「YseかNoか」「白か黒か」という二極的思考の傾向が強くなると、「曖昧さ」を受け入れられなくなり、焦りや窮屈さといったストレスを感じやすくなります。
「曖昧さ」を受け入れられなくなってしまう背景や、「曖昧さ」を受け入れるためのヒントをご紹介します。
時間の流れが速かったり、多くの情報で溢れかえっている現在の社会では、「選択→決断」にもスピードを求められることが多くあります。
また、「どれだけ頑張ったか?」というプロセスよりも「どれだけ結果を出したか?」という結果を尊重される風潮もあり、「答え(結果)」を早く出すということが求められることも少なくありません。
そうすると、「YesかNoか」「白か黒か」といった、二極思考的になりがちです。
二極的思考になると、白でも黒でもない「グレー」の領域や、「YesでもNoでもない」といった曖昧さが受け入れられなくなってしまいます。
二極的思考で「曖昧さ」を受け入れられない状態でいると、一方から他方までの振れ幅が大きかったり、焦りや、ハンドルの「遊び」の少ない車を運転する時のような窮屈さを感じたりして、それがストレスとなってしまいます。
●二極的思考のもたらすストレス
例えば、仕事中に「○○君、この書類を今週中に仕上げてもらいたいんだけどできるかな?」と、上司に頼まれ事をされる状況があったとしますよね。
その時に曖昧さを受け入れられない状況があると、「できます/できません」としか答えることができませんよね。
「できません」とサッパリ言うことができればそれでいいのですが、仕事で、しかも上司からの頼まれ事だと、なかなか「できません」とは言いにくいですよね。
「今週中だったらたぶんできると思います」と言って受けることができるといいのですが、「曖昧さ」を受け入れられない状態だと「たぶん」や「…と思います」というのを自分に許せないので、「何%の確率でできるのか?」「その確率の根拠は…」と、その確率と根拠を求めたりします。
そうすると、返事をするだけでも多くのエネルギーを消費してしまいます。
多くのエネルギーと時間を消費した結果、「70%の確率でできます」と答えるのですが、上司は渋い顔…
これでは報われませんよね。。
また、上司の方の立場から見ると、「曖昧さ」を受け入れることができないと、「できるのかできないのかどっちなんだ?」「70%ってどういうことなんだ!?」と。部下の態度にイライラしてしまったり、「できるかできないかを答えるだけで何でそんなに時間がかかるんだ!」と責める気持ちが出てくるかもしれません。
そうすると、頼み事をするごとにストレスが溜まるので、頼み事をしにくくなってしまい、その結果、自分で仕事を抱え込みすぎてしまうことも出てくるかもしれません。
これもまた、しんどいですよね。
●「曖昧さ」を受け入れられなくなる背景
こうした「曖昧さ」を受け入れられなくなる背景を見てみると、昔、自分に「曖昧さ」を許してくれなかった「誰か」が出てきます。
例えば、小さい子供がお母さんに連れられて買い物に行ったとしますよね。
そこで、欲しいお菓子とおもちゃを見つけておかあさんにおねだりすると、お母さんは「どっちか一つだったら買ってあげるよ。」と言うんです。
お菓子もおもちゃもどちらも欲しいので、どちらか決められずに「んーと、んーと…」と悩んでると、お母さんが言うんですね。
「さっさと決めなさい。決められないんだったらもう買わないからね!」
こういう状況ってありますよね。
お菓子もおもちゃも欲しいけど、お菓子を欲しい気持ちを切り捨てておもちゃに決めなくてはいけなかったり、どちらにも決められなくて結局買ってもらえなかったり…
どちらにしても、悲しみや不満感が残りますよね。
そして、悲しい思いをした分だけ、「迷っちゃいけないんだ」「どちらかにしなきゃいけないんだ」「早く決めなきゃいけないんだ」といった思い込みができていきます。
こういった経験の積み重ねで、自分自身に「曖昧さ」を禁止すると共に、「曖昧さ」を受容してくれない人に対して怒りや不満を持つようになります。
そうした怒りや不満を持つと、今度はそれをまわりの人に投影するので、「自分が曖昧な状態だと、まわりの人はきっと怒りや不満を持つだろう」と、「曖昧さ」への禁止が強化されることになります。
●「曖昧さ」を受け入れられるようになるために
「曖昧さ」を受け入れる鍵となるのが「許し」です。
ひとつは、昔の自分に対する「許し」で、もう一つは、昔の自分に「曖昧さ」を認めてくれなかった人に対する「許し」です。
まずは、自分自身に対する「許し」の部分です。
「曖昧さ」を否定されて傷ついてしまった自分、曖昧さを禁止することでしかやり過ごせなかった自分、それでも頑張ってきた自分… その気持ちをわかってあげたり、頑張った自分を誉めてあげたり、「曖昧でもいいんだよ」と教えてあげたり、そんな昔の自分が「曖昧でもいいんだ」と思えて安心できるまで、それを何度もしていくことで、自分に「曖昧さ」を許せるようになります。
次に、自分に「曖昧さ」を認めてくれなかった人に対する「許し」です。
まずは、その人に対する理解が必要になります。
「その人は、どうして私に「曖昧さ」を認めてくれなかったんだろう?」と、その人なりの事情や背景の理解を進めていくと、その理由が見えてきます。
「その人は、私に「曖昧さ」を認める程の余裕がなかったんだな…」「その人も、自分自身に「曖昧さ」を許すことができていないんだな…」
そんな事情や理由が見えてくると、より許しに近づけます。
そして、自分に「曖昧さ」を許してあげることができると、そのプロセスと同じように、自分自身に「曖昧さ」を許してこなかった「自分に『曖昧さ』を許してくれなかった人」のことをわかってあげたり、許してあげたりすることがやりやすくなります。
その人をも許すことで、自分自身が「曖昧さ」のない世界から、適度な「遊び」のある世界へと移り住むことができるだけではなく、自分に「曖昧さ」を認めてくれなかった人をも一緒にその世界に連れて行ってあげることができるのです。
●「曖昧さ」を受け入れることで手に入るギフト
このチャレンジをすることで、「曖昧さ」といった適度な「遊び」だけではなく、結果だけではなく「プロセス」にも価値を見出せたり、その「プロセス」の中にある、自分や他の人の頑張りを受け取れるようになったり、自分や他の人の気持ちを大事にすることができるようになったりと、たくさんのギフトを受け取ることができます。
これらのギフトを受け取って、居心地の良い世界で過ごしていただきたいと思います。