私たちは自分が感じることや思うことについて、「まわりの人もきっとそうだろう」と考えます
こんにちは 平です。
心理学で“投影の法則”というのですが、私たちは自分が感じることや思うことについて、「まわりの人もきっとそうだろう」と考えます。
自分という人間についても、あなた自身が「自分は○○のような存在である」と思っていると、それが判断基準となり、「まわりの人もきっと自分のことを○○だと思っているのだろう」と考えます。
たとえば、あなたが自分のことを愛していると、「まわりの人も、こんな素敵な私のことを愛したいと思うだろう」という見方をするわけです。
一方、「自分は最低で、人からはバカにされている」と思っているとしたら、あなたはまわりの人のことを自分をバカにする人たちだという目で見ることでしょう。
さらに、あなたは「バカにされないように‥‥」と、一生懸命、努力するのかもしれませんし、あるいは、まわりの人たちのことを憎むようになり、ひどいときには、社会があなたの敵になってしまうようなこともあるかもしれません。
よく、「自分のことを大好きな人は、男女関係をはじめとした対人関係がみなうまくいく」といいますが、それはまさにこの“投影の法則”をいっているわけです。
そして、この“投影の法則”は、あなたと人との相関関係を表します。
たとえば、あなたがだれかのせいで傷ついたという経験をしたとき、あなたの世界には「傷ついたあなた」と「傷つけた人」がいるものです。が、じつはこの「傷つけた人」を作るのは、ほかでもない、あなた自身なのです。
講座などでこの「傷ついたあなた」と「傷ついた人」についてのレクチャーをするとき、私はよく「わかってるか、そこのペチャパイ!」などと親しい受講生を名指しでなじります。すると、ほとんどの場合、「わかってるわい、デブ!」と返事が返ってきます。
たがいにひどいことを言っているにもかかわらず、私たちはまったく傷つきませんし、10秒後には言われたことも忘れています。
しかし、親密感がまったくない相手にこのようなひどい言葉をかけたとしたら、私は間違いなく訴えられるでしょう。
つまり、相手との相関関係が大事なファクターとなっているのであり、前述のような関係性があるのだとしたら、あなたの世界には「傷つく人」も「傷つける人」も存在しないわけです。
私たちはなぜか、「自分は罰せられ、傷つけられるにふさわしい」という思いをもっているようです。
これは、私たち人間ならだれでももっている“罪悪感”という感情のなせる業です。心の底にある罪悪感を外に投影することで、「自分はきっとだれかに罰せられたり、傷つけられたりするだろう」と思うわけです。
また、もしも、傷ついてしまったとしたら、あなたは深層心理において、傷つけた人に向かっての愛を閉ざします。だれだって、自分を傷つけた人を愛そうとは思いませんからね。
しかし、心には脳みそがついていませんので、あなたが愛していないものがあるとすると、そのすべてに対し、心は自動的に罪悪感を感じてしまうようなのです。
つまり、自分が愛していないわけですから、自分も相手から愛されないだろうと感じるのですね。そして、そのために脅威を感じ、「攻撃されるかもしれない」と心は防衛を始めるわけです。
私たちの心は、どうも、よほど人を愛したいと思っているようです。それなのに、「いま、私はだれかのことを愛していない」と思うと、恐れや不安感に襲われるようなのです。
心理学の本などを読むと、癒やしを作るためには「人を許しなさい」と必ず書いてあります。
これは、人を許すために、あなた自身がよりいっそう“大きな愛”になり、その“大きな愛”で相手を包むということを意味します。
それにより、あなたの中にある不安感を払拭することができるのです。
「傷つけた人」を愛するというのは、エゴの観点からいえば、とても理不尽なことです。
しかし、心の法則に従えば、そうすることで、あなたはこの世界に存在する自分の敵をどんどん減らしていくことができるでしょう。
そして、最後には、敵がまったくいない“無敵の人”になれるときもくるかもしれないのです。
では、来週の『恋愛心理学』もお楽しみに!!