誰かを助けたい気持ちは、あなたにある愛の心ではないでしょうか?
でも時には助けたい相手のことを怒ってしまったり、相手の言葉に傷ついて助けられなくなっ たりと気持ちが揺れてしまうともあります。そんな時に心をセンター(愛の気持ち)に戻す方法をご紹介します。
●攻撃は助けを求める声●
肉親、パートナー、友人など、大切な人が困っている時に、
手をさしのべてあげたいと思う時はないでしょうか?
“愛する人の助けになりたい”“誰かの助けになりたい”そう思うことがあろ
うかと思います。心に愛がある証拠だと思います。
しかし、時にはその善意の心も、なかなか相手に届かない時があります。
なにかしらサポートしてあげたいという思いを、拒絶されることもあるかもし
れません。拒絶ばかりか攻撃されることもあると思います。
例えば、パートナーの元気が無い時に、「どうしたの?」と声をかけても、
「なんでもないよ、放っておいて」と、きつい口調が返ってきたとしたら、
心配して声をかけたのに・・・と傷ついて悲しくなってしまうかもしれません。
せっかく心配してあげたのに、ムキーッ!と腹が立つかもしれません。
時には、相手が引きこもってしまって、オロオロしてしまうかもしれません。
無力感で落ち込んでしまい相手をサポートすることよりも、自分を責めること
ばかりしてしまうかもしれません。
相手の反応に振り回されてしまうと、最初は善意の心で接していたはずなのに、
傷ついてしまったり、悲しくなったり、怒りの気持ちになったり感情が変化して
しまい、最初の善意のモードからぶれてしまいます。
感情に振り回されてしまうと、愛からくるサポートしてあげたいと思うセンター
の気持ちでなくなり、相手を上手くサポートできなくなってしまいますね。
そんな時は、相手の反応を真に受けずに、“攻撃は助けを求める声”なんだと
いう見方でサポートしてあげたい人を見てあげてください。
あの攻撃的な態度は、実は傷ついて、苦しくて、いっぱいいっぱいの態度(声)
なんだという見方をすると、反応に振り回されず、最初の助けてあげたいとい
う気持ちに立ち返るきっかけになります。
自分のセンターの気持ちに戻れるのです。
●それでも心がぶれてしまう時●
攻撃は助けを求める声なんだと相手を見てあげることで、相手の気持ちを理解
して心のセンターに戻ろうとしても、瞬発的な心の反応として、怒りがわき出
したり、動揺してオロオロしてしまうことはあろうかと思います。
わかっちゃいるけど、自分の心の反応を抑えられない時はあります。
すると、「それなら勝手にしときなさい。ムキィーッ!」と、心にもない言葉
を相手に投げかけてしまうかもしれません。
どうしていいのか分からず、本当に放っておくかもしれません。
そんな時に、もう一回、センターの気持ちに立ち返る為に
自分自身の感情の揺れに対処する方法をご紹介したいと思います。
名付けて「ハイアーマインドと繋がる方法!」
(そのまんまやん!とかつっこみは無しで・・・)
●ハイアーマインドとは?●
人は、数多くのマインドを持っています。
優しい自分のマインドや、冷たい自分のマインド、まるで子供のような無邪気
なマインドなど、多々のマインドを持っています。
たくさん持っているマインドの中でも、繋がりやすいマインドが、
その人の普段のモードになっているとみれます。
優しさのマインドに繋がっている人は、優しいモードで過ごしていることに
なります。
破壊的なマインドに繋がっていると、自己破壊的なモードなどになりやすくなります。
優しさのマインドに繋がり、時には冷たいマインドに繋がったりと、
時によって優しい自分であったり、冷たい自分であったりと、人は色々な面を
持ちます。
人のマインドの中には、ハイアーマインドというマインドがあるそうです。
それは、自分が持つマインドの中で一番発達したマインドと言われます。
心理学では大いなる自己、高次の意識という表現や、説明がされているマインド
です。
ハイアーマインドの解釈が書いてある文を調べると、仏性、キリスト意識という
表現がでることがあります。
そんな比喩の表現がでるくらいですから、自分の中に、まるで仏様のような、
キリスト様のような、偉大なる自分のマインドを持っていると言えます。
●ハイアーマインドと繋がる●
そのハイアーマインド(大いなる自己、高次の意識)と繋がろうとしてみる
んですね。
いろんな自分の中のマインドの中にある、大いなる自己のマインドと繋がって
相手と接してみようと思ってみるんです。
比喩を使いながら、自分のハイアーマインドと繋がろうとすると、繋がりや
すいかと思います。
ハイアーマインドとは、まるで仏様や、キリスト様や、マリア様、のような、
大いなる自己のマインドですから、『もしマリア様だったら、こんな時にどう
思うだろうか・・・』というような比喩を使いながら考えてみるんです。
例えば、今の自分だったら、相手の反応に、怒ってしまうかもしれない、
うろたえてしまうかもしれない・・・
でも、こんな時キリスト様だったら辛いんだろうなと思ってあげるんだろうなぁ、
マザーテレサーだったら、うろたえず、そっと側にいてあげて慈愛深く見てあ
げるのかもしれないな・・・というように考えてみるんです。
そこで出た発想は、キリスト様が出した発想でもなく、マザーテレサの発想で
もなく、まちがいなく自分自身が出した発想なのです。
でも普段の自分と違った発想がでてきます。
こう考えることにより、怒りのマインドにはまりそうな時、無力感のマインドに
はまりそうな時に、大いなる自分のモードに切り替えて発想することができます。
感情に振り回されそうになった時に、とっさに使えるテクニックだと思います。
●人を癒すのは愛●
人の心を癒すのは、人の愛ではないでしょうか?
誰かを助けたい、力になってあげたいという思いは、愛ある心だと思います。
その愛は人を癒すことと思います。
すぐに届かずとも、ゆっくりしみこんで行くのかもしれません。
すぐには受け取れ無くとも、愛を与えようとしてくれる人がいる事で、
少しずつ受け取れて行くのかもしれません。
自分のことを思ってくれる人がいる、それだけで救われるかもしれません。
あなたの愛は、きっと大切な人の心を癒すことと思います。