NOを言えない方のもう一つのしんどさに、自分でも気がつかないうちに、自分の感情を押し殺していることがあります。
「いい子」は、他人に必要以上に気遣わせないようにという「優しさ」から、自分が感じる「怒り」や「悲しみ」「寂しさ」をスルーしているうちに、自分が何を感じているのかがわからなくなります。「怒ってもいいのですか?」と聞かれますが、「怒り」を感じることが悪いのではなく、それを人にぶつけてしまうとお互いに傷つくので、感情とのつきあい方を学べればいいのです。
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「自分がない」というお悩みを抱える方は、ものすごく「優しい」。相手の痛みがわかる分、NOを言うのが苦手で、相手を受容したいという気持ちが強い人ほど、自分の「イヤだ」「嫌いだ」という気持ちを置き去りにしているので、自分が「イヤだ」と思っていることすらわからなくなります。
誰しも得意な感情、苦手な感情があります。感情も、人によって感じ方のパターンがあって、怒りやすい人、泣き上戸の人と、個性的ですよね。
男性は、感情を表現するとなると「怒る」人が多いです。社会的な風潮として「男は泣いちゃいけない」という思い込みがあるせいか、「悲しみ」や「寂しさ」という感情が抑え込まれやすいようです。なので、ネガティブな感情を感じると、それが本当は「悲しみ」だったり「寂しさ」だったりしても、それを「どうせ俺が悪い」と罪悪感を感じて一人になりたがったり、「バカヤロウ!」と怒るばかりで、女性にしてみると男性の本音が見えないまま、ただ傷つくという経験になりがちです。
逆に女性は、「怒り」という感情が苦手で、「どうせ、だって」とうじうじいじけている時間が長かったりしますが、これは悲しんでいる、というより怒っているのです。
お母さんの気持ちに人一倍胸を痛めてきた「いい子」にしてみると、「感情」は悩みと苦労の出発点みたいなところがありますから、なるべく「感じたくない」と思います。ネガティブな悲しみや寂しさはもちろん、「怒り」なんて論外!という気持ちではないでしょうか。
ところが、幸せな気持ちや嬉しい、楽しい気持ちだけは感じて、怒りや悲しみ、寂しさは感じない、というフィルターは存在しません。いくら気持ち的に安定していたい、平和な心でいたいと願っても、ネガティブな感情だけハートに入れない、とはならないのです。
なので、あまり怒ったり泣いたりしない人は、喜びや楽しさもイマイチ感じているんだかどうだかわからない、静かでおとなしい感じになり、おとなしい人なのかと思えば、時折、びっくりするようなキレ方をされたりします。
これは、「怒っちゃダメ」「嫌っちゃダメ」と自分の怒りや悲しみを抑え込もうとすればするほど、心の奥の押入れの中がパンパンに膨れ上がり、最後はほんのわずかのイラつきをしまい込もうとするだけで、押入れが爆発し、なだれが起きる、みたいなことになるからです。
人間なんですもの。怒ることも、泣くことも、笑うこともあります。それが普通で、自然。
心は自由です。何を感じてもいいんです。「怒っちゃいけない」「泣いちゃいけない」と不必要に自分の心にプレッシャーをかけることはありません。
よくも悪くも「いい子」や元「いい子」は、「優しい」ですから、人の気持ちに敏感です。そんなに気にしなくても、と言われても、気になるのですからしかたがありません。
「怒ってはいけない」「怒りたくない」という気持ちは、ある意味、「正しく」もあります。それは、「他人を傷つける」からだけではありません。「怒る」ことで、自分が傷つき、自分の中の罪悪感が強化されて、自分でも気がつかないうちに自己肯定感が下がってしまうからです。
私たちは、自分の心の中にある想いを外側の世界に映し出しては、そこに見えるものに反応しています。これを心理学では「投影」と呼びます。相手に怒りをぶつけても、ぶつけなくても、自分の心の中に相手への攻撃性があると、「きっと相手も自分のことを嫌い、自分を攻撃してくるだろう」と身構えます。なので、相手に対して怒っているときに、自分がスッキリさわやかな気分になる、というのは無理なのです。
ですから、「怒り」や嫌悪感、攻撃性は、できるなら持ちたくないです。
でも、心の押入れにしまいこもうとしても、「ある」ものはなくならず、投影されて、「バレたらまわりから嫌われるんじゃないか」と常に不安を感じることになりますから、「見ないようにする」「なかったことにする」は、あまりうまくいかないやり方です。
「怒っている私なんかダメ!」と、そんな自分を糾弾するのも、怒りが増幅するので逆効果です。
それよりも、「はは、それは、怒るよねー」「腹立つねー」「ムカつくー!」と怒っている自分に優しく寄り添いたいです。
「それは残念」「めちゃ悲しい」「さびしいー」と胸が張り裂ける気持ちを受け入れてあげます。
感情的であることはよくないこと、と思っていると感情を感じること自体がのみこまれそうだったり、自分がものすごく弱くなったように感じられて、「いけない、いけない」とブレーキをかけたくなります。
そこを感情が湧き上がってくるままに感じることを許せるようになると、感情は、雲のように去来するもので、湧き上がるけれど昇華されてなくなる、ということに気づけます。
女性はよく女子会で、しゃべり倒してスッキリ、という経験をされますが、それと同じ作用が、どんな怒り、どんな悲しみ、どんなさびしさにもあてはまります。
心の自由は、どんな感情もOKというしなやかさでもあります。怒り、悲しみ、寂しさに涙できるから、人との絆を心底喜び、楽しむことができるのです。
心は何を感じてもOK! 怒っている自分にも、悲しんでいる自分にも優しい眼差しを送ることができたら、それこそありのままのあなたの「優しさ」を生きていることになります。そんなあなたが、まわりの人に「優しく」ないはずがありません。