自傷行為

相談者名
無価値人間
はじめまして 精神的に不安にかられることが多く、病院で薬 をもらって服用しているのですが、それでも自 傷行為を止められません、男でしかもいい年を して非常にみっともないです 仕事を少しのミスでも、酷いときはゲームでミ スをした時ですら、手首を切ったり、切るよう なものがないときは後頭部を殴ったりします 切るといっても血がにじむレベルのもので、精 神的に抑えられている時でもしてしまいます 死にたいと言うよりはミスをした自分に罰を与 えなくてはという気持ちがどうしても強く出て しまいます

失敗することは許されないという気持ちがとて も強く、今の世の中も実際そういう世の中です (大学受験や就職に失敗したら一生底辺生活) 人に完璧主義だから・・・と言われることがあ りますが、そうではなく自分には致命的な短所 が山のようにあるのに(ブサイク、ネガティ ブ、低学歴、低収入 底辺の仕事、そして年齢=彼女いない歴が人間 としての魅力0の証拠)長所は何一つとして有 りません(あっても大量の短所に比べてば焼け 石に水です) なので少しのミスでも人に見捨てられると考え てしまいます、普通の人なら少しのミスでのマ イナスも長所のプラスでカバーできるますが、 自分は大幅なマイナスなので、ちょっとしたこ と(道そっちじゃないよ、とか押すボタンこれ ですよ)をいわれただけで、人格を全否定され た気になり、自傷行為に至ってしまいます

カウンセリングも受けてみましたが、話を全く きてもらえず、言ったことを全否定された気が しました

いい年で(30超えてます)しかも男でこんな ことをするなんて情けなくて将来いい事も起こ るわけがないので最近は、男なら潔く命をたつ べきなのかと考えてしまいます、女々しい自分 がほんとうに嫌です

病院では病気というレベルではないと言われま したが、ということは自分は性格がどうしよう もないただのクズ人間ということなのでしょう か?

カウンセラー
中原謙一
無価値人間さん、はじめまして
私は中原謙一と申します。
よろしくお願いいたします。

読ませていただいて、私が感じたことなのですが、無価値人間さんはとても心が優しい人なんですね。

無価値人間さんが抱えている問題点、それは「怒り」です。

ご自分に向けていらっしゃる怒りのすべてが、本当は外に向けて、周りにあるもののすべてに向けられている怒りなのですが、それを外に出す選択はせず、全て自分の中に押し込めてしまった結果、現在の状況になってしまったのではないかと推測します。

それくらい、失敗を赦さない社会であったり、医者やカウンセラーのような権威を使う人たちであったり、自分を認めてくれない誰かであったりと、たくさんのことに怒っていらっしゃるように私は感じます。
もちろんそれを外に出す、つまり相手に対して怒りをぶつけるという選択もあるわけです。
世の中には怒りを外に出す人のほうがたくさんいるわけですからね。
でも、無価値人間さんは怒りを外に出そうとはせず、怒りによって誰も傷つけようとはせず、怒りの全てを自分に向けることによって、周りの人たちが傷つかないようにされているのかもしれませんね。

大きな問題点は二つです。
ひとつは、怒りという感情の扱い方について。
もうひとつは、怒りを表現する、ということについてです。

今の無価値人間さんは、それこそ30年以上心の中に蓄積された「怒り」がもうこれ以上押さえ込むことができなくなってきているくらい、パンパンの状態に見受けられます。
それを一気に外に出すとなると、それは怖いわけです。
どれだけ回りに迷惑をかけるか、そして、無価値人間さんにとって大切なものを壊していしまうのではないかと感じたとき、それを外に出せなくなってしまいますからね。

そして、怒りを表現するというのは、単純に誰かに怒りをぶつける、ということではありません。
そんなことをしても心に溜まった怒りは一瞬軽くなったような気分がしますが、実際には出した分以上の怒りが外からやってきますからね。
そうすると、誰も困らない、誰も傷つかない安全なやり方で、怒りを体の外へ出してあげたほうがいいと私は感じます。

また「自分を攻撃し続ける」行為そのものは、今の無価値人間さんにとっては都合がいい可能性もあります。
なぜなら、自分を攻撃し続けている限りは、怒りの感情を扱わなくてもいいですし、本当の自分の問題を隠すこともできるんですよね。
それくらい、「やりたくない問題」が怒りの感情の奥深くに隠れているのかもしれませんね。

無価値人間さんにとって、本当に「こんな自分は嫌だ、こんな自分を変えたい」と本気で考えられている様子も感じられます。
無価値人間さんにとっての「死」は、「自分を変えるためには、死んで生まれ変わらなければ無利だ」くらいの考えがあるのかもしれません。
それは無価値人間さんが心から自分を変えたいと思っている証拠です。
ただ、自分のやり方で自分を変えることができなかったのでしょうね。

だとしたら、自分のやり方以外の方法で、自分を変えてみようというのはいかがでしょう。
もしかしたら、自分のやり方以外の方法ですから、無価値人間さんにとっては「それだけは死んでもやりたくない」と思ってしまうようなやり方かもしれません。
しかし、誰かに何かをすることではなく自分自身のことですから、それこそ死ぬ気でチャレンジしてみるのもひとつかな、と私は感じます。

でも、ここでひとつ重要なことがあります。
自分を変えることができるのは、自分しかいないということです。
どんなに優秀な人であっても、無価値人間さん自身の人生に影響を与えることはできても、人生そのものを変えることはできません。

なぜなら、無価値人間さんの人生は無価値人間さん自身の責任において存在するものですから、自分自身を「変える」ことができるのは自分だけです。
私たちにできることは、そのための環境を整えていくことであり、サポートしていくことです。

無価値人間さんの選択ひとつで、これから先の自分の運命を決めることができます。
じっくり検討して、選択してみてください。

存在することには必ず「意味」があります。
それがどんなに役に立たないように見えても、そこには必ず「意味」が存在しています。

自分が存在している本当の意味を見つけてみるのも、いいのかもしれませんね。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

無価値人間さんの人生に新しい道が開かれることを、心よりお祈り申し上げます。

ありがとうございました。

中原謙一

この記事を書いたカウンセラー

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