を編集させていただいています。)
シャドウについて、リクエストです。
過去にどうしても好きになれなかった人で、今もどうにも受け入れられない人が2人ほどいます。
カウンセリングサービスの心理学講座を参考にさせていただき、彼らがどうやらシャドウではないか、ということまでは考えました。
もうその人たちとの付き合いはありませんが、ふりかえってみてもどうしても受け入れられません。(気持ち悪いとさえ思うレベルです) おそらくもう二度と会わないだろうと思うので、今後良いところを探すというのも難しいです。
シャドウを受け入れ、好きになれないと、人間は癒され・成長するということができないのでしょうか。
逆を言えば、彼らは私の立場からすると「そういう人間にはなりたくないモデル」にもなっていて、ある意味では役立っています。
それはそれでいいのだろうか?と時々迷ってしまいます。
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誰にでも「こいつだけは好きになれない」「そばにいるだけでイライラする」と感じる人が、一人や二人いるものです。
人間ですから、好きになれない人、苦手な人がいても別にかまいません。そのほうが人間らしいとも言えるかもしれません。
ですが、こいう人がもしも身近にいたとしたら、それが上司やお隣さんだったとしたら、「嫌いだからお付き合いしない」と言うわけにはいきません。
そういう時は、シャドウを受け入れることにチャレンジする必要もあるかもしれませんが、シャドウを受け入れないと癒され、成長できないというわけではありません。
「ああいう人には、ならないようにしよう」と思える反面教師になってくれているだけなら、別にかまわないのですが、一緒にいるだけでイライラする。視界に入るだけで腹立たしいと思うようになると、あなたのストレスになりますし、例えその人と二度と会うことがなくなったとしても、その人とよく似た人が現れるたびに、イライラしてしまうことになりますので、あなたのストレスになるシャドウは、受け入れるチャレンジをした方が、楽かもしれませんね。
シャドウとは、あなたが抑圧した要素を持っている人や、要素そのものを指します。ですから普段のあなたとは、正反対の要素です。
例えば、怒る人がシャドウなのだとしたら、あなたは自分の怒りを抑圧していますから、いつもニコニコしているでしょう。甘える人がシャドウなのだとしたら、あなたは甘えたい気持ちを抑圧していますから、助けを求めず一人で頑張っているでしょう。
ここで、なかなか認めたくないことが一つ出てきます。
『抑圧している』ということです。
抑圧しているということは、出てこないように押さえ込んでいるということですから、あなたの中にもある要素なんです。
『ええーーーーー!!それは違うっ!!』と思うかもしれませんが、考えてみてくださいね。そもそもあなたにその要素がないのだとしたら、抑圧して押さえ込む必要はないのです。
シャドウを受け入れるということは、あなたのシャドウとなっている人が持っている要素を、あなたも持っているのだと受け入れることなんです。
すごく嫌な感じがするでしょう?
自分があの人と同じ要素を持っていると思うと、虫唾が走るどころの騒ぎではないかもしれません。
これだけ嫌な感じがすることなので、シャドウを受け入れるというのは、なかなか難しい作業となるわけです。
難しいことではありますが、受け入れることができると、とても楽になります。
例えば、怒る人がシャドウなのだとしたら、あなたは自分の中にある怒りを抑圧して禁止しているということになります。
もしも、抑圧していなければ、怒る人を見ても『ああ、怒っているな』『嫌な事でもあったんだろう』ぐらいですますことができるのですが、自分が怒りを抑圧していると、自分が禁止していることを、目の前でやられるわけですから、猛烈に腹が立ったり、ものすごく嫌な気分がしたりするのです。
自分がシャドウだと思っている怒る人に対して、友達は何とも感じないということもあります。
それは、あなたが怒りを抑圧しているのに対して、友達は怒りを抑圧していないからなのです。
何も友達が、怒りを撒き散らす人だというのではありません。
自分が怒りを感じるということを、許可しているかどうかということなのです。
同じ人に対して、何を抑圧しているかによって、人それぞれ感じ方は違うのです。
もしもあなたが、自分が怒りを抑圧していることに気付いて、『あっ、俺(私)って怒っていたんだ』と、自分の怒りを受け入れていくことができたとしたら、怒る人がいても、『ああ、怒っているな』『嫌な事でもあったんだろう』ぐらいですますことができるようになり、結果的に自分が楽になるのです。
もう一つ例をあげておきましょう。
甘える人がシャドウなのだとしたら、あなたが抑圧しているのは『甘えたい』という気持ちです。
もしかしたら昔、親に甘えて『甘えるな!』と言われたことがきっかけで、甘えることを禁止したのかもしれません。何らかの理由があって『甘える』ということを自分に禁止したのです。
甘える人を見て、ムカつくだけなら、そんなに問題にならないかもしれませんが、あまりに強く『甘えたい』という気持ちを抑圧していると、誰にも甘える事ができない、頼ることができないという問題が出てきます。
そうなってしまうと、つらいのは自分です。
自分の中に『甘えたい』という気持ちがあることを、受け入れていくと、どうしても困ったときは、人に頼ることができるようになるかもしれません。その結果、甘える人を見てもムカつかなくなるという副産物も手に入ります。
シャドウは、あなたが抑圧している要素を教えてくれる人です。
もしもシャドウが教えてくれている、あなたが抑圧している要素を、あなたが自分にもあると受け入れていく事ができたとしたら、結果的に嫌いな人が減るわけですから、あたなの人生が楽な方向に進むわけです。
自分の人生が楽になる為に、自分のストレスを減らす為に、シャドウを受け入れるということにチャレンジされるといいかもしれませんね。