被害者になってしまう心理~依存心を手放して“無害者”へ~

私達は様々な場面で「正しい」「間違ってる」を考えてしまいます。

それは被害者と加害者の関係を作り出し、私達が本当に望むものを遠ざけてしまうことも少なくありません。その被害者(加害者)を手放し、無害者になることを選択してみませんか?

「あなたのせいで傷ついた」
「あなたが悪いんだから、責任取りなさいよ」
そういう気持ちを私達はよく感じています。

ちょっとしたことでも、それが良い事なのか?悪い事なのか?を考えてしまったり、正しいか間違っているのかを議論してしまうのは、そこに“被害者”と“加害者”の心理が隠れているからです。

どちらか選べと言われたら、つい被害者を選んでしまうのが私達の心かもしれません。
でも、どちらも本当の意味では正解ではないのかもしれません。

●被害者と加害者(良い人と悪い人)

例えば『彼氏が浮気をしている』ことが分かったとします。
あなたは彼を責めて「そんなことして最低!」と言ってしまうかもしれません。
「あなたの背信行為で私は酷く傷ついた!癒してよ!何とかしてよ!」と立て続けに訴えてしまうかもしれません。
周りの人たちに相談すれば、その多くはあなたの味方をして「そりゃ、彼が悪いよ」と言ってくれるでしょう。

でも、そうしてあなたが被害者になればなるほど彼はあなたの元から去っていきます。
あなたが彼の非を責めている限り、彼はあなたの元にいられなくなるからです。
それはちょっと彼の気持ちを考えてみれば分かることなんだけど、自分の心が痛すぎて振り回されてしまうからかもしれませんね。

もちろん、あなたが傷ついたことに嘘はありませんし、それが悪いのではありません。

でも、その傷ついたことを彼のせいにして被害者になったとしても、加害者である彼の心が戻るわけでもなければ、あなたの心の痛みが癒されることもありません。

あなたが被害者で居続けると、幸せはどんどん逃げてしまうのではないでしょうか。

●隠れた依存心が“被害者”を作る

そんな被害者になってしまう背景には、自分に自信がもてず、無価値感や無力感をいっぱい感じている“私”の存在があります。
それは誰にでもあるもので、かつ、誰もが感じたことがあるものなんです。

例えば、子ども時代(親に依存している時代)は自分ひとりでは何の決定権も持ちませんでした。
「ハンバーグとカレー、どっちがいい?」
って聞いてくれても、作るのはお母さんです。
お母さんが「やっぱどっちも面倒臭い。今日は焼き魚にしよう」と心変わりしてしまったら食卓に並ぶのは焼き魚なわけです。

「えー、ハンバーグって言ったのに、ずるいよー、お母さん、酷いよー」
と泣き叫んだとしても、最後は酷く惨めな気持ちで魚を食べることになるでしょう。

そんな小さな経験でも、裏切られたような、屈辱的な感情(すなわち、心の痛み)を持ってしまうと、お母さんに対して恨み辛みを持つようになります。

でも、その惨めな感情はできるだけ感じたくないものですから、感じないように抑圧し(感情を押し殺し)、そして、ヘドロのように心の底に溜めてしまうのです。

そして、表面的にはニコニコしながらも(作り笑い?)、裏では「お母さん、ぜったい、許さないから・・・」という憎しみを持ってしまうこともあるんです。
(ハンバーグが大好きで、食べたくて食べたくて仕方なかったのかもしれません!)

こうした経験はお母さんとの関係だけでなく、家族をはじめ、学校や職場などの対人関係で至るところに出てきます。

そうして「自分では何もできない」(無力感)、「私にはどうせ何もしてくれないわ」(無価値感)といった辛い感情を持てば持つほど、惨めな依存心を抑圧したまま自立しようとするんですね。
つまり、誰もあてにせずに一人で何でもしようとするんです。
(例えば、ハンバーグも自分で作れるのならば、こんな気持ちは味わうことはないわけです)

ところが、立ち上がろうとしても背中に背負った重たい荷物に押し倒されてしまうように、抑圧された感情が行く手を阻み、なかなか思うように行きません。
一人で頑張ろうと思っても寂しかったり、辛かったり、うまくできなくてイライラしたり。
そうすると常に心の中で葛藤が生まれるようになります。

それは自立心(一人でしなきゃ)と依存心(誰かに何とかして欲しい)という気持ちが衝突している状態なのです。

そして、自己嫌悪が生まれ、自分は全然自立できてない、やはり一人では何もできないんだ・・・自信を喪失してしまうのです。

●“被害者”で成功した経験は?~依存の競争~

ところが、それだけならば何も被害者に固執する必要はありません。
被害者ならば被害者であるメリットが実は存在するんです。

例えば先ほどの例で「お母さん、ずるいよ、楽しみにしてたのに」と駄々をこねると、お母さんも罪悪感があって表情が曇っていき、
「仕方ないわね・・・。じゃあ、明日作ってあげるから、今日はごめんなさいね」
なんて言葉を引き出せたとしましょう。

そうすると、あなたは心の中に「やった!この手は使える!」という成功体験を積むことになるんですね。

そうすると欲しいものがあったときに駄々をこね、相手を加害者に見立てる(自分が被害者になる)ことで、利益を得ようとするパターンを作ってしまうのです。
(これが言わば“ごね得”といわれるものですね)

ところが、これは欲しいモノ自体は手に入るのですが、非常にリスクが高いんですね。
それは「奪う者の心理」が働いて、あなたは、ハンバーグを手に入れた瞬間に(相手から見れば)加害者に変身してしまうということなんです。

つまり、「あなたが作れと駄々こねるから作ってあげたんですよ。これでお母さんの言うこと、何でも聞いてもらいますからね」という風に。

そうして、お互いに被害者になって相手から奪おうとする攻防が繰り返されることにもなります。
これは本当にドロドロして気持ち悪い“依存の競争”という状態なのですが、私達は、ごねるだけで手に入ることを学んだ分、目先の利益に捉われて、このパターンを使ってしまうことが多いのです。

●被害者を手放して無害者になる

この方法は効果的に見えて、加害者と被害者を繰り返すばかりではなく、相手からの愛情や信頼を失うという本当に大きなリスクを背負うことになるんです。

例えば、あなたが誰かから加害者にされたとしたら、その相手を信頼したり、愛したりしたいと思えるでしょうか?

最初の『浮気』の例で、彼の心が戻ってこない理由もここにあります。
あなたの正しさがどれだけ証明されたとしても、加害者と被害者の関係性になってしまっている分だけ、あなたは愛情を与えられないし、受け取れない状態です。

それは言い換えれば自ら望んで“自分を愛させない状況”を作り出してしまっているようなものかもしれません。

だから、あなたがこのパターンに気付いたとしたら、できるだけ早く、被害者から抜け出して“無害者”のポジションに入る必要があるのです。

無害者というのは相手も自分も罪は無く、どちらも悪くないという状態です。
とても落ち着いていて安らかで、愛を感じています。
そして、相手に対する信頼がとても大きく対等な感じがするところです。
フラットなので、よく相手の姿が見えますし、障害が無いので距離を縮めることも自由にできる感覚がします。

具体的には
「今起きている問題はお互いが成長するために与えられた課題であり、謙虚に学び、より絆を深める機会が与えられた」
という目で見ることです。

パートナーシップの問題は50/50(フィフティ/フィフティ)とよく言います。
社会的にはどちらかが一方的に悪く見える事象も、それを解決して、より良いパートナーシップを築くためには、それをお互いの問題としてみることが求められるのです。

それは大きな心理的なパラダイム転換で、勇気がいる選択です。
崖から飛び降りるような怖れを感じることも少なくないと思います。
でも、被害者になったとしても、本当に欲しいものが得られないと気付いたのならば、そこが被害者を手放すチャンスと言えます。

相手から奪う方法が一見成功するように見えるので、私達は被害者のポジションに執着してしまいがちなんですね。
でも、
・本当にあなたが欲しいものは何なのか?(お金なのか、愛情なのか、等)
・本当にあなたが望む関係ってどのようなものなのか?
・今の方法で本当にそれが手に入るのか?
そういう目で自分を見つめなおしてみましょう。

そして、まずは被害者を手放すことを選択しましょう。
ただ、それを心の中で(あるいは声に出して)宣言するだけでいいです。

そして、そのために誰かの援助(サポート)を受け取ろうと思ってください。
(一人でやろうとすると、再び自立の罠にはまってしまいますし、一人でできることならば、きっとそこまで大きな問題になっていませんよね)

誰か信頼できる相手にその事を伝えてみるんですね。
そして、自分が抱えた痛みや恨み辛み、怒りなどの感情を吐き出したり、あるいは、その悲しみや寂しさ、惨めさを共感してもらってもいいでしょう。
時には励ましてもらい、勇気付けてもらう言葉も必要かもしれません。

そうして相手や自分自身を認め、許してあげると、徐々に無害者になり、相手とも新しい関係性を築いて行くことができるのです。

被害者の心理は誰もが持つもので、その対処はとても難しく感じてしまうのですが、新しいステップアップのために、是非、参考にしていただけたら、と思っています。

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