境界型人格障害なのか思い込みなのか

相談者名
櫻紫
初めまして。
毎日鬱々として仕事にも身が入らず、会社から家に帰るのも面倒くさくてなかなか帰ることが出来なくなってきたのでメールさせて頂きました。

小学校中学年位の時に死にたいと思い始めてから歳を取る度に無気力、悲観的な発想、自殺願望が増してきました。
ずっと鬱かもしれないと思っていたのですが、突然気分が良くなる事があるかと思えば、次の瞬間酷く気分が落ち込んで死にたくなったりするので何処か釈然としないものを感じていました。
そんな時にネットで境界型人格障害の事を知りほとんどの項目に当て嵌まっていたので自分は人格障害じゃないのか、と思い始めました。
一日の中で気分の浮き沈みが激しすぎて時に自分自身に疲れたりします。
最近友人とライブに行った折にも開演前はすごくテンションが高かったのですが、ライブが始まるとまるで自分一人が世界から置き去りにされたような気になり不安と淋しさから涙が止まらなくなり途中で帰ってきてしまったこともありました。
でもそう思い込んでいるだけで人格障害に責任転嫁をして全ての事から逃げているだけの気もします。
自分の弱い面や醜い面を自覚しているつもりです。
でもそれを完全に治そうという気がしないのです。
本当に心が苦しくて誰でもいいから助けてもらいたい、病院に行って診察を受けて自分を改善してみようかと思う時もあるのですが、でも心の奥底で治りたくないと思ってる自分もいるのです。
たぶん人の同情なんかを引いて常に構って貰いのだろうと思います。
そんな自分が嫌で自分の醜い面をずっと考え込んでしまって、どうしようもなくなったら自傷行為に走ってしまいます。
でも痛いことは嫌なんでそんなに深くは傷付けられないんです。
それでまた
「本当は自分の腕をメッタ刺しにして切り刻みたいのに自分は弱いから深く傷つける事も出来ない」
と悲観的になるんです。

ただの逃げであるだけかもしれませんが、今の自分の状態を誰かに明確にしてもらいたいのです。
乱文及び文字数を超えてしまっていたら済みません。

カウンセラー
成井裕美
はじめまして櫻紫さん。
勇気を出してのご相談ありがとうございます。
担当の成井です。

> 毎日鬱々として仕事にも身が入らず、会社から家に帰るのも面倒くさくてなか
> なか帰ることが出来なくなってきたのでメールさせて頂きました。

今は「1日1日」を乗り越えるだけでも、本当に精一杯な感じがあるんですね。
・・・とてもしんどいですね。
お話を読ませ頂いて、沢山のしんどい気持ちを抱えて、もう身動きが取れなくて
どうしたらいいのか困り果てている櫻紫さんと、そんな自分を「弱い!」と厳し
く扱っている櫻紫さんがいらっしゃるように感じました。
でも何か今は、そんな自分のことをとても責めていらっしゃるようにも感じま
す。

> 自分の弱い面や醜い面を自覚しているつもりです。
> でもそれを完全に治そうという気がしないのです。

「もし完全に治したくないとしたらどうしてだろうか?」ということに関して、
櫻紫さんは自分自身でこう答えていらっしゃいますね。
> たぶん人の同情なんかを引いて常に構って貰いのだろうと思います。

「同情なんかを引いて」とか「かまってもらいたいのだろう」と自分に少し厳し
い言葉で書かれえいますが、私はこの部分を読んでこう感じました。
櫻紫さんは本当はしんどい時に誰にも「しんどい」と言えないのではないか?
寂しいときに「寂しい」と言えないのではないか?
疲れたときに「疲れた」と言えないのではないか?
「愛してほしい・・・」という言葉が言えないのではないか?と。

言えないというよりは、何か「言ってはいけない」とか「言っても仕方がない」
というくらい、この部分に関して自分に禁止していたり、絶望していらっしゃる
ようにも感じます。
いったいどうしてなのでしょうか?

私たちカウンセラーは医師ではありませんので櫻紫さんに診断名をつけることは
できないのですが、心理的に起こっていることを説明するとしたら、櫻紫さんに
とっては今はとても辛くてしんどい状態ではあるのですが、でもこれくらいしん
どい状況にならないと、「しんどい」と言えないように感じているのかもしれま
せん。
私たちの心理学の考え方にこうしたものがあります。
「もし、今起こっていることに意味が(メリット)あったとしたらなんだろ
う?」
私たちが問題として抱えるものは、もちろん誰もが「持ちたい!」と望んで持っ
ているものではありませんし、人生の中で避けて通れれば越したことはありませ
ん。
でも、それでも「今起こっていることにもし意味があるとしたら?」という普段
と少し違うアプローチから自分自身を見つめたときに、そこには普段の自分では
意識していないような答えが隠れていることがあります。
例えば、普段働きすぎの人がひどい風邪を引いたときに、やっとそこでは「今日
は休んでもいい」と自分に許可できる場合があります。
普段は両親が共働きで忙しくて子供の頃気を使っていたんだけども、熱がでて倒
れたときだけはお母さんを求めていいと感じていた人もいます。
そしてその時だけは「もっといてほしい」とか「こうしてほしい」という自分の
欲求を言ってもいいと許可できたという人もいます。

今回の櫻紫さんの文章を読ませていただいて、この分の中から何度も何度もこん
な印象を受けました。
「・・・死にたい」
「助けて・・・」
「・・・死にたい」
「助けて・・・」
櫻紫さんはいつもここで1人で踏ん張って、1人でこの苦しい感覚と戦っていらっ
しゃるのだと思います。
小学校中学年くらいから「死にたい」と感じた。と書いてくださっていますか
ら、実際はもう少し前からこの「誰にも頼れない」「甘えられない」という感覚
の中で押しつぶされそうになってこられたのかもしれませんね。
この思いをこんなにも長い間抱えてこられたのですから、櫻紫さんは本当はとて
も精神力の強いタフな方だと思います。
でも今まではこの強さを「我慢・忍耐」の方にすべて使ってこられたようです
ね。

これは櫻紫さんにとってはあまりなじみのない考え方だとは思うのですが、もし
よかったら提案させてくださいね。
櫻紫さんにとって、心がこれ以上しんどくなって精神的に動けなくなってしまっ
たとき、そこでもし初めて自分自身に「甘える」ということや「休む」というこ
とを許せるように感じていらっしゃるとしたら、今、それを自分自身に与えたり
許すことができたとしたら、これ以上状況が悪化させる必要はないと思いません
か?

いつもでお話を聞かせてくださいね。
これ以上櫻紫さんが1人で苦しまなくてもすむように・・・。
お待ちしています。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

恋愛、対人関係、自己啓発、ヴィジョン、ビジネス心理を得意とし、”少しでも楽に・簡単に・シンプルに”をモットーに、分かりやすい心理分析と日常的に無理なく取り組める提案を行っている。 その人本来の輝きや、問題の先にあるヴィジョン(幸せな未来や才能)を引き出すカウンセリングが好評である。